ピンポイントでリウマチと神経内分泌免疫学の研究ができるラボへ留学

東京慈恵会医科大学内科学講座リウマチ・膠原病内科講師の野田氏は、ドイツのレーゲンスブルク大学病院に基礎研究のため2年間、留学していた。関節リウマチと神経内分泌免疫学の研究をするために海外のラボに留学したい意向を持っていたが、該当するラボは世界に数カ所のみ。果敢にアプライし、意中のラボから留学受け入れの返事を得た。大事なのはそのラボに行きたい理由であって、留学先が米国か欧州かは重要なことではなかったと野田氏は話す。

東京慈恵会医科大学 内科学講座リウマチ・膠原病内科

野田 健太郎 (のだ けんたろう) 氏
2003年東京慈恵会医科大学医学部卒業。2009年東京慈恵会医科大学大学院医学研究科臨床系内科学専攻博士課程修了。2019年4月~2021年3月 レーゲンスブルク大学病院内科学第1リウマチ・神経内分泌免疫研究室(東京慈恵会医科大学学外研究員)。2021年10月より現職。

――留学先と期間から教えてください。

野田 2019年4月から2021年3月までの2年間、ドイツ・バイエルン州のレーゲンスブルク大学病院内科学第1リウマチ・神経内分泌免疫研究室に基礎研究のため留学していました。ラボのトップはライナー・H・ストラウブ先生(Rainer H Straub,  Laboratory of Experimental Rheumatology and Neuroendocrine Immunology, Department of Internal Medicine Ⅰ, University Hospital, Regensburg)で、私の立場は客員研究員(ゲスト・リサーチャー)でした。

――レーゲンスブルク大学病院を選んだのはどうしてですか。

野田 大学院での私の研究テーマはリウマチや間質性肺炎における血管新生でした。特に注目していたのは血管新生だけでなく、炎症の惹起、神経新生、サーカディアンリズム、痛みにも関与していることが知られている「プロキネチシン(prokineticin)2」という物質です。プロキネチシン2のように炎症局所で分泌され、免疫系や神経系にも影響を与える物質の研究や神経、内分泌、免疫系と関節リウマチの研究を行っている海外のトップレベルのラボで学びたいと、前々から考えていたのです。日本ではあまり知られていませんが、有名な海外のリウマチ学の教科書には、リウマチ性疾患と神経内分泌免疫学の関連が記載されています。そして、それらは主にストラウブ先生が執筆したものでした。

該当するラボを探してみたところ、リウマチ性疾患において神経内分泌免疫学に関する研究を行っているラボは数カ所しかありませんでした。そのうちの1つがストラウブ先生のラボだったのですが、ドイツのデュッセルドルフ大学病院にあるストラウブ先生のお弟子さんのラボも、同じ研究を手がけていることが分かりました。そこで両方のラボにアプライしたところ、ストラウブ先生のラボから受け入れ可能の返事が来たという経緯です。どうやらストラウブ先生とお弟子さんが内輪で相談し、どちらのラボで私を留学生として引き受けるか決めたようです。留学が決まったのは留学の約1年前の2018年でした。ストラウブ先生からはOKの返事とともに「ドイツに来るまでにしっかり勉強しておくように」と論文がたくさん送られてきました。

2019年にベルリン・シャリテ大学で開催された精神神経免疫学会(PNIRS)で、ストラウブ先生(右から2人目)やラボの仲間たちと記念撮影。(野田氏提供)

ラボへのアプライは手紙を書いて郵送

――留学までの具体的な手続きはどのようなものだったのですか。

 野田 アプライの最初の連絡には、手紙を書いて郵便で送りました。黒坂大太郎先生(東京慈恵会医科大学内科学講座〔リウマチ・膠原病〕教授)から、電子メールではなく、手紙を送った方が印象は良いのではないかというアドバイスを頂いたためです。手紙で熱意が伝わったのかどうかは分かりませんが、結果的に受け入れてもらうことができました。実は、留学に行けそうなタイミングが翌年の2019年からしかなくて、決まらなければ留学できない可能性もありました。ちなみにストラウブ先生からのOKの返事は電子メールで返ってきましたので、以降のやり取りでは私も電子メールを使いました(笑)。

