米国の著名ラボが持つ「研究の進め方・考え方」を学んだ

京都大学大学院医学研究科リウマチ性疾患先進医療学講座特定助教の村田浩一氏は、米国ワイル・コーネル大学(ニューヨーク州)の提携病院であるHospital for Special Surgeryに3年3カ月留学していた。当初は研究が軌道に載らず苦労したが、研究テーマの変更を経て、大きな業績を上げることができたという。質の高い研究論文を多数発表している米国の著名なラボの、研究の進め方や考え方のノウハウを吸収し、日本に持ち帰れたことが一番の財産だと振り返る。

京都大学大学院 医学研究科 リウマチ性疾患先進医療学講座

村田 浩一(むらた こういち)氏
2002年京都大学医学部卒業、京都大学医学部附属病院勤務。2013年京都大学大学院医学研究科博士課程修了。2013年Hospital for Special Surgery勤務。2017年より現職。

――留学先、留学期間などについて教えてください。

村田 2013年6月から2016年9月まで、米国ニューヨーク市マンハッタンにあるワイル・コーネル大学の提携病院の一つであるHospital for Special Surgery(HSS)に留学していました。HSSは整形外科とリウマチ科を専門とする病院で、米国のニュース雑誌が毎年公表している病院ランキングによれば、整形外科分野では全米1位、リウマチ分野では2~4位を継続的に獲得しています。私はHSSに併設されている基礎研究施設のライオネル・B・イヴァシキフ先生(Lionel B. Ivashkiv, MD, Chief Scientific Officer at Hospital for Special Surgery and Professor of Medicine and Immunology at Weill Cornell Medicine)のラボで、博士研究員(ポスドク)として3年3カ月、基礎研究を行ってきました。渡米時の年齢は35歳でした。

 ――どういった経緯でHSSを選んだのですか。

 村田 留学するに当たって、細胞や組織を対象とした研究をしてみたいと考えました。例えば骨の作られ方や壊れ方、代謝がどのように起こるのか、何が分かっていて何が分かっていないのかを整理して、分かっていない部分を解明するといったことです。米国リウマチ学会(ACR)や米国整形外科基礎学会(ORS)などの抄録を見て、面白そうな研究をしている研究機関を探したところ、候補に挙がったのがHSSでした。

 ――自身で留学先候補を探したのですね。

 村田 はい。候補を決めた後に、HSSにコネクションを持っている方が周囲にいないか探しました。当時、当医局に在籍されていた伊藤宣先生(現・倉敷中央病院整形外科・主任部長)がHSSのピーター・スカルコ先生(Dr. Peter Sculco)と面識があることが分かり、伊藤先生からスカルコ先生を、スカルコ先生からイヴァシキフ先生を紹介してもらいました。その後、現地でイヴァシキフ先生の面接を受けて採用されたという経緯です。採用が決まったときは、とてもうれしかったですね。

 留学の目標は「研究を進める上での考え方を学ぶこと」

 ――留学期間は決めていましたか。

 村田 最初から3年以上の予定でした。面接の際、イヴァシキフ先生から「結果を出すには最低でも2年間は必要ですよ」と言われましたが、それでは足りないと分かっていたので「最低でも3年間は滞在するつもりです」と伝えたのを覚えています。

 ――留学の目標は決めていましたか。

 村田 一番学びたかったことは、研究を進める上での考え方です。1つ結果が出たときに、それをどう解釈して、次にどのような方向で研究を進めていくかという点です。論文については、少なくとも1本は書きたいと考えていました。

 ――留学に向けて事前に準備はしていたのでしょうか。

 村田 私たちの時代は留学までの道筋がある程度決まっていることが多かったです。医学部を卒業後、5年ほど関連病院で勤務したら大学病院へ戻り、そこから4年ほどで博士号を取って、ポスドクとして留学するといった流れです。先輩が代々行っている留学先があったわけではありませんでした。自分が行きたいラボに有給のポスドクとして採用されるには業績を作っておくことが重要なので、まずはそこを目標に大学院では研究に取り組みました。もちろん、留学までに狙ったレベルの論文が出せるかどうかについては、成果だけでなく運も必要な気がします。留学資金もある程度は貯めていました。

