未来を見据え次世代の救急・集中治療医を育成

和歌山県立医科大学附属病院の高度救命救急センターには、県内各地から重症外傷や重症病態の患者が次々と運び込まれてくる。その多忙なセンターを支える救急・集中治療医学講座の教授に2023年10月、神戸大学で災害・救急医学分野の特命教授を務めていた井上茂亮氏が就任した。着任から間がないにもかかわらず、既に医学生や研修医への教育スタイルを大きく見直すなど、井上氏は独自の取り組みに動き出している。

和歌山県立医科大学
救急・集中治療医学講座

和歌山県立医科大学 救急・集中治療医学講座
◎医局データ
教授:井上 茂亮 氏
医局員:23人
救急患者数:救急車搬送5835件、ウォークイン5668件、
ドクターヘリ搬送513件
ICU:10床
関連病院:10施設

神戸大学で災害・救急医学分野の先進救命救急医学部門の特命教授を務めていた井上氏の元に、友人の救急医を通じて和歌山県立医科大学の救急・集中治療医学講座が教授を公募しているとの知らせがもたらされたのは2022年7月のことだった。その友人の勧めもあり同大学を見学したものの、井上氏には当初、迷いがあったという。 

 「和歌山県立医科大学は、関西でも屈指の外傷系の高度救命救急センターを擁することで知られており、圧倒的なドクターヘリの搬送件数と外傷手術の症例数があります。正直なところ、それを自分がマネージできるのだろうかという思いがありました」。そう語る井上氏だったが、周囲からの勧めもあって教授選への立候補を決意。2023年10月に救急・集中治療医学講座の第3代教授に就くことになった。 

「圧倒的な臨床力」を誇る医局 

 和歌山県立医科大学の救急・集中治療医学講座の強みについて、井上氏は3つの柱を挙げる。 

 1つ目は、重症外傷や重症病態の症例数の多さと、それに対応できるだけの「圧倒的な臨床力」だ。県内各地からドクターヘリで搬送されて来る患者は年500人以上、救急車も合わせた搬送患者数は6000人を超える。「当大学の救命救急センターは、他大学の救命救急センターとは比較にならないほどの重症患者がやって来て、なおかつ劇的に救命できているケースが多いのが最大の特徴です。外傷チームの臨床能力が高く、ERで開腹したり開胸したりするアキュート・ケア・サージャリー(ACS)の件数は2023年実績で283件に上ります。ここまで多く手がけている救命救急センターは、全国でも珍しい存在です」と井上氏は語る。 

 2つ目は、集中治療部門の充実だ。「当大学の集中治療部門には優秀なスタッフがそろっており、多くの臨床研究を進めています」と井上氏。集中治療ではクローズドICUを採用しており、10床と規模こそ大きくはないが、新生児の心臓手術の術後管理から重症外傷の管理まで広い範囲をカバーする。人工心肺はもちろん、ECMO(体外式膜型人工肺)やPCPS(経皮的心肺補助装置)、Impella(補助循環用ポンプカテーテル)といった新しい技術・デバイスにも対応する。「規模はともかく、集中治療のクオリティーは全国でもトップクラスといえるでしょう」と井上氏は胸を張る。 

 そして3つ目の柱が、「圧倒的な臨床力」を支える多彩な人材だ。同講座には23人の医局員が所属しているが、女性医師の割合は32%に及び、うち約3割が子育て中だという。「主治医制でなくシフト制を敷いていることで、女性医師にとって働きやすいワーク・ライフ・バランスの整った環境が実現できています。そのことが、優秀な人材を集めることにもつながっています」と井上氏は話す。 

 国立大学病院の救命救急センターには専任の救急医が5〜6人というところも少なくないが、和歌山県立医科大学では講座開設以来25年の歴史を重ねる中で、歴代教授や同門の医師たちの尽力により強固な組織が形作られてきたという。毎年数人の専攻医がコンスタントに入局しているほか、医局でキャリアを重ねた40歳前後の生え抜きの医師が各部門で中核的な役割を果たすようになっており、ERのチーフやICUのチーフ、HCUのチーフなどを務めている。

海を望む附属病院屋上のヘリポートで医局員たちと。前列中央が井上氏。(井上氏提供)

