独自の強みを作るため、あえて他科のラボに留学

長崎大学病院整形外科助教の千葉恒氏は、米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校放射線科のラボに約2年間留学した。専門外のラボを選んだ理由について千葉氏は、「自分独自の『武器』を手に入れたかった」と語る。留学時代に築いた人脈は現在に至るまで、大きな財産になっているとのことだ。人脈が役立った具体例などについても話を聞いた。

長崎大学大学院 医歯薬学総合研究科 整形外科学

千葉 恒(ちば・こう)氏
2001年長崎大学医学部卒業、同大整形外科入局。2011年長崎大学大学院医学研究科修了、 長崎大学病院整形外科助教。2011年米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校留学。2013年より現職に復帰。


――留学先はご専門の整形外科ではなくて、放射線科のラボだったそうですね。どのような理由で選択されたのでしょうか。
千葉 2011年6月から2013年7月までの約2年間、米国カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)に留学しました。あえて放射線科への留学を選んだのは、自分独自の「武器」を手に入れたかったからです。専門と違う分野を選べば苦労することは分かっていましたが、そこで得た知識・経験は帰国後、整形外科医としての強みになると考えました。
大学院博士課程でご指導いただいていた放射線科准教授の伊東昌子先生(当時、現・放送大学長崎学習センター所長)のつてを頼り、UCSF放射線科教授のシャーミラ・マジュンダー先生(Sharmila Majumdar, PhD; Professor, Radiology)のラボに留学しました。私の主な研究テーマは、同ラボの特色でもあるHR-pQCT(High Resolution Peripheral Quantitative CT)を使った画像解析でした。

留学先のUCSFのラボで、ボスのシャーミラ・マジュンダー教授(右)と。ラボの主な研究テーマはMRI、CTの画像解析と動作解析。30人ほどの研究者が所属する大所帯のラボだった。(千葉氏提供)

 

自身の留学きっかけに日本初のHR-pQCT導入が実現

 ――HR-pQCTとは、どういった装置なのですか?
千葉 HR-pQCTは、患者さんに使用可能なものとしては、最も解像度が高いCTで、通常のCTの5倍以上の解像度です。私が留学していた時にはまだ、日本には導入されていませんでした。
生体に対しては、手関節や足関節などの末梢骨のみが撮影でき、1回の撮影範囲は1〜2cm程度です。骨サンプルの撮影では、さらに2倍くらい解像度を上げることができ、撮影範囲は20cm程度まで広くなります。私の主な研究テーマは、HR-pQCTを使った骨サンプルの画像解析により、骨の微細構造について新たな知見を得ることでした。

――長崎大学は、現在、日本で唯一HR-pQCTを導入している大学ですね。千葉先生がUCSFに留学されてHR-pQCTを使った研究をされたことが、導入のきっかけになったのでしょうか。
千葉 そうですね。現・整形外科学主任教授の尾﨑誠先生が、私の留学中からHR-pQCTに興味を持ってくださいました。それで2013年に帰国後、導入を検討することになり、2015年に導入が実現したのです。現在、私が中心になってHR-pQCTを使った研究を45本走らせています。長崎大学整形外科学の特徴の1つにもなっています。

――それも留学の大きな成果ですね。
千葉 はい。留学先での研究は、2本の論文にまとめて雑誌に投稿しました。それに加えてHR-pQCTのノウハウを日本に持ち帰り、大学への導入につなげられたことも留学の成果だったと考えています。

 

新婚1カ月で渡米、難しい時期を一緒に乗り越え深まった妻との絆

――奥様も一緒に渡米されたのですね。
千葉 5月に結婚して翌月に渡米したので、私たちは留学のことを「長い新婚旅行」と呼んでいました(笑)。ただ、当初は、私はラボでのコミュニケーションに苦労していましたし、妻はサンフランシスコに友人がいなくて日中寂しい思いをしていました。互いに気持ちが不安定で、よく喧嘩もしましたが、難しい時期を一緒に乗り越えたことで、絆は深まったと思います。

