2023年6月、九州大学医学部に救急医学講座 高度救命・災害医学分野が新設された。教授に就任した赤星朋比古氏は外科出身の救急医。専門分化により重症外傷に対応できない外科医が増えていることに危機感を持ち、救急の道に進むことを決断した。その経緯から、重症救急患者を救うために外科と救急との架け橋になることを目標に掲げている。救急医の専門医教育については、成人のみならず、小児、妊婦の救急疾患にも対応できるオールマイティーな救急医を育てたいと言う。外科や内科の専門医資格を併せ持つ「ダブルボード救急医」の養成にも意欲的だ。
九州大学 救急医学講座
高度救命・災害医学分野
九州大学 救急医学講座 高度救命・災害医学分野
◎医局データ
教授:赤星 朋比古 氏
医局員(救命救急センター):30人
救急車受け入れ数:約2200台/年
ドクターヘリによる救急搬送:約60件/年
関連病院数:5施設
九州大学病院の救命救急センターは2006年の設立以来、九州一帯および山口県西部からも最重症患者を受け入れ、3次救急の拠点としての役割を担ってきた。センター所属の医師は約30人で、年間の救急車の受け入れは約2200件、ドクターヘリによる救急搬送は約60件に及ぶ。
ただし、同大医学部には救急医学の医局がなく、救命救急センターで働く医師のほとんどが同病院の外科、麻酔科、内科、循環器内科といった関連医局からの出向者だった。そのため九大病院から関連施設に救急医を派遣することはできておらず、周囲の病院の救急医不足が深刻になる中で「九州大学でも救急医を養成してほしい」との声が強まっていた。そんな背景の下、2023年6月に救急医学講座 高度救命・災害医学分野が新設され、元第二外科(消化器総合外科)の赤星朋比古氏が初代教授に就任した。
救急医学講座 高度救命・災害医学分野教授の赤星朋比古氏。
ダメージコントロール手術で重症外傷患者を救命
外科出身の赤星氏が、救急医療の道に進むきっかけとなった症例がある。2009年、交通事故で重度の外傷を負った10代の女の子(女性)患者が九大病院の救命救急センターに搬送され、当時卒後10年目だった赤星氏が手術のために呼ばれた。「腹部、胸部の多くの臓器が損傷し、腹腔内は溢れた血液でいっぱいでした。バイタル反応も弱く、根本的な修復手術をしようにも患者さんはとても耐えられそうにありませんでした」と当時を振り返る。
幸いなことに外科医局には、「ダメージコントロール手術」を経験したことがある先輩医師がいた。ダメージコントロール手術とは、止血を目的とした簡略手術→ICUでの全身管理→再手術による修復・再建の3段階で救命を目指す救急外科手術の手法だ。救急部にいた救急医とともに協議をしながら懸命に手術を行い、この患者を救命することができたという。
当時、外科の専門分化が進み始めていた。自分の専門領域以外の手術はほとんどしたことがない若い医師が増え始め、その傾向は赤星氏の後の世代になるほど顕著だったとのことだ。赤星氏自身、先輩医師は経験したことがある「ダメージコントロール手術」を経験したことがなかった。「このままでは、重症外傷に対応できる外科医がいなくなり、これまで救えた患者も救えなくなってしまう。『この問題に誰かが取り組まねば』との思いを強く持ちました」(赤星氏)。
赤星氏は2010年、志願して外科医局から兼務の立場で救命救急センターへ出向し、以後、救急医療の道を歩むことになった。当時の思いを「自身が重症外傷に対応できる救急外科医になるとともに、これからさらに専門分化が進んでいく外科と救急との架け橋になろうと決意しました」と話す。赤星氏は2014年に救命救急センターの副センター長に就任、2022年には同センター長に就任した。
外傷救急患者の診療体制を構築、外科医向け外傷トレーニングコースも
「外科と救急の架け橋になる」取り組みの1つは院内の診療体制の構築だ。具体的には外科系の医師を主な対象として、外傷患者の手術に関する院内カンファレンスを1年に2回、開催し始めたという。カンファレンスの内容は、重症外傷患者が救急搬送されてきたことを想定して、どの診療科の医師がどのように対応すれば救命できるかを説明するとともに、互いに意見を交わし合うといったものだ。主な参加者は九大病院と関連病院の外科系医師。当初、参加者は少なかったが、今では、がんの手術が専門で普段は外傷の手術をする機会がない外科医も「緊急事態に備えて」と参加してくれるようになった。
「このような取り組みにより、九大病院の外科系診療科には外傷手術への対応が次第に浸透してきました。5年くらい前までは重症外傷の手術は私自身が執刀することが多かったのですが、現在では、オンコールで救命救急センターに呼ばれた外科医が対応できるようになりました」と赤星氏は話す。
もう1つ、赤星氏が力を入れてきた「外科と救急の架け橋になる」取り組みは、米国で開発された胸腹部の外傷手術トレーニングコース「ATOM(Advanced Trauma Operative Management)コース」の開催だ。九大病院と関連施設の外科医だけでなく、九州・中国エリアの外科医にも広く門戸を開いている。もともとは自治医科大学が日本で最初に実施し始めたトレーニングコースだが、赤星氏は同大でトレーニング長を務めていたアラン・レフォー教授にトレーニングのノウハウを学び、2010年に九州大学での開講を実現した。
ATOMコースは、心臓、肝臓、脾臓、膵臓など腹胸部の臓器損傷を修復する開腹手術のトレーニングで、3時間半の講義と3時間の実技で構成される。今では、日本ATOMコースは日本外科学会の公認となり、外科専門医取得の単位としてもカウントされるようになっている。