イヴァシキフ先生、ラボの仲間たちと記念撮影。後列左から7人目がイヴァシキフ先生。(村田氏提供)

 低酸素下で破骨細胞分化を抑制する遺伝子を探索、機序を解明

 ――留学先での研究について簡単に教えてください。

 村田 低酸素下で破骨細胞の分化が促進されることは、当時から分かっていました。その主要な原因として「HIF-1」という遺伝子がよく知られていましたが、その他の遺伝子についてはあまり研究されていなかったのです。そこで私は、炎症下の環境に近い低酸素状態で、破骨細胞の分化促進を制御するHIF-1以外の遺伝子を見つけて、その機序を解明しようと研究を進めました。

 研究の結果、「COMMD1」という遺伝子が、低酸素下で破骨細胞の分化促進を抑えていることを世界で初めて確認しました。また、日本人リウマチ患者のコホートでも、このCOMMD1の発現が高いグループと低いグループがいて、高発現のグループでは関節破壊が抑制的であることが分かりました。さらにCOMMD1遺伝子を欠損させたマウスでは、骨破壊が有意に増強することも確認しました。破骨細胞分化を促進する未知のパスウェーを発見し、低酸素下で、COMMD1がそれを抑制していることも明らかにしました。研究内容は既に論文発表しています。

 ――濃密な成果ですね。一番の要はどの点だったのですか。

 村田 破骨細胞の分化促進を抑制する遺伝子としてCOMMD1がなぜ見つかっていなかったかというと、遺伝子レベルではほとんど発現誘導されないからです。つまりRNAシーケンスでは大きな発現差は確認できないのです。

 私は、わずかに発現差がある複数の遺伝子のリストをバイオインフォマティクスの手法で解析し、それらの遺伝子の上流にCOMMD1が位置しているのではないかと仮説を立てました。今では「一昔前の研究手法」になっていますが、当時出始めのバイオインフォマティクスのソフトを使って解析しました。運も良かったのですが、そこが要になったと思います。調べてみると、COMMD1が蛋白質レベルで発現誘導されていることが分かったのです。 

HSSのラボで実験をしている様子。デスクスペースのすぐ横に個人専用の実験スペースがあった。(村田氏提供)

 当初は良い成果が得られず留学中に研究テーマを変更

 ――留学先で、しっかりと研究成果を上げるにはどうすればいいのでしょうか。

 村田 それは答えるのが難しいですね(笑)。多分、私が行ったラボが、私のやり方とフィットしたのだと思います。私は大学院生の頃から、自分で面白そうな研究テーマを見つけてきて、好きなようにやらせてもらうのが性に合っていました。イヴァシキフ先生のラボでも、研究テーマは結局、自分で見つけました。

 最初の8カ月くらいはラボから与えられたテーマで研究をしていたのですが、良い結果も出ないし、どうも興味が湧きませんでした。そのような中、別の研究者がやっていた低酸素条件下での研究が目に留まり、「低酸素と破骨細胞を組み合わせたら面白いだろうな」と考え付きました。

 ――研究テーマの変更が認められたのですね。

 村田 イヴァシキフ先生はとても頭が良い上に、思考が柔軟な方です。私がこのテーマで研究したいと提案したとき、面白さにすぐに気づき議論に乗ってきてくださいました。また、研究の方向性で困ったときのアドバイスや、研究のクオリティを一段上げるためのアドバイスも的確でした。

 ――留学の目的にしていた「研究を進める上での考え方を学ぶこと」が、この研究の過程で達成されたということですね。

 村田 世界の科学者がすごいと認める研究のストーリーの立て方や実験手法、査読者が疑問を挟む余地のない論理構成、論文を書く際の英語の表現に至るまで、ハイレベルな雑誌に掲載される論文には満たすべきポイントが多々あることを知りました。イヴァシキフ先生のラボにはそういったノウハウが豊富に蓄積されていて、アドバイスに従って研究を進めていくと、おのずと論文投稿のためのデータが出来上がっていったのです。