――休日はどのように過ごされましたか。
千葉 家族で出かけることが多かったですね。2011年は2人で、2012年後半からは3人になりました。妻が出産で一時帰国後、新しい家族を連れて戻ってきてくれたのです。
月並みですがアナハイムのディズニーランドは楽しかったです。野球(MLB)も見に行きました。当時はまだ、イチロー選手(2012年にシアトル・マリナーズからニューヨーク・ヤンキースに移籍)、松井秀喜選手(2012年にオークランド・アスレチックスからタンパ・レイズに移籍、同年12月に引退)がいて、ダルビッシュ・有選手(2012年に日本ハム・ファイターズからテキサス・レンジャーズに移籍)がちょうどMLBデビューした頃でした。

 

休日に家族3人でゴールデン・ゲート・ブリッジを見に行ったときの写真。奥様が里帰り出産後、赤ちゃんを連れて戻ってきてくれて、米国での生活はさらに楽しくなった。(千葉氏提供)

 

――英語力については留学前後で、上達を実感されましたか。
千葉 リーディングはかなり上達したと思います。TOEICが1年で100点以上アップして、800点を超えました。毎日、英語の電子メールがバンバン入って来るので、対応しなくてよい怪しいメールなのか、すぐに対応しなければいけない大事なメールなのかを短時間で見極める必要にかられたのです。それがリーディングのよい訓練になりました(笑)。
残念ながらスピーキングは、ペラペラとまではいきませんでした。渡米してからもSkypeでの個人レッスンや英会話学校でのグループレッスンを受けたり、英語のドラマを何度も見返したりしたのですが……。ちなみにSkype英会話の接続先はフィリピンでした。米国留学中なのになぜフィリピン人の英会話レッスンを受けているのだろうと、何か矛盾を感じていましたが(笑)。米国人の先生に習うのと比べて、1時間当たりのレッスン料が圧倒的に安いのです。
留学前に自分が期待したほど英語力は上達しなかったものの、20〜30人の研究者を前に自分の研究について英語で発表し、数十分にわたって質疑応答に耐えるラボ生活を2年間続けたことで、大概のことには動じず、英語で対応できるようになりました。

 

研究者ネットワークに入る際も役立つ留学時の人脈は財産

 ――研究と英語以外にも、留学の成果はありましたか。
千葉 やはり人脈ですね。例えばHR-pQCTの関節リウマチ分野への応用はまだ初期段階で、どのように撮影して、どのような解析すればよいかが、しっかりと定まってはいません。それを決めるコンセンサスミーティングを欧米の有志研究者がクローズドでやっているのですが、そういったグループに入りたいと思ったとき、グループのメンバーに知り合いがいるかどうかがとても重要なのです。
マジュンダー先生のラボは、骨関節の画像解析の分野では有名で、しかも30人ほどの研究者を抱える巨大ラボでした。ですから出身者の中には、他の大学や研究所に移籍して主要なポジションを得ている人が少なからずいます。実際にコンセンサスミーティングのメンバーの1人が同ラボの出身者だったので、「マジュンダー先生のところで研究をしていた」「同僚には〇〇と〇〇がいた」などと私が話すと、「ああ、〇〇は知っている」「彼の子どもは大きくなった?」といった具合に話が盛り上がりました。そうやって親しくなると、グループの輪に入れてもらいやすくなるわけです。研究者のネットワークというのは、そこに入るための資格や試験があるわけではなくて、人と人とのつながりで運営されていることが実際には多いのです。

――最後に若い医師に、留学についてアドバイスをお願いします。
千葉 チャンスがあるなら、つかみ取ってほしいと思います。医師はライセンスに基づく職業なので、その気があれば75歳くらいまで、50年間は仕事を続けられます。そのうちの1〜2年間、海外に出て勉強することは、きっとその人の人生を豊かにするでしょう。収入が少なくなる、臨床技術面で置いていかれるなどと心配する人もいますが、私は全くそうは思いません。
 留学先については、自分の診療科とは違う分野に身を投じてみるのもよいと思います。それは苦しいだろうけれど、日本に戻ってきたときに必ず、自身の武器になると思うからです。




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