留学前には、ラボには1度も行っていません。なぜかは分かりませんが、ウェブ面接もありませんでした。電子メールで顔写真やCV(履歴書)を送るなどして正式に留学が決まりました。住居についてはレーゲンスブルク大学が提携しているアパートを紹介してくれました。大学の担当者が間取りや家賃の情報を何件分か電子メールで送ってくれて、その中から選んで決めました。アパートはラボからは5kmくらいの距離で、自転車で30分、自動車なら10分くらいでした。住み心地はすごく良かったです。

研究者用の滞在ビザは渡航してから取りました。ドイツではそれが一般的のようです。出国前に書類を用意しておいて、レーゲンスブルクの市役所に行って手続きをしました。窓口の人があまり英語を話せず、私もドイツ語が話せなかったので結構大変でしたが、どうにかビザを取ることができました。

――留学資金はどのように確保したのですか。

野田 欧州の研究機関で、なんのコネクションもない日本人が有給のポスドクのポジションを得るのは、やはり難しいです。私の場合は留学中も東京慈恵会医科大学からの補助があり、また大学の「学外研究員制度」の補助が得られました。さらにリウマチ財団の奨学金も獲得できたので、それらで賄いました。

――医療保険はどうされましたか。

野田 ドイツの民間保険を日本で斡旋している会社があったので、日本で契約して行きました。外国人が加入できるドイツの公的医療保険もありますが、日本で簡単に手続きができる利便性から民間保険を選びました。アメリカほど高額ではないと思います。ちなみに家族で人間ドックを受け、歯科治療も行った上で留学しました。そのため留学期間中、私も妻も医療保険を使うことはありませんでした。


ラボ内での研究進捗報告・ディスカッションの様子。(野田氏提供)

 留学先ラボのリソースを使って日本での研究を発展させた

――留学先での研究テーマについて教えてください。

野田 おそらく珍しいケースだと思いますが、日本でやっていた研究テーマに引き続き取り組みました。ストラウブ先生は数年後に退官することが決まっていて、ラボも閉鎖する意向でした。ですから新しいテーマで研究をスタートするよりも、私自身が日本でやってきた研究を、ストラウブ先生のラボのリソースを使い、先生のアドバイスを受けながら発展させるのはどうかと提案してくださったのです。私にとっては、すごくありがたい提案でした。

実施した研究の内容は、ヒトにおけるプロキネチシン2の役割の解明です。東京慈恵会医科大学では実験動物レベルの実験が中心で、ヒトでの役割解明は進んでいない状況でした。

――それはなぜですか。

近年、リウマチ治療が進歩したことにより、ヒトの滑膜の検体が得られ難くなってきたためです。以前はリウマチ専門病院との共同研究もしていたのですが、それでも検体が十分に集まりませんでした。ストラウブ先生のラボでは、2000年ごろから多数の患者さんの滑膜組織、滑膜線維芽細胞、血漿、関節液を同時に採取・保存して、検体バンクを構築していました。それらが研究に活用できたのです。

実際に、変形性関節症の滑膜線維芽細胞をTNFαで刺激した後をプロキネチシン2で刺激すると、炎症性サイトカインの1つであるIL(インターロイキン)-6の分泌が抑制されることが分かりました。一方、関節リウマチ患者の滑膜線維芽細胞を同様に刺激すると、IL-6の分泌抑制効果はそれほど大きくないことも分かりました。両者を比較すると、関節リウマチ患者の滑膜線維芽細胞ではプロキネチシン2の受容体の1つ「PKR1」の発現がTNFαの刺激によりあまり上昇しておらず、それがこの現象と関連していると考えられました。

それから血漿と関節液のプロキネチシン2の濃度を調べたところ、関節リウマチ患者では変形性関節症患者と比べ関節液中のプロキネチシン2濃度が高く、血漿では差がないことが分かりました。このことから、プロキネチシン2は関節局所の炎症や痛みに関与している可能性があると考えられました。これらの研究成果は既に論文発表しています。

――ストラウブ先生のラボでは、具体的にどういったことを学びましたか。

野田 神経内分泌免疫学の研究を実施する上で必要な、様々な知見やテクニックを学ばせてもらいました。例えば、組織中の感覚、交感神経線維の染色方法、解析方法などです。また、組織を灌流しながら神経電気刺激し、灌流液中のサイトカイン産生を観察する実験手法「スーパー・フュージョン・テクニック(superfusion technic)」についても学びました。「スーパー・フュージョン・テクニック」については、実施のための研究機器も頂いて日本に持ち帰りました。「ラボを閉めるから、持って帰って使ってくれていいよ」と、ストラウブ先生に言われたためです。

