富良野協会病院で整形外科主任医長を務める佐藤剛氏は2018年から2年間、米ハーバード大の附属病院に留学していた。カダバー(屍体足)を使った下肢研究に打ち込み、臨床に直結する貴重なデータを得ることができたと振り返る。休日には、日本でもプレーしていたアイスホッケーを現地の社会人チームに加わってプレー。チームメートはかけがえのない友人になった。
富良野協会病院 整形外科
佐藤 剛(さとう・ごう)氏
富良野協会病院(北海道富良野市) 整形外科 主任医長
2008年旭川医科大学医学部卒業、整形外科学講座入局。2008~2009年市立釧路総合病院(初期臨床研修)。2010年旭川医科大学病院。2011年市立稚内病院。2012年富良野協会病院。2013年北見赤十字病院。2014年旭川赤十字病院。2015年富良野協会病院。2016 ~2017年旭川医科大学病院。2018~2019年Massachusetts General Hospital, Foot and Ankle, Research and innovation Lab。2020年旭川医科大学病院。2021年より現職。
――留学先と留学の経緯から教えていただけますか。
佐藤 私が留学したのはハーバード大学医学大学院の附属病院であるマサチューセッツ・ゼネラル・ホスピタルのフット・アンド・アンクル研究部門(MGH、Massachusetts General Hospital, Foot and Ankle, Research and innovation Lab)です。同センターのトップであるクリストファー・ディジオヴァニ先生(Christopher DiGiovanni , Professor of Orthopedic Surgery, Harvard Medical School, Chief of the Foot & Ankle Service)のラボで2年間、基礎研究をしてきました。
関連病院勤務から旭川医科大学に戻って3年目の2018年4月に渡米しました。大学に戻る際に専門が決まり、私は「下肢グループ」所属となりました。同大学整形外科学講座の下肢グループトップだった阿部里見先生から「最近、足の分野で海外留学した医局員がいないので行って来たらどうですか?」と勧めていただいたのが留学のきっかけです。
阿部先生と親交のある高尾昌人先生(重城病院 CARIFAS足の外科センター)が、懇意にしているディジオバニ先生を紹介してくださり、スムーズに留学受け入れが決まりました。正直なところ、私自身は「絶対に留学したい」という強い気持ちがあったわけではありません。教授の伊藤浩先生や下肢グループの上司の先生方に背中を押してもらって留学を決断しました。当時の私はまだ博士の学位を取っていませんでしたが、「英語も研究の基礎も全部まとめて留学先で学んできなさい」と送り出され、いろんな過程をすっ飛ばして行ってきた感じです。
――MGHではカダバー(cadaver、屍体足)を使った研究をされたそうですね。どうしてこのテーマを選ばれたのですか。
佐藤 留学前、ディジオヴァニ先生やラボの人たちとのオンライン・ミーティングで、現地での私の研究テーマについて話し合いました。その際、やってみないかと提案があったのがカダバーを使った研究でした。重要かつ興味深いテーマだと考えて引き受けました。
シンデスモーシス(遠位脛腓関節)の不安定性を検討、臨床に直結する知見を得る
佐藤 カダバーを使った研究がなぜ重要なのかというと、生体を使った研究では得られない知見が得られるからです。例えば、いろいろな靭帯の損傷モデルを作って実験をすることで、どの靭帯に損傷がある場合、どんな問題が生じやすいかを直接的に確認することができます。また、人工距骨を置換した関節がどれくらいの力に耐えられるかを、実際に負荷をかけて確認することもできます。いずれも生体では、後方視的研究で検討するしかありません。日本では施設基準を満たすことが難しいなどの事情から、カダバー実験ができる施設は数えるほどしかありません。ですから貴重な経験になると考えました。
――具体的にはどんな実験をされたのですか。
佐藤 1つ目は、シンデスモーシス関連の実験です。足関節外側靭帯やシンデスモーシスを形成する靭帯損傷モデルをいろいろ作って、それらがシンデスモーシスの不安定性にどれくらい影響するのかを検討しました。
外側靭帯(前距腓、踵腓、後距腓)に加えて前下脛腓靭帯の損傷だけなら、シンデスモーシスの不安定性は出現しません。その一方で、外側靭帯(前距腓、踵腓、後距腓)と前下脛腓靭帯の損傷に(脛腓)骨間靭帯損傷が加わった場合や、外側靭帯(前距腓、踵腓)と前下脛腓靭帯の損傷に骨間靭帯損傷が加わった場合では、シンデスモーシスの不安定性が起こることが分かりました。つまり臨床的には、損傷が骨間靭帯まで及んでいるかどうかが、シンデスモーシスを固定すべきかどうかの指標になることが示唆されたことになります。
2つ目の研究は、奈良県立医科大学で開発された人工距骨の安定性についての検討です。人工距骨にどれだけ力をかけると脱臼するかをカダバー実験で調べ、十分な安定性があることを確認しました。これら2つの研究成果はともに論文投稿の準備中ですが、帰国後の臨床で既に役立っています。
現地到着後に知ったまさかの事態、気持ちを切り替えて乗り越える
――研究は最初から順調だったのですか。
佐藤 実は最初の1年は、MGH内での手続・許可がまだ完了していないという理由で、カダバー実験はできなかったのです。現地到着後に事情を知って驚きましたが、気持ちを切り替えて、MGHの患者データを使った後方視的研究を行うことにしました。具体的には「アキレス腱炎の足部アライメントの特徴と危険因子」について調べました。