 論文投稿だけの話ではなく、アカデミックなエリアで多くの科学者に認めてもらえる研究結果を出すにはどのように研究を進めればよいか、何が必要なのかといったことを学ぶことができました。私はそのことが、留学で得た一番大きな財産だと思っています。

 キャンピングカーを自身で運転しグランドキャニオン周遊の家族旅行へ

 ――休暇はどのように過ごされましたか。

 村田 家族と一緒に渡米したので、家族旅行に行くことが多かったですね。子どもたちが特に喜んでくれたのは、カリフォルニア州のグランドキャニオンへの旅行です。ニューヨークからラスベガスまで飛行機で行き、家族みんながゆったり車中泊できる大きなキャンピングカーをレンタルしました。ラスベガスからグランドキャニオンまでは自動車で5~6時間ほどの距離ですが、グランドキャニオンを含むたくさんの国立公園を、私自身がキャンピングカーを運転して1週間ほどかけて回ったのです。夜はオートキャンプ場に車を停めてバーベキューをして、厚さが3センチメートルくらいのある分厚いビーフ・ステーキを焼いたことも。子どもたちは今でも、「一番の思い出はグランドキャニオンでのキャンプだね」と言っています。パッケージ旅行ではなく、キャンピングカーやオートキャンプ場を1つひとつ予約しなければならず結構大変でしたが、良い思い出になりました。

 米国内ではないのですが、メキシコのユカタン半島の先にある街のカンクンには、留学期間中に2度、家族で行きました。カンクンは米国人に人気のリゾート地で、ニューヨークからは飛行機で4時間ほどです。1年を通じて気温が20℃を下回ることがほとんどなく、季節を問わず美しいカリブ海で泳ぐことができます。治安もとても良くて、安心して子どもと一緒に、真っ白な砂浜で遊ぶことができました。ホテルには大きなプールもあり、水遊びをする子どもを見守りながら、大人はプールサイドのバーでお酒を飲んだりすることもできます。日本からは遠く、直行便もないのでなかなか行くチャンスがない場所なので、米国に長期滞在するなら行ってみるとよいと思います。


――最後に、留学を考えている医師に向けてアドバイスをお願いします。

 村田 留学前の下見は「絶対」です。ラボのボスから「面接はネットでいいですよ」と言われても、ネット越しでは分からないことがたくさんあります。現地に行って事前にボスと直に話したり、ラボの環境を見たりしておいた方がよいと思います。住む予定の地区も見ておくと、現地での生活がある程度イメージできます。なお、現地で面接を受けたからといって、そのラボに必ず決めなければいけないわけではありません。ラボが研究者を選ぶように、研究者もラボを選ぶことができ、それは米国では普通のことです。

 私は、研究を進める上での考え方を学びたくて米国に留学し、それについては合格点の成果が得られたと思っています。留学前、「日本にいても研究成果は十分出せるのだから、留学しなくてもいいじゃないか」という声もあったのですが、海外のトップレベルラボの研究のクオリティ、研究の進め方・考え方はやはり格段に違っていました。それを学べたのが私にとっては一番大きかったと思います。

 留学のスタイルは様々なので一概にアドバイスするのは難しいのですが、したいこと・学びたいことを留学前に明確にしておくことが、やはり大事だと思います。留学がスタートして半年くらいは、研究結果も出ないし、英語は聞き取れないし話せないし、あまり楽しくないかもしれません。実は、私もそうでした。それでもしたいこと・学びたいことがしっかり定まっていれば、目標を達成するために努力を続けることも、必要に応じて研究や生活の仕方を軌道修正することもできるでしょう。半年ほど居心地の悪い期間を我慢して乗り越えたら、その先に充実した留学生活が見えてくるはずです。

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