群馬大学整形外科学講座助教の須藤貴仁氏は、オーストリアのウィーン医科大学医学部リウマチ学教室に留学して今年3月に帰国。研究成果を持ち帰ることに加えて、長く付き合っていける友人を作ることも留学の目標にしていた。現地では、ラボで一緒に働く同僚に加え、バイオリニストや国連職員とも積極的に交流し、友好を深めることができたという。
群馬大学 大学院医学系研究科 臨床医学領域 整形外科学講座
須藤 貴仁(すとう・たかひと)氏
2000年東京医科大学卒。日本赤十字社医療センター初期臨床研修医、東京都立広尾病院後期研修医。2011年群馬大学整形外科入局。2017年群馬大学大学院修了、医学博士。2018年10月〜2021年3月オーストリアのウィーン医科大学に留学。2021年4月より現職復帰。
――欧州への留学から、今年、帰国されたそうですね。
須藤 オーストリアのウィーン医科大学医学部リウマチ学教室(Division of Rheumatology, Department of Medicine 3, Medical University of Vienna)に2018年10月から2021年3月まで、2年6カ月留学していました。
――どのような経緯でオーストリアを留学先に選んだのですか。
須藤 当初は米国や英国などの大学・研究機関を候補として考えていました。できれば英語圏がいいかなと思っていました。ウィーン医科大学への留学を選択した決め手は、リウマチ学教室の教授だったジョセフ・S・スモーレン(Josef S Smolen)先生が2018年4月に東京で開催された日本リウマチ学会で講演するために来日されていた際に、先生と直接お話ししたことでした。「留学を考えているのですが、先生のラボで受け入れていただくことはできますか」と、スモーレン先生にお聞きしたところ、その場で快諾していただけたのです。
また、ウィーンには新婚旅行で妻と一緒に1度行ったことがあって、そのときの印象がとても良かったことも留学先を決めた理由の一つです。私はよく旅行に行くのですが、その中で「ここなら住めるな」と思った街がいくつかあり、ウィーンはそのうちの1つでした。ウィーンの治安はとても良く、公用語はドイツ語ですが、スーパーマーケットなどでは英語が通じますので日常生活には困りません。また、日本が大好きなオーストリア人女性に聞いた話でもあるのですが、オーストリア人はドイツ人ほど自己主張が強くなくて、少し控え目な気質が日本人に似ているところがあります。
――スモーレン先生はリウマチの分野でとても有名な方ですね。
須藤 はい。欧州リウマチ学会(EULAR)の重鎮です。2010年に提唱した「Treat to Target(T2T)戦略」で広く知られていますが、大規模な臨床研究、基礎研究を今でも何本も走らせて、いくつもの重要な発見・発表をされています。スモーレン先生のラボで研究できるチャンスがあるなら、ぜひオーストリアに留学したいと思いました。
実は、私の留学期間中にスモーレン先生はウィーン医科大学を定年退官され、現在はEULARの雑誌「Annals of the Rheumatic Diseases(ARD)」のエディターをされています。また、院内にEULARの事務局があり主にそちらで仕事をされています。スモーレン先生からリウマチ学教室を引き継いで教授に就任したのはダニエル・アレタハ(Daniel Aletaha)先生です。アレタハ先生は、欧州と米国のリウマチ学会が共同作成した関節リウマチの新分類基準を発表した先生です。ウィーン医科大学にはリウマチ分野で著名な医師、研究者がたくさんいて、欧州のリウマチ学研究の拠点の1つです。
ウィーン医科大学リウマチ学教室に所属する医師は約25人
――ウィーン医科大学のリウマチ学教室はどんな様子だったのですか。
須藤 日本の大学医局と比べると、基礎研究のラボと臨床現場の距離感が近いように感じました。同じ建物の同じ階に診察室とラボがあって、実際に行き来もしやすかったです。
教室に所属している医師は25人くらいでした。皆が基礎研究と臨床を同じ比重でやっているわけではなくて、20人くらいが臨床、5人くらいが基礎研究をメインに担当し、どちらに軸足を置くかがはっきり分かれていました。臨床中心で基礎研究を全くしない医師や、基礎研究メインで週1回だけ外来を担当する医師もいました。附属病院は欧州でも有数の規模を誇り、病床数は1700床以上あって、ドイツやフランス、オランダなどとの共同研究も盛んに行われていました。
リウマチ学教室のメンバーと。同教室では1年に1度、2泊3日の旅行が恒例となっている。朝から夕方まで臨床・基礎研究についてのディスカッションや教室の運営に関する議論などを行い、夜は飲み会、ボウリング、ダンスなどに興じた。左端が須藤氏。(須藤氏提供)
――須藤先生の研究内容について教えていただけますか。
須藤 現在、論文投稿中なのであまり詳しくは言えないのですが、滑膜細胞に発現しているTNFレセプター2の作用機序の解明が私の研究テーマでした。リウマチ患者さんの滑膜細胞に発現しているTNFレセプター2は病態の進行に重要な役割を担っている可能性があり、その一端を解明 するために毎日実験室に通いました。