海外留学においては全てが自分の思い通りにいくわけではありません。ラボ側の事情で、自分がやりたい研究がすぐに実施できないこともあります。そんなときにも自分が興味のあるテーマ、役に立つこと、学べることを何かしら見つけて取り組むことが大切です。私の場合、1年目に実施したこの臨床研究からも有用な知見が得られ、カダバー研究に並ぶ大きな業績とすることができました。
アイスホッケーの本場で社会人チームに参加して腕試し
――休日はどのように過ごされましたか。
佐藤 北海道釧路市で小・中・高・大学と続けてきたアイスホッケーをボストンでもプレーしました。NHL(National Hockey League)が「北米4大プロスポーツリーグ」の1つに数えられるほど、アイスホッケーは米国ではメジャーなスポーツです。特にボストン周辺は「本場」とされていて、一般市民の競技者人口も多く、子ども向けスクールなどがたくさん開催されていました。実は渡米時に私は、荷物の中にアイスホッケー用のプロテクターも入れていました。幸い、足の臨床部門で働くPA(フィジシャン・アシスタント)の1人がチームに入っていて、「今日の試合のメンバーがいなくて困っているんだけど、来てくれないか」と誘ってくれたので、現地の社会人チームに加わってプレーすることができました。
野球やバスケットと違い、米国でアイスホッケーをプレーする日本人はまだあまりいません。なのでチームの面々には「この日本人、本当にアイスホッケーできるのか」と思われていたようです。しかし最初の試合で私が得点を決めると力量を認めてくれたようで、すごく歓迎されました。自分のプレーがボストンでもそれなりに通用することが分かってうれしかったです。
日本と比べるとラフ・プレーの基準が緩く、試合で頻繁に乱闘が起きることには戸惑いました。乱闘も一種のエンターテインメントだと捉え、派手にやって観客を楽しませているようでした。私も何度か乱闘に巻き込まれそうになりました。興奮した相手は、スラング混じりの早口の英語でまくし立てて来るので何を言っているのかさっぱり聞き取れません。チームのキャプテンが相手をいさめてくれたので「乱闘デビュー」にはなりませんでしたが、もう1年くらい米国に滞在していたら、自分で言い返せるようになったかもしれません(笑)。
「子どもは英語がペラペラになるよ」と夫人を説得、家族みんなで渡米
――留学について、奥様はどのようなご意見だったのですか。
佐藤 妻と2人の息子を伴い家族みんなで渡米したのですが、妻は当初、海外で生活することにあまり乗り気ではありませんでした。しかし実際に行ってみると、海外生活は楽しかったようです。帰国時には妻も子どもたちも、現地でできた友達と別れるのを寂しそうにしていました。
――家族があまり乗り気でないために、海外留学に踏み出せない医師もいると思います。佐藤先生は奥様をどのように説得されたのですか。
佐藤 まず「海外留学したら家族と過ごせる時間が増えるよ」とアピールしました。日本で働いていると臨床や出張で週末でも家族と過ごせないことが多いのですが、実際に留学期間中は、家族との時間をたっぷりと取ることができました。
それから「海外生活は子どもにとって良い経験になるよ。英語がペラペラになるよ」ともアピールしました。こちらの方が説得力は大きかったようです(笑)。予想通り、息子たちは2年間でかなり英語を聞いて話せるようになりました。帰国後、話す方はだいぶ忘れてしまいましたが、インターネットで英語の動画を見たりするのは今でも苦にならないようです。
――最後に留学を検討中の若い医師にアドバイスをお願いします。
佐藤 基礎研究に関しては、それだけに集中して取り組めることが海外留学の一番のメリットだと思います。すごく贅沢で大事な時間になると思います。留学先での医師、研究者たちとの交流も、私にとっては大きな財産になりました。海外の学会で彼らと再会する日を思い描くことが、日本で基礎研究に取り組むモチベーションになっています。もちろん海外留学を実現するには大変な面もありますが、行けば絶対に得るものの方が多いと思います。私は間違いなく行ってよかったです。
留学資金を気にしている人は多いと思います。私は博士の学位を取っていなかったので、留学先で有給ポジションを得ることができませんでした。ただ、お金については、貯金を取り崩すことになっても帰国後にちゃんと仕事をすれば取り戻せます。海外留学に行きたいのなら、チャンスを逃さないことが大切です。私自身、留学前はすごくお金の心配をしていたのですが、今、アドバイスをするとすれば「そんなに心配することはないよ」と強く言いたいですね。
研究者としての視野を広げてくれたベルギーでの留学経験
2021.11.24
日本で取得した実験機器の取扱資格が留学先での研究効率化に貢献
藤井 貴之(ふじい・たかゆき)氏
2005年京都大学医学部医学科卒業。2005年関西電力病院初期研修医。2007年関西電力病院整形外科。2010年聖隷三方原病院整形外科。2013年京都大学大学院医学研究科博士課程。2017~2020年Hospital for Special Surgery, Arthritis and Tissue Degeneration Program and David Z. Rosensweig Genomics Research Center (Ivashkiv lab)留学。2020年国立病院機構宇多野病院整形外科。2021年より現職。