脊髄損傷研究の実験技術を学んだ「修行」の1年間

鳥取大学医学部整形外科学助教の三原徳満氏は米国・マイアミ大学に留学した経歴を持つ。脊髄損傷研究の実験技術を学び医局に持ち帰ることを目標に掲げ、渡米した。留学期間中にラボのPI(Principal Investigator)がシカゴに移住してしまうといったハプニングも起こったが、「修行」と捉えて乗り越え、無事に成果を得て帰国できたと振り返る。

鳥取大学医学部附属病院 整形外科

三原 徳満(みはら・とくみつ)氏
2006年鳥取大学医学部医学科卒業、島根県立中央病院嘱託医師。2008年安来市立病院整形外科医長。2009年益田赤十字病院整形外科医師。2011年鳥取大学医学部附属病院医員。2015年松江市立病院整形外科副部長。2017年鳥取大学医学部附属病院助教。2018年鳥取大学大学院医学系研究科医学専攻博士課程卒業、Miami University research fellow。2019年より現職。

――米国フロリダ州のマイアミ大学に留学されていたそうですね。

三原 2018年10月から2019年9月までの1年間、米国マイアミ大学のThe Miami project to Cure Paralysisという施設で基礎研究を行ってきました。当医局の教授である永島英樹先生が留学されていた施設で、医局の紹介で私も留学しました。私が所属したのはマーチン・オッデガ先生(Martin Oudega, PhD,現在の所属はProfessor, Physiology and PTHMS, Northwestern University)がPI(Principal Investigator)を務めるラボでした。

ラボのメンバーとの記念写真。中央の男性がPIのマーチン・オッデガ先生。(三原氏提供)

 

実験技術の習得を目的に掲げて留学

――留学先ではどのようなポジションだったのですか。

三原 リサーチ・フェローです。所属する大学医局によって事情が異なるようですが、鳥取大学医学部では、海外留学1年目は大学から給与が引き続きもらえます。別の大学から同施設に留学で来ていた日本人医師の1人は私と同じように日本の大学から給与をもらっていましたし、別の医師は日本の大学からはもらえないとのことで、マイアミ大学で有給のポジションを得ていました。

――どのような経緯で海外留学することになったのですか。

三原 自然と留学が決まりました。正直なところ「留学したい」という強い思いが以前からあったわけではありません。しかし行くと決まってからは、自分なりに留学の目的をしっかりと定めました。その目的とは「脊髄損傷の基礎研究の方法を学んでくること」です。当時、当医局は脊椎関連の基礎研究を全く手掛けていませんでした。研究を早期に開始すべきという永島先生の意向もあり、そのための実験技術を留学先で習得したいと考えたのです。

――留学先での研究内容について教えていただけますか。

三原 私の研究テーマは「脊髄損傷周囲のグリア瘢痕の抑制」でした。モデル動物の脊髄損傷部分にシュワン細胞(schwann cell)を移植すると、頭側のグリア瘢痕を通過して軸索は伸長するものの、尾側は通過できないことがオッデガ先生のラボの先行研究で分かっていました。これを受けて私の研究のテーマは、薬剤でグリア瘢痕を抑制できるかどうかを動物実験で探ることになりました。

 具体的な研究の流れは、脊髄損傷モデルのラットを作成して、グリア瘢痕の抑制が見込まれる薬剤を投与し、ラットから取り出した組織を免疫染色してスキャナで画像データを取り込み解析する──といったものです。マイアミ大学では画像データの取り込みまでを繰り返し行いました。帰国後、オッデガ先生と連絡を取りながら画像データの解析を行っていたのですが、ようやく成果がまとまり近々論文発表できる見込みです。

留学期間中にPIがシカゴへ移住するハプニング

――留学先での研究は順調に進みましたか。

三原 実はPIのオッデガ先生が、留学期間中に、マイアミからシカゴに移住してしまいました。オッデガ先生の奥さんがヘッド・ハンティングされてシカゴの会社に転職し、それに伴いオッデガ先生も一緒にシカゴに行ってしまわれたのです。そのため留学期間の後半、オッデガ先生とのディスカッションはマイアミ・シカゴ間でSkypeを通じて行っていました。