――しっかりと留学期間中に成果を出されたわけですね。
須藤 論文を書いて発表することはもちろん大切ですが、それだけでなく、日本に帰って役立ちそうなら、どんな小さなことでも吸収しようと考えていました。例えば滑膜細胞の培養方法など、留学中に学んだ実験手技の1つひとつも、大切な成果だと思います。日本でも滑膜細胞は入手できるので、アイデア次第で、新たな研究テーマの探求につなげられると思っています。
現地でオーストリア人、日本人の友人を作ることも留学の目標に
――研究関連以外で、留学の目標にしていたことはありますか。
須藤 ある程度時間に余裕ができるだろうから、その時間を生かして長く付き合える友人を作りたいと思っていました。オーストリア人だけでなく、現地で暮らしている日本人も含めてです。また医師だけでなく、他分野の友人ができるといいなと考えていました。
――他分野の友人を作りたいと考えたのはどうしてですか。
須藤 医療分野以外の職種と比べると、医師は他分野の方との交流が少なく、人脈を広げる機会が限られていると私は思っています。少なくとも私はそうだったので、いろんな分野の人と出会っていろいろな考えを学び、感じたいと思いました。
――狙い通り、友人はできましたか。
須藤 はい。リウマチ学教室で同僚だったオーストリア人医師や、テクニシャンの何人かと仕事の後に食事に行ったり、互いの家に招いたり招かれたりして、とても良い関係が築けたと思います。また、私と同様、留学で来ていた他科の日本人医師とも、日本人コミュニティーを通じて友人になることができました。
それからバイオリン奏者やピアノ奏者など、音楽家の友人もできました。オーストリアは有名な音楽家を輩出している国で音楽がとても盛んです。音楽留学で来ている日本人もかなり多くいました。
あとは国際連合の機関で働いている方とも現地で知り合い、現在も連絡を取り合っています。ウィーンはニューヨーク、ジュネーブに次ぐ第3の国連本部があります。国際原子力機関(IAEA)や政府代表部などの機関で働いている人も多いです。
ラボのメンバーと仕事終わりに一杯。オーストリアの1人当たりビール消費量は世界トップ3に入る。(須藤氏提供)
オーストリアの治安は日本と同レベル、子ども連れにフレンドリーな街
――週末はどのように過ごされましたか。
須藤 妻と子どもたちの4人で、オーストリア国内や周辺国を旅行するなどして楽しみました。国内で特に印象に残っているのはハルシュタット(Hallstatt)です。雄大な山間部にある湖畔の美しい町で、その景観は世界文化遺産にも登録されています。
オーストリアは欧州のほぼ中央に位置していて、交通も発達しているのでヨーロッパのどこに行くにも便利です。短い休みにはハンガリー、チェコ、スロバキアなど、少し長い休暇にはイタリア、ドイツ、スペイン、フランスなどの周辺国にも足を延ばしました。ヨーロッパ留学の醍醐味かと思います。
――留学に一緒に行かれた奥様のご感想はどうでしたか。
――最後に、留学を検討している若い医師にアドバイスをお願いします。
須藤 無理に行く必要はないけれど、行きたい気持ちがあるなら絶対行った方がよい、というのが留学前から変わらない私の考えです。行ったからといって自分の根本が変わるわけでありません。行かなければダメということでは全くありません。ただ、「留学したいと思って行ったけれど、やっぱり行かなければよかった」という人に、私はまだ出会ったことがありません。もちろん私も、行ってよかったと思っています。
留学期間中は時間に余裕が持てますから、家族連れで留学するのなら、家族との関係を深めることができるでしょう。現地では、新しい友人や知人ができると思います。色々な人と関わり、様々な話を聞いて、自分自身の生き方を見つめ直す良い機会にもなると思います。研究に加えて、「家族」「友人」「自分」の3つの面で、私は成果があったと感じています。
同じように留学していた日本人医師たちの状況を見ても、欧州の大学や研究機関で、有給のポジションを得るのは難しいのが実情です。その点では、米国への留学と比べると若干ハードルが高いのかもしれません。しかし留学資金の問題は、奨学金や留学期間を調整したりすることで何とかなります。行きたい気持ちがあって時間の都合がつくなら、行って後悔はしないと思いますよ。
海外留学の意義は「キャリアアップ・プラス・アルファ」
2021.09.01
世界最先端の研究施設で脳梗塞研究に打ち込んだ2年間
仲村 佳彦(なかむら・よしひこ)氏
2004年福岡大学医学部医学科卒、福岡大学病院初期臨床研修医。2006年福岡赤十字病院 救急部。2008年前橋赤十字病院高度救命救急センター(うち5カ月間は日本医科大学高度救命救急センターへ国内留学)。2012年福岡大学病院救命救急センター助教。2014年福岡大学病院救命救急センター講師。2016年救急振興財団救急救命九州研修所専任教授。2018年米国ハーバード大学医学大学院/マサチューセッツ総合病院リサーチ・フェロー。2020年より現職。