――ストラウブ先生は、野田先生をとても気に入られたのでしょうね。

野田 免疫学というリウマチ学のメインの研究テーマではありませんでしたが、ストラウブ先生の研究テーマに興味を持って、わざわざ日本から留学して来たということで気に入られたのだと思います。ストラウブ先生からは「自分はアウトサイダーだけどいいのか?」とも言われました。最後の弟子だということもあったと思います。私もストラウブ先生の持つ知見やテクニックを全部引き継げるよう、留学中の研究テーマに直接関係ないことでも一生懸命に学びました。それらを駆使して、日本でも研究を続けていくつもりです。

ラボの仲間たちと「バイエルンの森」の最高峰であるグローサーアーバー山(標高1455m)に登山旅行した際、頂上でストラウブ先生と。(野田氏提供)

 

休日は夫婦で世界遺産の街を散策、バイエルの森でハイキングも

――休日はどのように過ごされましたか。

野田 妻と一緒に街中を散策しました。レーゲンスブルクは第二次世界大戦の戦火を免れ、ローマ時代から中世にかけての歴史的な建造物が、ほぼそのまま残っています。旧市街は丸ごと世界遺産に登録されています。大学などは近代的な建物なのですが、新しいものと古いものがミックスされており、日本で言うと京都のようなイメージの街でした。

ドイツ国内の他の都市にも行きました。ミュンヘンにオペラを観に行ったり、バイロイドの音楽祭に行ったり、ケルンの美術館に行ったりしました。もともと欧州の歴史や文化に興味があったのですが、改めて勉強することができました。少し長い休みには、チェコやオーストリア、フランス、スイスなど近くの国にも足を延ばしました。

1年目にはよく旅行をしたのですが、2年目は新型コロナウイルス感染症のパンデミックで、人が密になる場所に行くことが制限されました。それで休日は妻と2人で、ハイキングをすることが多くなりました。特にバイエリッシェ・バルト(バイエルンの森)には美しいハイキングコースがたくさんあるので、シーズン中は毎週のように行っていました。歩く距離は毎回、半日で10kmくらいです。もともと山歩きは嫌いではありませんでした。東京慈恵会医科大学には槍ヶ岳の附属診療所があり、学生時代にも医師になってからも何回か登っていました。

――ドイツの食べ物はどうでしたか。

野田 ドイツの料理は想像通りビール、パン、ジャガイモ、ソーセージ、肉が中心で、素朴な家庭料理のようでした。たまに食べるには美味しいのですが、何日も続くと正直、私たちにはつらかったです。ですから自宅では、妻に日本料理を作ってもらいました。食材は新鮮で美味しいものが豊富にありました。特に豚肉の美味しさが記憶に残っています。ストラウブ先生やラボの人たちから「肉は専門店で買いなさい。スーパーで買うのとは味が全然違うから」と言われたのですが、肉屋の肉は本当に美味しくてびっくりしました。

――最後に、留学を考えている若い医師にアドバイスをお願いします。

野田 留学と言うと、資金のこととか、言葉のこととか、年齢のこととか、家族のこととか、いろいろ悩むと思います。それでも私は、絶対に行った方がいいと思います。日本にずっといるよりも、得るものが多いと思うからです。

留学するに当たってはっきりしておかなければいけないのは、何を学んでくるのか、日本に何を持ち帰るのかです。留学先のラボは何となく選ぶのではなく、自分が本当に行きたいラボ、本当にやりたいことができるラボを選ぶことが大切です。そのラボに行きたい理由が定まっていれば、他のことは案外すんなりと決まっていくものです。もし「留学して何がしたいのか」が定まっていないなら、まず、それを見つけることから始めましょう。

語学はできるに越したことはないですが、ラボでの意思疎通は何とかなります。「英語が通じないから」という理由で欧州への留学を躊躇(ちゅうちょ)する人もいますが、ドイツでもフランスでもオランダでもスペインでも、どこの国でもラボ内のコミュニケーションは英語で大丈夫だと思います。流暢(りゅうちょう)な英語を話す必要もありません。

留学中は妻と過ごす時間もたっぷり取れました。私の医師人生の中で、夫婦であんなに長く海外で生活したり旅行したりする機会は、もうないだろうと思います。その意味でも、私は留学してよかったと思っています。

 

 

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