 不測の事態に伴う様々な不便はありましたが、研究の実施に大きな支障はなかったと感じています。オッデガ先生はとても親切な方で、脊髄損傷の基礎実験について素人だった私に、たくさんの技術を教えてくれました。ビデオミーティングでは英語でのコミュニケーションがさらに難しくなったものの、私のつたない英語を一生懸命聞き取り、研究方針についてしっかりサジェスチョンしてくれました。ですから私が留学の目的としていた「脊髄損傷の基礎研究の方法を学んでくること」は、十分達成できたと考えています。

安全を考慮し休日は動物園など有料施設で過ごす

――マイアミでの生活はどうでしたか。

三原 お金がすごくかかったな、というのが一番の感想です。ラボがあるシビックセンターの近くは住居費がとても高い地区だったので、シビックセンターまで電車で40分ほど離れたデイドランドに住みました。それでもある程度セキュリティがしっかりしたマンションだと、最低でも1カ月2000~3000ドル(約22万~33万円)の家賃が相場で、物価も高かったです。マイアミは米国でも有数の物価が高い都市のようです。

 日本の食材を扱うスーパーマーケットがほとんどないため、ロサンゼルスやサンフランシスコなど西海岸の都市に比べると、日本人にとっては住みやすい都市ではなかったかもしれません。ただ私の家庭では、限られた食材で日本食を作ってくれたので助かりました。妻には本当に感謝しています。

――治安はどうでしたか。

三原 マイアミビーチ付近は非常に洗練されていて、観光で来られた方は良い印象を持ちます。しかし実際に住んでみると街中にはスラムのような所も結構あって、危険を感じることが少なくありませんでした。もちろんこれは米国のどの都市でも同じことだとは思いますが……。リスクを避けるために、市内を散策するといったことはあまりありませんでした。

――休日はどのように過ごされましたか。

三原 有料の施設は基本的に安全だと聞いていたので、日曜日には子どもたちを連れて「ズー・マイアミ(Zoo Miami)」という動物園を公園のかわりに使用しておりました。家族でまとまった休みが取れたときには、ディズニーワールドやケネディ宇宙センターの博物館へ行ったり、クルーズ船に乗ったり、リゾート地のキーウエストへ行ったりと遠出もしました。

――お子様は現地の生活にすぐなじめましたか。

三原 4歳の息子は現地の幼稚園に編入してすぐに悪ガキ仲間ができましたが(笑)、小学校に入学した7歳の娘は英語のコミュニケーションに最後まで苦労していました。娘が特に引っ込み思案ということはないのですが、小学生以上になると海外生活になじむのに時間がかかるのだろうと思います。

――マイアミの公立小学校には英語が話せない児童のためのプログラムなどはなかったのでしょうか。

三原 マイアミは南米からの移住者が多く、スペイン語が母国語の子どもに英語を教えるプログラムは充実しています。しかしその他の言語が母国語の子どもに小学校で英語を教えることは、ほとんど考えられていないようでした。当然、日本語を話す先生もいませんでした。

 そんな状況だったので、娘には学校でさびしい思いをさせてしまったかなと思います。ただ、土曜日に通っていた日本人学校(補習校)では友達ができ、それは親としてうれしかったです。私と同じように日本から留学で来ている医師の娘さんや、在マイアミ日本領事館の駐在員の娘さんと歳が近くて、仲良くなりました。帰国してからも連絡を取り合っているようです。

マイアミ在住の日本人コミュニティ「マイアミ医学生物研究グループ」。家族ぐるみの親睦会で記念撮影。(三原氏提供)

後輩には「修行と思って行きなさい」と助言

――最後に留学を検討中の医師にアドバイスをお願いします。

三原 しっかり目標を持って留学することが大切だと思います。厳しいことを言うようですが、あまり楽しいことばかり思い描いて行くと、挫折してしまいかねません。目標がしっかりしていれば、苦しいこと、辛いことがあっても耐えられると思います。私は後輩から海外留学についてアドバイスを求められたときには、「修行と思って行きなさい」と伝えています。

私自身、修行だと覚悟して頑張った結果、脊髄損傷の動物実験の技術を医局に持ち帰ることができました。現在、必要な機器を揃え、人員の確保をしているところです。近々、本格的に研究を開始します。

留学資金についても事前によく考えておく必要があります。日本の大学から、あるいは留学先の研究機関から給与がもらえるとしても、家族の安全などを考慮すると、お金はいくらあっても足りません。しっかり準備をしておくとよいでしょうね。



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