血液がんの個別化医療と細胞治療の拠点に

がんゲノム情報に基づく個別化医療の試みは固形がんの分野が先行し、血液がん(造血器腫瘍)の分野でも導入が予定されているものの実装には至っていない。がん・感染症センター都立駒込病院は、遺伝子パネル検査を用いた骨髄系腫瘍の分子診断を自施設で実施し臨床応用している。加えて、キメラ抗原受容体発現T(CAR-T)細胞療法を専門に行う「CAR-T外来」も開設するなど、次世代の血液がん治療に意欲的に取り組んでいる。

がん・感染症センター都立駒込病院
血液内科(東京都文京区)

都立駒込病院は、1879年に感染症を主に診療する病院として開設された。1975年にがんと感染症の高度専門病院となり、2011年の大規模改修に伴い「がん・感染症センター都立駒込病院」として新たに出発した。

 都立駒込病院といえば、血液専門医の間では、造血幹細胞移植(HSCT、自家・同種も含む)医療の聖地として知られている。最初のHSCTが行われたのは1986年。1994年には骨髄バンクを介した非血縁者間の移植を開始し、2000年からは臍帯血バンクを介した移植を手がけている。2012年からはヒト白血球抗原(HLA)半合致移植を開始した。2019年には病棟の追加改修工事を実施、水平式無菌層流装置を設置した個室16床を含む72床の無菌室を擁し、現在では毎年100件を超える移植を施行する。今や厚生労働省が認める造血幹細胞移植医療推進拠点病院の中でも国内筆頭格といえる医療機関だ。 

移植後の非再発死亡を回避するために患者教育を徹底 

 都立駒込病院はHSCT医療の成功率を高めるために、1986年にいち早くチーム医療を導入した。一方で2012年という早い時期から「移植後長期フォローアップ外来」を設け、非再発死亡のリスク低減を精力的に進めてきた。血液内科部長の土岐典子氏は「移植後の予後で、我々が特に介入できるのは「非再発死亡率」を低下させることです。これは、感染症や移植片対宿主病(GVHD)による全身状態の悪化により死亡してしまう確率のことで、様々な報告から、移植を受けた患者さんのうち約20%程度とされています。感染症・GVHD対策として、造血幹細胞移植後の継続的なセルフケアの大切さを患者さんやご家族に知ってもらうために、患者教育を含めた移植後長期フォローアップ外来を開設しました」と語る。 

 以前は、患者が退院後にどのような生活を送っているかが詳細に把握できず、外来でセルフケア指導を個々に行う機会が存在しなかった。医師が説明しているものの、患者の中には、あえて海水浴などに行き日焼けをして重症のGVHDを発症してしまったり、香辛料や生魚を大量摂取して下痢を来して入院したりする症例もあったという。長期フォローアップ外来の開設後は、そのような症例は大幅に減少した。 

 また、セルフケアに気を使っていても、移植後の患者は敗血症を発症することがある。その際は緊急の対応が不可欠だが、夜中に発熱しても「翌日に病院に行こう」と考えて、症状を悪化させてしまうケースもあった。発熱が夜中であっても、ためらうことなく病院に連絡して救急搬送してもらう方がよいのか、明日の受診でよいのか、必ず医師に確認することの大切さを伝えることも長期フォローアップ外来の重要な役割だ。 

 こういったセルフケアや病院連絡の必要性は、退院時に説明しているものの、実際退院した患者にとっては記憶があいまいなこともある。このため、長期フォローアップ外来で、繰り返しの指導を行っている。感染症についても、ワクチン接種をためらう患者に対し、移植後だからこそワクチンを接種して感染症を予防することが大切だと理解してもらうようにもしている。

都立駒込病院の造血幹細胞移植を支える血液内科のチームメンバー。

 全て院内で解析を行うクリニカルシークエンス体制 

 移植医療の充実と並行して、土岐氏らが注力しているのが遺伝子パネル検査を用いた骨髄系腫瘍の診断システム「駒込ミエロイドパネル」の運用だ。 

 ドライバーがん遺伝子変異を明らかにして、それに合う分子標的治療薬を選択するがんゲノム医療は、固形がんの分野で先行し、標準治療を終えた患者に対して2019年に保険適用となった。造血器腫瘍の分野でも検討が始まっており、日本血液学会が2018年に「造血器腫瘍ゲノム検査ガイドライン」を作成し、2020年には国立がん研究センター中央病院の医師と製薬会社がプロトタイプとなる遺伝子パネル検査を開発した。このパネル検査は、全国の主要医療機関で有用性の検証を行い、保険承認に向けて準備中であるが、2023年9月現在まだ実用化に至っていない。 

 急性骨髄性白血病(AML)や骨髄異形成症候群(MDS)などの骨髄系(ミエロイド)腫瘍を対象とした「駒込ミエロイドパネル」を、都立駒込病院の臨床研究支援室が開発、実装準備を行い、2019年3月から日常診療に導入した。駒込ミエロイドパネルを用いた検査では、骨髄系腫瘍でとりわけ頻度が高い68個(開発当初、2023年8月時点では74個)の遺伝子変異を検出できる。さらに約600種類の既知融合遺伝子の検出・遺伝子発現解析ができるRNAパネルも導入しており、必要時には、RNAの解析を進めている。見つかった変異に対する分子標的薬がある場合は、薬剤を選択することが可能だが、日本で保険承認された造血器腫瘍に対する分子標的薬はごくわずかである。 

