福岡大学病院救命救急センター講師の仲村佳彦氏は、米国ハーバード大学医学大学院の関連病院であるマサチューセッツ総合病院(MGH)に留学していた。学位論文研究の過程で習得していたモデル動物作成手技が評価され、留学2年目には有給のリサーチ・フェローのポストを得ることができた。資金面などの問題から一時は諦めかけていた海外留学が、夫人の後押しで実現したという。
福岡大学病院 救命救急センター
仲村 佳彦(なかむら・よしひこ)氏
2004年福岡大学医学部医学科卒、福岡大学病院初期臨床研修医。2006年福岡赤十字病院 救急部。2008年前橋赤十字病院高度救命救急センター(うち5カ月間は日本医科大学高度救命救急センターへ国内留学)。2012年福岡大学病院救命救急センター助教。2014年福岡大学病院救命救急センター講師。2016年救急振興財団救急救命九州研修所専任教授。2018年米国ハーバード大学医学大学院/マサチューセッツ総合病院リサーチ・フェロー。2020年より現職。
――米国ハーバード大学医学大学院(Harvard Medical School)に留学されたそうですね。
仲村 関連病院であるマサチューセッツ総合病院(Massachusetts General Hospital:MGH)に基礎研究留学していました。MGHは臨床での評価が非常に高い病院ですが、それだけではなく、米国立衛生研究所(NIH)のグラント獲得数・金額でも全米トップ10に入る世界最先端の医学研究施設です。
私が所属していたラボは脳梗塞研究を行っているNPRL(Neuro Protection Research Laboratory)です。教授のエング・H・ロー先生(Eng H Lo, Professor of Radiology, MGH)を頂点として、6人のAssociate ProfessorおよびAssistant ProfessorがPI(Principal Investigator)を務めていました。私はPIの1人である早川和秀先生(Assistant Professor of Radiology, MGH)直属のリサーチ・フェローとして、2018年4月から2020年3月までの2年間、同ラボで働きました。
写真奥がMassachusetts General Hospital (MGH)の正面入り口。(仲村氏提供)
帰国直前、最後のミーティング後にラボのメンバーと記念撮影。以前は手術室以外でマスクを着用することはなかったが、新型コロナウイルス感染症の拡大によりラボでもマスク着用となった。(仲村氏提供)
モデル動物の作成手技が高く評価され留学先が決定
――留学に至る経緯を教えてください。
仲村 私は福岡大学医学部を卒業後、救急医としてひたすら臨床に力を注いできました。2012年に福岡大学に戻った後は基礎研究もやってみたいと考え、救急医療と接点がある研究テーマを探しました。しばらく検討した後、病棟薬剤師から受けた質問をきっかけに、他疾患の治療薬が脳梗塞の治療薬としても使えないか探ることを自分の研究テーマに決めました。
この研究を進めるためには、脳梗塞のモデル動物が必要でした。そこでまず、ノウハウを持つ福岡大学薬学部で指導を受け、モデル動物の作成手技を習得したのです。
海外留学については、チャンスがあれば自分も行ってみたいと考えていました。そのような中、大学院卒業後に、福岡大学薬学部出身でありMGHでPIを務める早川先生が、脳梗塞モデル動物の作成手技に長けた研究者を探していることを聞きました。そこで留学したい旨を薬学部の教授から伝えてもらったところ、順調に話が進み、留学が決まったという経緯です。
――習得していた手技が役立ったわけですね。
仲村 それがなければ採用されなかったと思います。しかし、留学先では手技を少し変更する必要がありました。福岡大学薬学部では脳梗塞モデルマウスを裸眼で作製するのが伝統で、私もその方法を習得していましたが、一般的にはマイクロスコープ下で行うことの方が多く、MGHでもマイクロスコープ下に動物モデルの作製を行っていました。裸眼で手術したモデル動物でも十分に安定したデータが取れますが、MGHでは脳梗塞処置を行うための血管内に塞栓物質を挿入する位置が異なっていたので、裸眼での手術は困難なため、マイクロスコープ下で手術するMGHの方法に切り替えました。
帰国後、福岡大学に、マイクロスコープ下でMGHと同じモデル動物が作成できる体制を整えました。留学前から作製していた脳梗塞モデルマウスは裸眼で作製すればよいのですが、帰国後は自分の視力も衰えたのか裸眼で作製ができなくなってしまったことに加え(笑)、MGHのモデル動物作製方法は世界のスタンダードなので、その手技も習得しておくことは海外留学を目指す若い人たちに役立つだろうと考えたからです。
――留学先での研究内容について教えてください。
仲村 早川先生は、脳梗塞が起きた際にアストロサイトという細胞がミトコンドリアを神経細胞に引き渡して神経細胞を救おうとする反応が起きることを発見し、2016年にNature誌にその研究成果を発表しています。次の研究目標の1つは、外部からミトコンドリアを補えば脳梗塞治療効果が得られるのかを探ることでした。
私は主に、このテーマの研究を手がけていました。具体的には、様々な臓器からミトコンドリアを単離してミトコンドリアの活性を評価すること、単離したミトコンドリアの機能が低下している場合にはその機能を回復させる方法を探ること、実際に単離したミトコンドリアを脳梗塞モデル動物に投与してその効果を確認することなどです。
――研究成果はいかがでしたか。
仲村 マウス胎盤から単離したミトコンドリアをモデル動物に投与すると、脳梗塞の体積が減少することを確かめました。将来、ミトコンドリアを抽出するドナーは患者自身である必要はなく、他家移植の実現につながる可能性があります。この研究結果は既に論文発表しています。
