コロナ対応で培ったスピード感で専門医育成に注力

琉球大学大学院医学研究科感染症・呼吸器・消化器内科学講座の第4代教授に就任した山本和子氏は、卒業した佐賀医科大学から羽ばたき、自らがイメージする将来像を目指して国内外各所の医療機関でキャリアアップを図ってきた。コロナ禍対応で培ったスピード感を生かして現在は、沖縄県内の高度医療を支える感染症内科、呼吸器内科、消化器内科などの専門医育成に注力している。

琉球大学大学院医学研究科
感染症・呼吸器・消化器内科学講座

琉球大学大学院医学研究科
感染症・呼吸器・消化器内科学講座
医局データ
教授:山本 和子 氏
医局員:42人
病床数:41床
外来患者数:1899人/月(2023年6月実績。新来86人、再来1813人)
関連病院:14施設(常勤として出向している施設)

 2022年10月、山本和子氏が琉球大学大学院医学研究科感染症・呼吸器・消化器内科学講座(琉球大学病院第一内科)の第4代教授に就任した。同講座の開講は1981年。以来、初代の小張一峰氏、第2代の齋藤厚氏、第3代の藤田次郎氏が繋いできたたすきを山本氏が受け継いだ。 

 山本氏の専門は感染症と呼吸器だ。肝臓内科を専門にする医師である父親の背中を見て育った山本氏は、医師という職業を自らの将来像として早い段階から意識していたという。だが、父親の米国留学に同行したことをきっかけに、外交官のような国際的な仕事にも興味を抱いた。鍋島藩の藩校を祖とする佐賀西高等学校の2年次に、理系に進むか文系に進むかで悩んだ末、より知識欲を満たせそうな道として医師を目指すことに決め、佐賀医科大学医学部(現佐賀大学医学部)に進学した。 

 卒業した大学の医局に入局することがまだ当たり前だった1999年、山本氏は初期臨床研修先に国立国際医療センター(現国立国際医療研究センター、東京都新宿区)を選び、競争倍率7倍の試験を突破して上京した。佐賀の実家から医学部に通っていたこともあり、「見聞を広めるために東京の大きな病院で研修したい」という思いからの選択であったが、薬害エイズ訴訟をきっかけに設置された同センターの「エイズ治療・研究開発センター」の活動を目の当たりにして、感染症領域の魅力に引き込まれていった。 

 「エイズ治療・研究開発センターには、全国からエイズの患者さんが集まってきていました。患者さんはHIV感染症だけでなく、多様な感染症を背負っていました。この時、感染症治療の奥深さを感じて「専門にするなら感染症」と思ったのですが、感染症はサブスペシャリティ領域なので、まずは内科の専門領域を決める必要があります。そこで後期研修先には、地元に近い九州で、父の専門である肝臓内科とこれまでに興味を持った内視鏡の検査・治療を学べる消化器内科をローテートできる国立病院長崎医療センターを選びました」(山本氏)。 

 長崎医療センター時代の山本氏は、主に消化器内科で診療に当たる一方、自分より経験が浅い医師には感染症治療に関する指導を行うなど充実した医師生活を送っていた。そんな時、医局で木下敏明氏(現長崎県島原病院院長)から「1カ月でいいから呼吸器内科を手伝ってほしい」と声をかけられた。消化器内科と違って呼吸器内科に在籍する医師はわずか2人と少なく多忙を極めている様子を見ていたため、山本氏はこの申し出を受けることにした。 

 この時の呼吸器内科での診療について、山本氏はこう振り返る。「感染症の患者さんが多く、また、がんの診療も患者さんや家族に寄り添いながら計画を立てて治療することができたので、とてもやりがいを感じました。『呼吸器内科は一生勉強しても飽きることはない』と確信したこともあり、呼吸器内科の専門医を取得することにしました」。 

