東京大学医学部整形外科学教室は、日本で最も歴史が長く、規模も最大級の整形外科医局だ。医局内には10以上の専門グループが設けられており、医局の医師はいずれかのグループに所属して専門領域の知識を高め、卓越した手技を磨いている。一方で教育に関しては、ジェネラルな視野を持つ専門医の育成を重視している。医師教育の要となっているのは、バリエーションに富む数多くの関連施設と豊富な人材を生かした「ローテーションシステム」による専攻医研修プログラムだ。
東京大学医学部 整形外科学教室
東京大学医学部 整形外科学教室
◎医局データ
教授:田中 栄 氏
医局員:821人
外来患者数(新患):2000人/年、手術件数:1300件/年、入院患者数:1500人/年
関連施設:国立国際医療研究センター、日本赤十字社医療センターなど45施設
東京大学医学部整形外科学教室は1906年、外科出身の田代義徳氏によって開設された。日本における整形外科学教室第1号であり、「整形外科」という診療科の名称は田代氏が命名したものとされる。関節鏡の開発や脊髄電位測定、寛骨臼回転骨切り術や棘突起縦割法など、同医局で生み出された医療技術は数多い。
歴史の長さのみならず、規模においても同医局は日本最大級だ。医局員は800人以上で、4分の1が東大出身、残り4分の3は他大学卒業後に入局してきた医師たちだ。そのうちの約50人が東京大学医学部附属病院(東大病院)で勤務している。東大病院整形外科の年間外来患者数(新患)は約2000人で、入院患者数は約1500人だ。
関連施設は国立国際医療研究センターをはじめ、東京都立病院の約8割、日本赤十字病院など東京都内・近郊を中心に45施設がリストに連なる。東大病院整形外科単独の手術件数は年間1300件だが、関連施設を合わせると3万件に達する。関連施設数が多いだけでなく、1つひとつが診療、教育などで独自の特徴を持ち、研修病院としても人気が高い。関連施設の多さと多彩さは、東大整形外科学教室の特徴を形作る重要な要素となっている。日本で最も歴史が長く、規模も大きいこの医局を率いるのは第7代教授の田中栄氏だ。
「整形外科は運動器の問題を解決する診療科です。運動器の障害は全身で起るので、当医局では脊椎診、関節診、膝・スポーツ診、股関節診など10以上の専門グループを作り、大学病院および関連施設の医師はそれぞれのグループに所属して個々の知識や技術を高めています。東大病院の人工関節の年間手術件数は約300件、脊椎手術は約360件です。件数が多い施設は他にもあると思いますが、当診療科が手掛けているのはほとんどがリスクの高い症例、重症例であり、難しい手術の実施件数では突出しています。それでも成績はトップクラスです」と田中氏は言う。
田中氏が教授に就任した2012年以降、整形外科分野の手術、診断の技術は大きく進展した。それに対応してナビゲーション支援手術、ロボット手術、骨軟部腫瘍のゲノム解析など、最新の技術もいち早く取り入れて臨床応用してきた。2016年には人工関節センター、2020年には脊髄脊椎センターを立ち上げ、他の診療科との連携も進めているという。
「ローテーションシステム」でジェネラルな視点を持つ医師を育成
領域の細分化による、高度な専門医療の研鑽と提供が東大整形外科学教室の1つの特徴だ。しかし医師教育については、「脊椎や膝といった専門領域を極める前に、まずは整形外科の疾患全体を俯瞰できるジェネラルな視点を身に着けてもらうことを重視しています。それは昔から続く当医局の特徴です」と田中氏は話す。この教育方針で要となっているのが「ローテーションシステム」だ。
同医局のローテーションシステムでは、専攻医は複数の関連施設を順に回って研修を受ける。研修先となる関連施設は、年間手術件数が1000件以上の大規模病院、1000件未満の比較的小規模の病院、地域医療を担う病院、および大学病院の4つにグループ分けしてある。全ての専攻医は研修期間中にそれぞれのグループ内の病院を1つ以上回り、4年間で4〜5施設を経験することになる。