一方、脳の細胞から単離したミトコンドリアには十分な活性がありませんでしたが、化学的な処理により活性が高まることを発見しました。こちらの研究成果も先日、論文が公表されました。
留学先で研究の指導を受けた早川和秀先生(右)と記念撮影。NPRL(Neuro Protection Research Laboratory)では世界最先端の脳梗塞研究を行っていた。(仲村氏提供)
―――研究成果に満足されていますか。
仲村 予想以上の成果を上げることができて大変満足しています。PIの早川先生、ラボのメンバーには感謝の気持ちでいっぱいです。一方で、心残りが全くないわけではありません。実は2年目の後半に早川先生から、「もう1年滞在して研究を続けないか」という打診を受けました。とてもありがたく、正直、かなり迷いました。しかし結局は、当初の予定通り2年で留学を切り上げて帰国しました。
もう1年滞在できれば、もっと大きな業績が出せるはず。しかし留学資金のこと、子どもの教育のことなどを考えると、もう帰国せざるを得ない──。それが私の出した結論でした。
MGHに留学で来ている日本人研究者は、みんな同じように葛藤していました。これは海外留学した人にしか分からない気持ちかもしれません。異国の地で志高く研究に打ち込む人たちと同じ時間、同じ葛藤を共有できたことも、私にとってすごく良い人生経験だったと思います。
――日本人PIのもとで働いたことについてはどうでしたか。
仲村 ラボの公用語は英語なので、日本人同士でもラボでは英語で話すのが基本ルールです。しかし研究が佳境に入ってくると、早川先生とは次第に日本語でディスカッションすることが多くなりました。やはり日本語の方が深いコミュニケーションができるからです。研究の効率を上げるという面では、日本語が通じてよかったと思います。
その一方で、英語を話す機会があまり多くなく英語が思ったほど上達しなかったのですが、研究成果も出て、日本ではできない経験がたくさんできて満足しています。
妻に「今行かなかったら後悔するんじゃないの」と言われ留学を決意
――留学には家族で一緒に行かれたのですか。
仲村 妻と4人の子どもたちの家族6人で行きました。渡米時の子どもの年齢は上が7歳、次が3歳、下は双子で1歳でした。
――海外留学について、奥様はどんな意見だったのですか。
仲村 妻は「今行かなかったら後悔するんじゃないの」と背中を押してくれました。金銭的な負担の大きさなどの理由で断念する方向に傾いていましたが、妻のひと言で決意が固まりました。
米国滞在中も、妻は本当によく支えてくれました。ボストンは全米4位と言われるほど物価が高い街です。お金を節約するために双子の子どもは保育園に預けず、日中は妻が1人で面倒を見てくれました。また、上の子どもの友達の家族とは一緒に食事をするほど良い関係が築けたのですが、それも妻が積極的に交流して「ママ友」になってくれたおかげです。本当に感謝しています。
――休日の過ごし方、行った先などで特に思い出に残ったことはありますか。
仲村 野球のメジャーリーグ(MLB)のボストン・レッドソックス対ロサンゼルス・エンゼルスの試合を観に行きました。大谷翔平選手が生で見られて、子どもたちは大喜びでした。青空の下、ビールを飲みながら観戦するMLBの雰囲気は最高でした。
カナダと米国の国境にあるナイアガラの滝も見に行きました。ボストンからは自動車で7〜8時間くらいです。自宅で作ったおにぎりを車内で食べながら、妻と交代で運転して行きました。滝は壮大でとても良かったですよ。ほかにもワシントンDCや、海沿いのきれいな町ケープコッドなどに行きました。
それからニューヨークにも行きました。やはり世界有数の大都市で、ビルの感じとか、歩いている人の雰囲気とかがとても素敵でした。学生時代に1度行ったことがあり、懐かしさも感じました。
ニューヨークやボストンに限らず、米国の街はどこも、子ども連れに優しかったです。双子用の大きなベビーカーを押していても誰も邪魔そうな素振りをしません。満員電車でもレストランでも、みんなニコニコしながらサポートしてくれます。子どもを大事にする文化が根づいていて、米国はすごいなと思いました。
息子さんと一緒に大谷翔平選手が出場するMLBの試合を観戦。(仲村氏提供)
――最後に、海外留学を検討している医師にアドバイスをお願いします。
仲村 留学資金の準備は重要です。私の場合、留学1年目は福岡大学からの奨学金、2年目はMGHからの給与、それに加えて貯金を切り崩して生活しました。海外では治安をお金で買うことになるので、居住費だけでも高額になりがちです。特にボストンのような物価の高い街では、ラボからの給与と奨学金だけで留学費用をすべて賄うのは困難です。なので留学を考えているなら、なるべく早い時期からしっかり貯金をしておくことを勧めます。お金の余裕が心の余裕につながります。
とはいえ、準備がまだ十分ではない、少々タイミングが早いかなと思っても、行くと決めたら腹をくくって行く。そういった意気込みや勢いも、留学を実現する上では大事だと思います。人生は1回きりなので、チャンスが訪れた場合は、そのチャンスを逃さずにつかんで行くべきだと私は思います。
米国の最先端の研究施設には世界中からたくさんの研究者が集っています。新型コロナウイルス感染症に負けないで、日本人も引き続きどんどん世界に出て行ってほしいと思います。留学先ではつらいこともあるでしょうが、結局は全てが、かけがえのない経験になるはずです。
最後にこの場を借りまして、留学生活を支えてくれた家族、福岡大学病院救命救急センタースタッフ、福岡大学薬学部の先生方、研究員助成の支援を頂いた福岡大学に感謝いたします。