着任してすぐ教育スタイルの見直しに着手 

 これまで紹介してきた強みに比べ、井上氏が医局について「ちょっと弱い」と感じていたのが医学生や研修医に対する教育だった。そこで井上氏は教授就任直後から、教育スタイルの見直しに着手した。 

 まず手を付けたのが、従来の教授回診システムの撤廃だ。その理由について、井上氏は「大名行列のような教授回診だと時間がかかって皆疲れてしまいますし、参加者に大きな学びがありません。また全患者をラウンドする回診では十分な教育の時間が取れない上に、教育の対象が医学生なのか研修医なのか専攻医なのか、あいまいになってしまいます。このため、今は個々のレベルに合わせたベッドサイド・ティーチングを展開しています」と言う。 

 井上氏によるベッドサイド・ティーチングは、原則として週2回行われている。ICUの患者の元に医学生か研修医を5人ずつ同席させ、30分ほど丁寧に診察をしながら井上氏が同席者に多くの質問を投げかけ、回答をさせるというスタイルだ。「間違ってもいいから、とにかく自分で考えてアウトプットをさせるよう指導しています。また、医学生には記憶を定着させるため、当日のうちに講義内容をスライド化し、LINEのグループで共有するようにしています」。こう語る井上氏は、そのスライドが数日以内に医局ホームページの「資料集」に無料で公開されるシステムも始動させた(https://www.wakayama-med.ac.jp/med/eccm/library.php)。 

 このような教育スタイルは、井上氏が教授就任に当たり、教育面で定評のある救急医学の医局を5カ所ほど見学する中でヒントを得て、実践しているものだ。中でも強く影響を受けたのが、広島大学の救急集中治療医学教室の取り組みだったという。実際、上記のベッドサイド・ティーチングは同大学がモデルとなっている。また、藤田医科大学や聖マリアンナ医科大学からも学ぶことが多かったと井上氏は言う。

                                                                                ベッドサイド・ティーチングで研修医を指導する井上氏。(井上氏提供)

カンファレンスを自由に発言できる場に 

 症例カンファレンスのあり方も、井上氏は大きく変えた。「以前は、発表者のミスを指摘して突っ込むような形が多かったのですが、ネガティブな部分はできるだけ笑いに転換して、若い医局員が萎縮せず自由に発言できるよう心がけています。私自身は常に、発表者を褒める一方、漫才コンビのボケ役のようにクスッと笑ってもらえるような発言をすることを意識しています」とのことだ。 

 発表者のプレゼンのあり方も手厚く指導している。過去にはA4サイズの用紙にびっしりと文章を印刷し、それを読み上げるタイプのプレゼンが多かったというが、今は医学生や医局員に対し、7〜8分でスライドを展開する学会発表を意識したプレゼンとするよう求めている。井上氏は「聞き手を惹きつけるため、つかみの自己紹介では必ず笑いを取るようにアドバイスしています」と語る。 

 こうした指導の過程で井上氏は、医学生や研修医と一緒に過ごす時間を何よりも大事にしている。例えば、カンファレンスが終わった後は、感想を語り合うために学生たちと学食で一緒にランチを取る。学会出張の際には、医局員総出で懇親会を開く、といった具合だ。 

 「教授自らが若い医師と週2回なり3回、一緒に話をすることで医局の良い雰囲気が伝わり、うちに入局しようかと考えてくれるようになります。県内の関連病院の多くから救急医を派遣してほしいと言われているので、毎年10人くらいは専攻医を採っていきたいと考えています」。こう話す井上氏は「ここでは本当に多くの症例を経験でき勉強になるので、私自身が研修医として入局したいほどです」と付け加える。

                                                                               手の支配領域の神経を、体操を通じて覚えるよう医局員を指導する井上氏。(井上氏提供)

入局者確保に向けインスタグラムを立ち上げ 

 若手医師の入局を促進する上では、対外的なアピールも欠かせない。そのため井上氏は教授就任以来、教育面の見直しに加え、広報の面でも新たな取り組みを行っている。手始めに医局のホームページの写真の多くを明るい雰囲気のものに差し替えたほか、医局のインスタグラム(写真をベースにしたSNS)を立ち上げた。医局員のほかドクターヘリの機長も参加する15人のチームが、インスタグラムの投稿に当たっている。立ち上げからたった3か月しか経っていないが、フォロワーが1000人を越えようとしている。 