「このトレーニングコースで経験できるのは救急の現場で遭遇する外傷のほんの一部ですが、こうした基礎的な外傷への対応ができるようになることが救命への第一歩なのです。1人でも多くの外科医にトレーニングを受けてもらえるよう、これからも継続していきます。新型コロナウイルス感染症の影響で一時中断していたのですが、2024年から再開する予定です」(赤星氏)。
成人にも小児にも妊婦にも対応できる救急医養成を目指す
現在の救急医学講座 高度救命・災害医学分野のスタッフは教授の赤星氏と助教2人、医局員1人だが、2024年4月からは専攻医第1期生が加わる。赤星氏は同医局の専門医教育について、「1〜3次救急の手技をマスターしてもらうのはもちろんのこと、小児、妊婦の救急にも対応できるオールマイティーな救急医の育成を目指します」と話す。同医局の専攻医プログラムは3年間。1年目は九大病院の救命救急センターで主に重症患者の3次救急を学び、残り2年は関連施設で1次、2次救急も学んでもらう方針だ。
九大病院の救命救急センターには小児救命救急センターが併設されており、赤星氏は小児救命救急センターのセンター長も兼任している。小児救急については1次から3次まで全ての患者を受け入れている。成人と小児の救命救急センターがそろっている施設が周囲にはほとんどないため、同センターには妊婦の救急患者も搬送されて来る。そういった特徴を生かして、専攻医研修では小児救急患者への対応、妊婦の救急患者への対応もしっかり学んでもらう方針だ。「救急医を目指す医師は、どんな人でも助けたいはずです。成人だけでなく、子どもにも、妊婦さんにも対応できるオールマイティーな救急医を育てます」(赤星氏)。
今後は、小児救急がしっかり学べる環境を魅力に感じて、同医局に入局する医師も出てくることだろう。同講座の助教(救命救急センター・副センター長/診療講師)で小児科専門医でもある賀来典之氏は、この点について次のように話す。
「特に小児救急が学びたい医師にとっても、成人と小児の救命救急センターが併設されている当医局はとても良い研修環境です。小児科医だけでは対処しきれない重症外傷への対応も当センターで学べるからです。また、子どもの重症外傷患者は稀ですが、日ごろから成人の症例を経験することで経験値が上がり、救急医にとって大事な瞬発力を養うことができます。当医局での専攻医研修を通じて、子どもも大人も診ることができる『優しい救急医』に育ってほしいですね」
救急専門医の資格取得後は、本人の希望に応じて外科、整形外科、脳外科などプラスアルファの専門領域を持つ「ダブルボード救急医」を目指すことも可能だ。赤星氏は、「2023年度から、救急と外科、救急と内科といった基本領域のダブルボードも認められるようになりました。当医局は、救命救急センターでの協働を通じて九大病院の様々な診療科と良好な関係を築いており、それがプラスアルファの専門医資格取得でもメリットになるはずです。初療をしっかりこなすだけでなく、特定の分野では最後まで患者さんの治療に関与するダブルボード救急医をぜひ目指してほしいと思います」と言う。
九州大学・救急医学講座 高度救命・災害医学分野助教(救命救急センター・副センター長/診療講師)の賀来典之氏。
基礎研究の重点テーマは「ARDSをはじめとする重症臓器不全」
一方で大学医学部の医局として、基礎研究にも力を入れていく方針だ。医局立ち上げ時から既に大学院生5人(うち3人は留学生)が所属しており、新型コロナウイルス感染症が重症化する要因の1つでもある「急性呼吸窮迫症候群(ARDS)」の研究などに取り組んでいる。「ARDSで特に問題になるのは急性肺炎後の不可逆的な線維化です。現在、新規治療薬にて肺の線維化を防止する方法の開発に取り組んでおり、ゆくゆくは創薬につなげたいと考えています」(赤星氏)。その他にも臨床の場からテーマを拾い上げて、救急疾患の克服につながるような研究に積極的に取り組んでいくという。
今後の抱負について、赤星氏は、九州一帯と山口県西部エリアの重症救急患者を救う最後の砦として3次救急を担い続けるとともに、「救急と外科の架け橋になる」取り組みも続けていきたいと話す。
近い将来の具体的な目標については、まずは医局員を増やしたいとのことだ。「救急医不足で困っている福岡県内の病院に、なるべく早期に医局員を配置できるようにしたいのです。5年後をめどに10人以上の救急医を育てて、1〜2次救急を担う関連施設にも配置していきます。3次救急を担う救命救急センターと合わせて、1〜3次救急まで、どの段階の患者受け入れも断らない救急医療圏の構築を目指します」と赤星氏は力強く構想を語る。
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赤星 朋比古(あかほし・ともひこ)氏
1995年九州大学医学部卒業、九州大学第二外科・関連病院(研修医)。1998年九州大学大学院。2000年米国カルフォルニア・アーバイン校留学、Medical Researcher。2004年別府医療センター・九州医療センター外科。2006年福岡市民病院外科医長。2008年九州大学病院第二外科助教。2010年九州大学医学研究院災害・救急医学講師、九州大学病院救命救急センター兼務。2014年九州大学医学研究院災害・救急医学准教授、九州大学病院救命救急センター・副センター長。2022年より九州大学病院救命救急センター長。2023年より救急医学講座 高度救命・災害医学分野教授。