かつて「閉鎖的」と感じた医局の魅力を再認識し大学へ 

 一通りの臨床経験を積んだ山本氏は学位取得のため、感染症を研究テーマにできる長崎大学の臨床検査部の大学院に進学した。長崎大学大学院では微生物の遺伝子検査をテーマとした研究生活を送り、学位を取得した。「今でこそPCR検査は容易になりましたが、2000年代にはまだ遺伝子検査は一般的ではありませんでした。私の研究の目的は、病原体と薬剤耐性を迅速・正確に同定し効果的な抗菌薬を選択できるようにする手法の開発でした」。同研究成果は学術的に評価され、2008年に日本化学療法学会学術奨励賞を受賞した。 

 また、大きな感染症診療グループを持つ同大学の第二内科のカンファレンスにも参加することができた。「カンファレンスでディスカッションしていく中で、閉鎖的という印象をもっていた医局に対する思いが変化していきました。医局員同士の家族のような関係性や、切磋琢磨しながら互いを高め合う姿にうらやましさを感じるようになり、大学院の修了と同時に第二内科に入局しました」(山本氏)。 

 入局後、山本氏は医局の教授である河野茂氏に米国への留学希望を伝えたところ、「まだ早い。みんなと仲間になってから行った方がいい」とアドバイスされた。そこから2年間、山本氏は病棟の入院患者を担当した他、呼吸器診療グループのチームリーダーや、研修医・医学部学生の指導などを任され、医局の一員としての職務を果たしていった。そして河野氏の了承を得て、念願の米国留学を実現した。 

 「長崎大学で比較的重症な呼吸器感染症を診療し、同じ菌による肺炎に同じ抗菌薬を使っても治療効果がある患者さんと亡くなる患者さんがいたため、患者さんの身体の免疫系の問題にフォーカスした研究を進めたいと考えました」(山本氏)。肺炎の免疫で有名な数カ所の研究室を訪ね、留学先はアメリカ、ボストン大学の呼吸器センターに決まった。4年間の留学は、学問はもちろん、生涯の友を得た、かけがえのない月日であった。 

 帰国後、長崎大学に戻った山本氏は、「長崎医療センターに感染症内科を立ち上げよ」という命を受けた。規模が大きな医療機関では厳密な院内感染対策が不可欠な上、術後感染症に対する専門医のアドバイスも重要だ。山本氏は呼吸器内科の診療と並行して、院内の有志を集めて感染症に関するコンサルテーションシステムを構築、年間100例以上の提案を各診療科の医師に行えるようにした。 

 2年をかけて同センターの感染症対応の基盤を作り上げたところで長崎大学に戻った山本氏は、臨床はもちろん、自らの研究や大学院生の指導、学会活動などにも力を入れるようになった。そして2020年、新型コロナウイルスの感染が広がり始めた。 

 「それまでの感染症専門医は、コツコツと学ぶことで得た知識を仲間と共有し、地域に還元していくことが使命でしたが、コロナ禍以降はスピード感が求められるようになりました。海外からの情報も含め新しい知識をどんどん発信していかないと、『専門家は何をしているんだ』というそしりを免れません。長崎大学で日本呼吸器学会の広報やコロナに関連した対策委員会を引き受けていたことから、私も事務局スタッフとして参加しました」(山本氏)。 

 これらの活動から山本氏の名前が広く知られ、感染症にまつわる様々な仕事が舞い込むようになった。新型コロナウイルス流行下において、現場で多忙を極める中でも積極的に新しい研究を推し進めることで、大型研究費も獲得できるようになった。活躍が多方面に広がっていったところ、琉球大学の教授選への応募を勧められ、山本氏は現職に就くことになった。

琉球大学大学院医学研究科感染症・呼吸器・消化器内科学講座の面々。

医局の魅力発信で沖縄にとどまる専門医を増やしていく 

 琉球大学の教授公募で、山本氏は「研究、臨床、教育をバランスよく、しかもスピード感を持って進めていく」ことを強調した。研究面では、沖縄の特徴を生かしたテーマを設定している。「沖縄県は観光客などの外来者が多く、年間1000万人が訪れます。それ故に新しい感染症が入ってきやすく広がりやすいのです。新興感染症を早期に捉えるために、人の流動や気象条件などと感染症の関係を解明していきたいと考えています」(山本氏)。 

