急性炎症性疾患の研究を極めるためオランダの大学へ

大阪大学医学部附属病院高度救命救急センターで救急医療に従事する特任助教の松本寿健氏が、2016年9月から約3年にわたって博士研究員として留学したのは、オランダ・アムステルダム大学附属病院のCenter for Experimental and Molecular Medicine(CEMM)。研究テーマを自分で決めて、留学先をPubMedの検索で選定した。先方の教授との交渉の後、必要なグラント(研究資金)を獲得し、留学するに至った。帰国後、留学先で得た成果を日本でさらに発展させ、救急医療につなげるために「急性期ゲノムプロジェクト」を発足させた。留学先で得た研究シーズを日本に持ち帰った松本氏の目標は、個々の重症患者に最適な個別化医療を実現することだ。

大阪大学医学部附属病院 高度救命救急センター

松本 寿健(まつもと・ひさたけ)氏
2006年鹿児島大学医学部卒。初期研修修了後、大阪大学医学部附属病院で重症患者を中心とする救急診療に従事。その後、同大学博士課程を経て2016年9月にオランダ・アムステルダム大学附属病院に留学。2019年10月に古巣の大阪大学医学部附属病院に戻り、現在、高度救命救急センターの特任助教を務める。


――留学先にアムステルダム大学附属病院のCEMMを選んだ目的を教えてください。
松本 私はこれまで救急医として重症救急患者を中心とする診療に従事してきました。その後、大阪大学医学部の生体統御医学・救急医学講座の大学院博士課程に入学し、敗血症や外傷などの急性炎症性疾患における免疫反応を研究していたのですが、研究者としてさらに研鑚を積みたいと思い研究留学することにしました。
PubMedを検索し、急性炎症性疾患に関する研究を行っているラボを探したところ、オランダのアムステルダム大学のCEMMが基礎と臨床の研究をバランスよく行っていることが分かりました。このCEMMから発表される論文は世界のトップジャーナルに採択されていたほか、そこの感染症グループのトム・ヴァン・デル・ポール(Tom van der Poll)教授は、『The New England Journal of Medicine』誌に重症敗血症や敗血症性ショックのレビューを発表するなど、この分野では世界的に著名な研究者でした。そのためCEMMへの留学を決心しました。
個人的にオランダという国に親しみを持っていたことも理由の一つです。オランダには、研究者ではないのですが親しい友人がいました。また新婚旅行でオランダを訪れており、妻ともども好印象を持っていたことも留学先の決定を後押ししました。

――ポール教授にはどのように連絡したのですか。
松本 研究室の紹介で行く留学ではなかったので、多くのことを独力で行う必要がありました。まず、ポール教授にメールを送りました。最初のコンタクトで自分を十分にアピールする必要がありましたから、CV(履歴書)とそれまでに発表した英文論文を添付しました。その結果、ポール教授とスカイプで面談する機会を頂戴しました。面談は30分ほどで、前半はどのような研究に取り組みたいかといった話が中心でしたが、後半は世間話なども交えて和やかに話が進み、その場で留学が決まりました。ただし、留学の実現にはグラント(研究資金)の獲得が条件となりました。それから半年間はグラントを獲得のために申請を繰り返し、10件ほど行ってようやくグランド獲得がかないました。

――語学の心配はなかったわけですね。
松本 留学を決める1年ほど前から教科書やスカイプ、そしてアメリカ人講師の英会話教室を通して英会話の勉強をしており、国際基準の英語能力測定試験のTOEFLで80点以上は取れるレベルに達していました。とはいえ、初めは英語での会話がうまくできず、日常会話に慣れるまで1年以上は要しました。留学生が多いCEMMでは英語が公用語でしたが、専門的な議論になると分からなくなることが多く、慣れるまで2年以上かかりました。