 「医局のインスタグラムには、今は見栄えを意識してかドクターヘリ関連の写真の投稿が多いのですが、今後は看護師などもチームメンバーに加え、幅を広げていく予定です。それらを救急に興味を持つ医学生に、ぜひ見てほしい。当大学の運動部のインスタグラムは全てフォローしているので、そこから医局のインスタグラムのフォロワーになってもらい、入局につながればと考えています。次世代の人材を1人でも多く採る上で、インスタグラムが大きな役割を果たしてくれると期待しています」(井上氏)。 

 もう1つ、井上氏が着手した対外的な取り組みで注目されるのは、地域の医療機関が同大学附属病院の高度救命救急センターに電話をかけた際の待ち時間の大幅な短縮だ。井上氏が教授就任直後、地元の医療機関に挨拶に出向いたところ、「電話をしてもなかなか救急医につながらない」との苦情を受けたという。そこで井上氏は、地元の開業医のふりをして何度か大学附属病院に電話をかけ、救急医につながるまでの時間を自ら計測。平均8分の時間がかかっていたことが分かったという。 

 なぜ、そこまで時間がかかるのか。原因を調べたところ、電話を受けた守衛が院内を歩き回って救急医を探し出し、電話を回していたことが明らかになった。「守衛さんの中には足のよくない人もいて、余計に時間がかかっていたのです。すぐに院内PHSを持ってもらい、呼び出しに使ってもらうようにしました。また、大学の代表を経由することなしに電話を受けられるよう、高度救命救急センター専用の回線も引きました」と井上氏。その結果、救急医に電話がつながるまでの時間が、平均で5分15秒短縮されたという。「やはり大学病院には、顧客サービスという視点が欠けているんですね。地域の患者さんのことを考えて動こうということで、関係者には納得してもらいました」と井上氏は話す。 

次の目標は基礎研究の充実と医局員の海外留学 

 教育や広報、地域連携などの面で矢継ぎ早に改革を進める井上氏だが、注目すべきはこれらの取り組みを、就任からわずか3週間程度で実現してしまっていることだ。そのスピード感には驚かされる。そんな井上氏の次なる目標は、研究の充実と、その先にある海外留学へと医局員を送り出すことだ。和歌山県立医科大学では現在、救急関連の大学院の講座が閉じた状態にあるため、井上氏は大学院生を広く募集して研究、特に基礎研究で学位を取らせることを計画している。 

 かつてリンパ球アポトーシスの研究に携わっていた井上氏は、救急医が基礎研究に取り組むことの重要性を熟知している。「基礎研究では、1つのテーマをものにするのに2年はかかります。ですから今の若手医師は敬遠しがちなのですが、臨床研究だけだとどうしても学問が浅くなってしまいます。救急医にとっては分子生物学的な研究をすることも非常に大事なので、今後はそういうトレーニングができる環境を整えていきます」と意気込む。 

 その先に見据えるのは、医局員の海外留学だ。「これまで当医局には、海外留学という前例や文化がありませんでした。基礎研究の基盤が整ったら、医局員には研究留学をどんどんさせたいと考えています。その際には、米国のボルツマン医学研究所の外傷センターへの留学など、私の海外の人脈も活用していくつもりです」(井上氏)。 

 その他にも中長期的な目標として、遠隔ICUを軸とした遠隔医療などにも取り組んでいく方針だ。そのためには、若手医師を中心とする多くの医局員の参画が欠かせない。「私たちは未来を見据え、次世代の救急・集中治療を担う人材を育成したいと考えています。共に学び、共に成長できる環境を用意していますので、ぜひ一緒に取り組んでいきましょう」と井上氏は呼びかけている。

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井上 茂亮(いのうえ・しげあき)氏

2000年香川医科大学卒業、京都大学医学部附属病院研修医。2001年浜松労災病院研修医、2002年東海大学臨床研修医。2008年米国セントルイス・ワシントン大学博士後研究者。2010年東海大学専任講師(救命救急医学)、2014年同専任准教授、2015年東海大学医学部附属八王子病院救急センター長兼専任准教授、2018年神戸大学大学院医学研究科外科系講座特命教授(災害・救急医学分野)。2023年より和歌山県立医科大学救急・集中治療医学講座教授、和歌山県立医科大学附属病院高度救命救急センター長。

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