 また駒込ミエロイドパネルは、患者によっては表現型で鑑別が難しい再生不良性貧血とMDSを見分ける際にも補助診断の重要な情報となる。再生不良性貧血とMDSは治療方法が異なることから、その意義は大きい。またAMLの診断の際には、保険診療の検査では得られない融合遺伝子や遺伝子変異を検出、それを基にリスク判断を行えることから、移植適応判断にも重要な情報となる。このように都立駒込病院では、臨床情報と遺伝子解析の結果を、臨床医と臨床研究支援室で会議を行い、日本血液学会のエビデンス情報・薬剤情報を含めて詳細に治療方法を検討している。 

 何より全てが院内で実施(クリニカルシークエンスチーム)でき、検体採取から解析結果まで、約2〜3週間と期間が短いのが特徴である。臨床上、特に早急な判断が必要な際には、臨床研究支援室と臨床医が情報共有し、できるだけ早く検討して、患者の治療に生かしている。また2022年には、臨床研究支援室が中心となって、リンパ系腫瘍で頻度の高い85個の遺伝子変異を検出できる遺伝子パネルをつくり、臨床応用している。 

 現在、固形がんでは稀少がんと原発不明がんを除き、標準治療が終わった後のがんに限定して遺伝子パネル検査が行われている。これに対し駒込ミエロイドパネルを用いた検査は、初診時もしくは再発時に必要な症例を対象に実施する。その理由を、土岐氏は「AMLは複数のクローンで構成されていることが多く、病勢進行や治療によって主要なクローンの交代が起こります。そのため、固形がんよりも頻繁に検査をして、その時点における主要なクローンを標的にした治療を行うことが理想です」と説明する。 

 一方で、駒込ミエロイドパネルを用いた検査は保険診療の対象でないため、駒込病院倫理審査委員会が承認した臨床研究として、患者から同意を得て施行している。1回7万円ほどかかる費用の全てを病院の研究費から捻出せざるを得ない。これは都立駒込病院にとって大きな負担となっている。「必要な装置は東京都からの助成で賄えていますが、試薬や人件費は病院の持ち出しとなっています。正直いって、非常につらい状況です」と土岐氏は漏らす。 

 そうした厳しい状況にあっても駒込ミエロイドパネルの臨床応用を進めるのは、「第一に、造血器腫瘍の患者さんに最善の治療選択を行うためです。その上で、こういった遺伝子の結果と臨床情報をつなぎ合わせ、さらに次の患者さんに生かせるように皆で頑張っています。大学病院のように基礎研究まで行うことはできませんが、充実した臨床研究を進めることで日常診療の底上げに貢献したいと考えています」(土岐氏)という想いからだ。

血液内科のカンファレンス風景。

 「CAR-T外来」開設は将来の細胞治療への布石

 最新治療にいち早く取り組むという都立駒込病院の姿勢は、国内の医療機関に先駆けて開設された「CAR-T外来」にも表れている。CAR-T細胞療法は、患者のリンパ球の中のT細胞を採取し、悪性リンパ腫や急性リンパ性白血病の腫瘍細胞表面CD19抗原に対する受容体(キメラ抗原受容体:CAR)遺伝子を導入し、発現させたT細胞を患者に輸注して悪性リンパ腫や急性リンパ性白血病を攻撃する治療法である。2019年に治療不応の悪性リンパ腫と若年者の急性リンパ性白血病が保険適応となった。新たに2022年には、B細胞成熟抗原(BCMA)を標的としたCAR-T療法が多発性骨髄腫に対して保険承認された。 

 CAR-T細胞療法の登場によって、従来の抗がん剤やHSCTで治らなかった症例も治癒が期待できるとして注目されている。今までHSCTが必須とみられていた患者にCAR-T細胞療法を行った結果、長期生存する症例も海外で報告されていることから、将来はある一定の患者に対しては、HSCTに代わる根治療法になるのではないかとする見方もある。 

 一方でCAR-T細胞療法は、患者のT細胞を使うためにT細胞の疲弊度などにより、CAR-T細胞が作成できないことがある。また、CAR-T細胞の作成が主に海外で施行されているので、患者のリンパ球を採取してからCAR遺伝子の導入後に再輸入されるまで約1カ月強程度かかり、その間に患者の病勢が進行しないように最善の治療を行う必要がある。さらに、CAR-T細胞輸注時には、サイトカイン放出症候群・神経障害などの重篤な副作用が出現するリスクもある。こうした課題を克服して、より多くの患者を対象にスムーズにCAR-T細胞療法を実施するスキームを確立する上で、都立駒込病院のような拠点病院の果たす役割は大きい。 

 土岐氏は、このCAR-T細胞療法を入り口に今後、様々な細胞治療が開発されると展望する。それは都立駒込病院血液内科の近未来のミッションとも重なる。「将来はCAR-T細胞療法の適応が拡大するでしょうし、T細胞だけでなくナチュラキラー細胞(NK細胞)を用いた『CAR-NK細胞療法』も実用化する可能性があります。こうした新しい細胞療法モダリティが登場してきた時に、乗り遅れることがあってはならないと考えています。HSCT医療やCAR-T外来で培ったノウハウや経験を、新たな細胞治療の臨床プラットフォームの構築につなげていきたいですね」と土岐氏は意気込みを語っている。
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土岐 典子(どき・のりこ)氏

1997年旭川医科大学卒業、群馬大学医学部附属病院血液内科入局。以降、済生会前橋病院、深谷赤十字病院など群馬県近郊に勤務。2006年東京大学医科学研究所細胞療法分野(北村俊雄教授研究室)大学院生、Postdoctoral fellowとして勤務。2011年都立駒込病院血液内科医員、2017年血液内科医長、2021年より血液内科部長。日本血液学会専門医、指導医、評議員。日本造血・免疫細胞療法学会認定医、評議員。

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