 教育の面でも、山本氏は沖縄の特性に配慮している。沖縄では米軍占領時代、総合的な医療ができる医師を早急に数多く育成する方法が採られてきたため、現在も各領域の専門医が不足している。「沖縄県民が求める高度医療を提供していくためには専門医の育成が急務です。これは専門性が高い大学病院にこそ求められる仕事だと受け止めています。特に新専門医制度の下では、後期研修医は本土の中央に流れがちです。活気に満ちた沖縄を拠点に国内外の様々なコネクションを活かしてキャリア構築ができる第一内科の魅力を展開していきたいと考えています。」(山本氏)。 

 さらに山本氏は、医局に新たに加えたい要素として「多様性の尊重」を挙げる。「大学病院の医師だからといって、皆が皆、同じような医師になるわけではありません。学術を極める医師、地域医療に取り組む医師、行政に参加する医師など様々な選択肢を示せる『懐の深い医局』を目指していきます。同時に、ジェンダーや年齢、医局でのキャリアなどで進路を制限せず、誰でもチャンスに挑める環境を作りたいと思います」。 

 研修プログラムに関しては、後期研修をさらに充実させる必要があると山本氏は考えている。前述した米国式医学教育の効果から、沖縄県の医療機関は初期研修の研修先としての人気は高いが、後期研修は事情が異なるからだ。「第一内科の担当領域では、特に消化器内科の専門医が不足しています。沖縄には消化器がんや、アルコールによる肝胆膵疾患などの患者さんが数多くいますので、急ぎ消化器専門医の育成プログラムを構築し、来年からでも専攻医の募集を始めたいと計画しています」(山本氏)。 

 自身の専門である感染症や呼吸器内科領域は、山本氏自らの指導によって専門医を育成していく。一方で消化器領域について山本氏は、「地域医療を担っておられる同門の先生方の協力を得ながら、一緒に専門医を育てていきたい」と言う。この二面作戦によって、専門医の育成に弾みをつけたい考えだ。

医局の全スタッフが参加するカンファレンスの様子。

大学病院移転を機に高度医療や早期対応を一層推進 

 琉球大学の医学部と附属病院は、2024年度末に普天間への移転が予定されている。これに伴い「国際感染症センター」が開設される予定だ。「移転に当たっては、高度医療の拡充に加え、疾患の早期発見・治療などを推進するための検査・治療機器の充実などを図っていきたいと考えています。また、国際感染症センターにはサーベイランス部門が置かれるため、細菌学講座教授の山城哲先生と協力しながら、沖縄に生息する微生物や臨床検体より沖縄に特徴的な微生物などの調査を行い、ワクチンと関連させたデータベース『マイクロバイオロジーバンク』を構築することも計画しています」(山本氏)。

 山本氏は大学卒業以来、それまでの医療界の常識にとらわれず、常にチャレンジを繰り返しながらキャリアを切り開いてきた。その山本氏は今、若手医師に次のようなアドバイスを送る。「10年前の私は、今沖縄にいる自分をまったく想像していませんでした。その時々で対応しなければならない課題を乗り越え、チャレンジを繰り返してきたことが今につながっていると思います。チャンスは何度もあるわけではありません。勢いがある時に『流れ』に乗って目の前に現れた時に自ら決断し、つかみ取るものです。その『流れ』は、あらゆることにチャレンジして様々な人から色々なものを吸収していく中でこそ見つかります。そんな体験をしてみたい若い先生からの連絡をお待ちしています」。

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山本 和子(やまもと かずこ)氏

1999年佐賀医科大学(現・佐賀大学)医学部卒業。国立国際医療センター、国立病院長崎医療センター、長崎大学臨床検査医学講座、長崎大学第二内科などを経て、2008年長崎大学大学院医歯薬学総合研究科感染免疫学講座グローバルCOE研究員、2009年同講座分子疫学助教、同年米国ボストン大学呼吸器センター博士研究員、2013年国立病院機構長崎医療センター呼吸器内科、2015年長崎大学病院感染制御教育センター助教、2021年同病院呼吸器内科講師、2022年より現職。

 

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