例えば、最初に東大病院で半年の研修を受けた専攻医は、次に東京都立墨東病院で1年、NTT東日本関東病院で1年半、茨城県立中央病院で1年の研修を受ける──といった具合だ。それぞれの施設は手術件数だけでなく、地域での役割や、対応することが多い疾患の割合、重症度などが大きく違う。性格が異なる4〜5施設で臨床経験を積むことにより、専門医に求められる知識と技能が過不足なく身に着くというわけだ。ちなみに、それぞれのグループ内のどの関連施設に配属されるかは、出身大学に左右されることなく、専攻医本人の希望施設を一部期間に取り入れた上で、残りはくじ引きで決まるとのことだ。
ファーストタッチした症例は難しくても最後まで担当する
東大病院整形外科と関連施設では、若い医師に積極的に執刀を任せて経験を積ませることが共通の方針となっている。関連施設で専攻医の教育に当たる指導医、上級医の多くも同医局のローテーションシステムを経てきた医師であり、長年その伝統が保たれているという。
研修中、専攻医が救急外来などを担当していると、難しい症例にファーストタッチすることがある。そのため、ある程度経験を積んだ医師に担当を引き継ぐ選択肢も考えられる。しかし東大病院整形外科では、「積極的に専攻医に主治医を任せて、手術に限らず、保存治療、病棟管理など、最初から最後まで責任を持って担当してもらうのが当医局の教育スタイルです」と宮原氏。「ただし任せ切りにはせず、必ず部長、副部長クラスの医師が指導に付きます。しっかりとサポートを受けつつ仕事を任される研修環境になっていると思います」とも付け加える。
「実際には──」と田中氏が補足する。「指導する医師がさじ加減をしながら、患者さんにデメリットが及ばないよう専攻医の研修を完全にコントロールしています。安全を担保しつつ教育効果を考えて専攻医に手術を任せるには、指導する側の医師に、度量も技量も必要です。とても難しいことですが、そういった対応ができる人材を関連施設に配置しています。当医局の関連施設は医師数が比較的多く、先輩医師にしっかりと見守られながら研修に取り組める点でも恵まれていると思います」。
専攻医プログラムの修了後は、いよいよ脊椎、関節、膝・スポーツといった専門領域の診療技術を研鑽する段階に入る。同医局では、各専門領域での専門医・指導医取得が見込まれる卒後10年(入局から8年)までをトレーニング期間と位置付けている。関連施設の中には、それぞれの専門領域を得意とする施設があり、専攻医研修を修了した医師は自身が思い描くキャリアに向けて勤務先を選ぶ。
トレーニング中の200人の医局医師を医局長がまとめる
東大病院整形外科は毎年20人以上の専攻医を受け入れており、専攻医研修中の医師は常に80人ほどいる。卒後10年目までの各専門領域を研修中の医師を加えると約200人となり、そのほとんどは大学病院外の関連施設で勤務している。トレーニング中の若手医局員のマネジメントとケアを一手に担っているのは医局長だ。
同医局の医局長の任期は1年で、卒後13年目の医師が務めることになっている。「トレーニング中には、自分でどんどん伸びていく医師がいる一方で、壁にぶつかって心が折れそうになる医師もいます。医局長には、悩んでいる医局員がいないか、しっかり目配りしてくれるようお願いしています。私も昔、当医局で医局長をやりました。若い世代のリーダーとして医局長を経験することにより、組織のマネジメントを学んでくれることも期待しています」と田中氏は話す。
2023年度の医局長を務めている宮原氏は、若手医局員の悩み事、医局の運営、本人のキャリアに関する希望などを定期的にアンケートで聞き取るほか、年2回の異動時期には約200人全ての若手医局員とウェブで面談している。面談は1人1回に限定せず、医局員の悩みが解決するまで根気強く回数を重ねるという。また、関連施設で教育担当を務める医師とも定期的に面談をして、トレーニング中の若手医局員の様子を聞き取っている。
若手医局員が、出産、育児、介護、本人の健康面などにより通常勤務が難しくなった場合も、医局長が中心になって対応する。「ローテーションシステムで関連施設を回っている人の場合、回る順番を少し組み替えることで、だいぶ状況が改善できます。例えば、関連施設のうち規模の大きい病院は出産・子育てのポストを設けていることが多いので、そこに一時的に配置転換するといった具合です。他の医局員の配属先との調整も必要でなかなか大変なのですが、医局員みなが無理なく働き続けられるように頑張っています」(宮原氏)。