CEMMで初めての日本人留学生

――CEMMの研究はどうでしたか。
松本 最初は苦労の連続でした。私の属する感染症グループは、スタッフ5人、私を含め博士研究員8人、博士課程学生約30人、学部学生約15人、技術補佐員8人の構成でした。CEMM 全体で25カ国の以上の研究者が在籍していましたが、アジア人は少数派で、しかも私がCEMM始まって以来初の日本人ということでした。ですから戸惑うことが多かったです。
特に事務手続きは苦手でした。原因として、日本とオランダの社会システムの違い、専門用語が多用される点、複数の部署が関連することがあると思います。例えば動物実験の届け出も、大阪大学ならば問題なく済むような話が、CEMMではどこに電話連絡すればいいか分からず、方々に電話せざるを得なくなり1日かかってしまうというような状況でした。でも、そのような経験を繰り返すうちに、ほとんどのことは1人でやっていけるようになりました。最初は教えてもらうことばかりでしたが、やがてこちらから他の研究員に教えてあげることもできるようになりました。
肝心の研究ですが、ポール教授の指導の下、免疫応答で重要な転写因子NF-κBに関する遺伝子の研究を行いました。敗血症は「感染症に対する制御不能な宿主生体反応に起因した生命を脅かす臓器障害」と定義できます。細菌感染によって活性化した免疫細胞から産生される炎症性サイトカインにより急性炎症反応が誘導され、障害された細胞によってさらに炎症が促進されます。
私の研究テーマは、免疫細胞の1つである単核球のサイトカイン産生に関与するNF-κBを通じて、急性炎症反応を制御するための分子基盤を確立することでした。分からないことが多く大変でしたが、多くの同僚のサポートにより実験を進めることができました。また、研究室では基礎研究と臨床研究を両立して行っていたため、自身の基礎研究でも臨床検体を用いた橋渡し研究を行うことができました。多くの困難はありましたが、パリでの第17回ヨーロッパショック学会の口演で「Young investor award」をいただきました。現在、論文をまとめていて、年内にも発表できると考えています。

パリで開催された第17回ヨーロッパショック学会の口演で「Young investor award」を受賞した際のスナップ。(松本氏提供)

ポール教授の研究室では、基礎研究と臨床研究との合同ミーティングを行っていました。そこから、臨床研究に関しても多くのことを勉強することができました。臨床研究の1つとして、敗血症に対して網羅的遺伝子発現解析を行い、多様な宿主生体反応が予後と関連する4つの分子病態型(エンドタイプ)に分類できることを見いだしていました。将来はこのエンドタイプ分類に基づいて治療選択を行うことで、より高い治療効果が得られる可能性があります。治療反応に関連したエンドタイプのバイオマーカーが同定できれば、急性炎症反応に対してより精度の高い個別化医療も実現できるはずです。

留学の成果をAMED研究プロジェクトに結実

――オランダ留学での成果を、日本でどのように活用しようと考えていますか。
松本 帰国して大阪大学医学部附属病院高度救命救急センターに戻った後に、准教授の小倉裕司先生の指導の下、「急性期ゲノムプロジェクト」を発足させることができました。患者のゲノムやプロテオームなどの網羅的分子情報を解析して、全身性炎症反応症候群の新規病態を解明することを目的にしています。この急性期ゲノムプロジェクトはAMED(国立研究開発法人日本医療研究開発機構)にも認めていただき、支援を得ることができました。
この研究を発展させて、将来的には個々の重症患者に最適な個別化医療を実現する計画です。また、エビデンスが十分ではない敗血症性DIC(播種性血管内凝固症候群)の治療法の確立にも貢献できると考えています。
CEMMのラボでは研究の方法論とともに、ヒト単球実験、遺伝子編集、遺伝子導入実験、コホート解析など様々なスキルを身に付けることができました。日本に持ち帰ったこれらの知見を、今度は新しい治療法の確立につなげたいと考えています。
留学は苦労が多いことは確かですが、得られる成果はそれを上回ると私は確信しています。今回、家族も同行しましたが、小学生の子どもたちは流暢にオランダ語を話すようになり、妻も現地の友人と今も連絡を取り合っています。留学の経験は私だけではなく、家族にとっても大きな成長の機会となりました。若い研究者の皆さんにもぜひ、留学をお勧めしたいと思います。

ルーマニアで開催されたヨーロッパショック学会に参加したCEMMの感染症グループのメンバーたち。(左端が松本氏、松本氏提供)

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