「 100年先の医療」を見据えて研究にも取り組む
東大整形外科学教室では、もちろん研究にも力を入れている。医師が基礎研究に取り組むことの大切さについて田中氏は、「骨粗鬆症の薬やリウマチの薬がどうして効くのか、深く知らなくても使うことはできるかもしれません。しかし理解しているのとそうでないのとでは、随分と結果が変わってきます。ベストな治療を提供するには、薬の作用機序を根本から理解した上で、効果を最大限に引き出す手術のタイミング、手術の仕方を選択する必要があるからです。そういった考え方は基礎研究を通じて身に着くものです。ですから臨床をメインにしている医師であっても、臨床と研究の両方をやっていくことが大切だと思います」と話す。
同医局では、大学院に行くタイミングは特に決まっていない。専門医を取った後すぐに行く医師もいるが、入局から約10年経過して臨床がひと通りできるようになってから行く医師もいる。大学院在籍の4年間は、ときどき大学病院で臨床を手伝ってもらうことはあるものの、基本的には研究に専念できるようにしているとのことだ。
研究テーマについては、田中氏が長年取り組んできた骨代謝や軟骨などに関するものが現在も同医局における中心となっている。しかし、臨床に全く結びつかないように見える分野に取り組むことも重視していると田中氏は言う。
「恐らく100年前の人は、現代の治療を想像していなかったでしょう。同じように100年後には、今の私たちには想像できないような医療の発展が起こっているはずです。30年ほど前でさえ、『サイトカイン』は基礎研究のテーマにすぎず、整形外科分野の臨床には直接関係していませんでした。しかし基礎研究の積み重ねを経て、臨床を劇的に変えるリウマチ薬が誕生したのです。同じように今は整形外科に関係していない基礎研究が、将来、整形外科の診療に大きな変化をもたらす可能性は高いと思います。それがAI(人工知能)なのか、ゲノムなのか、それとも全く違う分野の発見なのかは分かりません。ですから、今は整形外科と関係ないように見える分野の情報も収集しつつ、先を読んで研究に取り組んでいくことが非常に重要だと考えています」
4つの理念を念頭に若い医師がやりたいことを実現できる医局を目指す
今後の抱負について田中氏は、教授に就任したときから掲げている医局の理念の実現を挙げる。その理念とは、①思いやりの気持ちを持って医療に取り組むこと、②卓越した技術のもとに安全・確実な医療を提供すること、③基礎・臨床研究を通じて未解決な問題に取り組むこと、④医療や医学を通じて社会に貢献すること──の4つだ。
「治療に当たっては、患者さんへの思いやりが大切です。そういった気持ちを忘れない医師を育てることを目指しています。しかし、いくら思いやりがあっても、知識や手技が不足していてはだめです。しっかりと研鑽を積んで卓越した手技を身に着けなければいけません。また、新しい技術の根本を理解するために基礎研究・臨床研究にも引き続き取り組んでいきます。そして、運動器の疾患で動けなかった患者さんを動けるようにして差し上げたり、仕事ができるようにして差し上げることを通じて社会貢献していきます」(田中氏)。
これらの理念の実現を目指しつつ、若い医師たちが自分のやりたいことができる医局にしていきたいとのことだ。「現在は、かなり理想的なところまで来ています。ですから維持するところは維持しながら、より良くするために変えるべきところは今後も変えていきます」と田中氏は話している。
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田中 栄(たなか・さかえ)氏
1987年東京大学医学部医学科卒業。1993年Yale University School of Medicine, Postdoctoral Associate。1996年東京大学大学院医学系研究科修了、医学博士。1996年東京大学医学部整形外科助手。2004年同講師、2008年同准教授。2012年同教授。2015年東京大学医学部附属病院副院長。2023年より東京大学医学部附属病院病院長を務める。