東京大学医学部附属病院整形外科・脊椎外科助教の加藤壯氏は、カナダ・トロント大学の教育病院に3年3カ月間、クリニカルフェローとして臨床留学していた。日本で採用情報を入手するのは難しかったが、先輩医師のサポートなどもあり留学が実現したと振り返る。日中は師匠となる医師とずっと一緒に行動。マンツーマンでアドバイスを受けながら多くの症例を経験し、手術や外来のスキルを向上させることができた。留学中に築いた人脈により、帰国後、国際的な仕事も増えたとのことだ。
東京大学医学部附属病院 整形外科・脊椎外科
加藤 壯(かとう そう)氏
2007年東京大学医学部卒業。2007年日本赤十字社医療センター。2008年東京大学医学部附属病院。2009年国立国際医療研究センター整形外科。2011年都立駒込病院整形外科。2013年東京大学医学部附属病院整形外科・脊椎外科。2014年Clinical spine fellow, Division of Orthopaedics, Hospital for Sick Children, University of Toronto。2015年Clinical fellow, Spinal program, Toronto Western Hospital, University of Toronto(2015年度チーフフェロー)。2017年東京大学医学部附属病院整形外科・脊椎外科。
――カナダに臨床留学されていたそうですね。留学期間と留学先を教えてください。
加藤 留学期間は2014年7月から2017年9月までの3年3カ月です。留学スタート時は入局6年目で31歳でした。前半はホスピタル・フォー・シック・チルドレン(Hospital for Sick Children)に、後半はトロント・ウエスタン・ホスピタル(Toronto Western Hospital)にクリニカルフェローとして在籍していました。両施設はともに、オンタリオ州トロントにあるトロント大学(University of Toronto)の教育病院です。
――クリニカルフェローとはどんなポジションなのでしょうか。
加藤 日本に同じ仕組みがなく、説明が難しいのですが……。カナダや米国のクリニカルフェローシップは国の医師教育プログラムに基づくもので、トレーニング内容は専門医(board certificate)を取得した後、さらに高度な専門性を追求するためのものになっています。修了すると修了証が発行されます。私のような外国人医師も一部受け入れています。カナダの医療機関がスタッフを募集する場合、「カナダか米国のクリニカルフェローシップを修了していること」が採用条件に挙げられていることも多いです。
「側彎症の手術がうまくなりたい」との情熱で留学を決意
――なぜ臨床留学しようと考えたのですか。
加藤 海外留学について興味が出てきたきっかけは、医学部5年生のときの短期留学です。東京大学医学部は米国のミシガン大学(University of Michigan)と交換留学協定を結んでおり、そのプログラムを利用して3カ月間留学しました。何か高い理念を持って行ったわけではありませんが、海外で勉強することや仕事をすることの良さを感じました。
臨床留学を現実的に模索し始めたのは、整形外科学教室に入局後、自身の専門が脊椎、側彎症と決めていく過程でのことです。何か1つの決定的な出来事があったわけではありませんが、2010年に京都市で開催された側彎症の国際学会「Scoliosis Research Society(SRS)」で、北米の有名な医師が「世界の最先端」を堂々と発表する姿を見て感銘を受け、自分も国際的な舞台で活躍したいと感じたのを覚えています。
先輩医師からの後押しもありました。当時の准教授で現在は自治医科大学整形外科学教授の竹下克志先生に、「行きたい気持ちがあるなら絶対に行った方がいい。MLB(Major League Baseball)で活躍したいなら日本のプロ野球で何年もプレーする必要はない。あなたも日本式に頭が硬くなる前に早くから海外に出て勉強してきなさい」と言っていただいたのです。振り返ると、東京大学の整形外科学教室は本当に懐が深い良い医局だなと思います。他の先輩医師からも「若造が生意気を言うんじゃない」といった反応は全くなくて、「チャレンジしてみたらいいんじゃないの」と、みな応援してくれました。
――最終的に、臨床留学することを決断した理由は何でしたか。
加藤 側彎症の手術がうまくなりたい、側彎症のビックネーム達のコミュニティに入って大きな舞台で活躍したい、自分の情熱を全部傾けられるトレーニング環境に身を置きたい──と強く思ったからです。そのためには北米に臨床留学するのが一番、エネルギーの無駄がないだろういうのが私の結論でした。
留学を決めてからは、積極的に留学先についてリサーチを重ねたり、人間関係をつないだりと準備を進めました。それらが実を結び、2014年からの留学につながっていきました。本当はもう少し早く行きたかったのですが、クリニカルフェローの採用条件として日本の整形外科専門医資格が求められていたため、資格が取れるのを待って留学しました。
トロント大学とのつながりを作ってくれたのは先輩医師
――留学先として、トロント大学の教育病院を選んだのはなぜですか。
加藤 米国、カナダの医師教育システムの中に、外国人でも手術ができるクリニカルフェローというポジションがあることはすぐに分かりました。しかし10年ほども前のことですから、インターネットで検索しても、どの大学で外国人医師のクリニカルフェローを応募しているのか、採用の条件はどうなのかといった情報がなかなか得られませんでした。病院秘書宛てに問い合わせの電子メールを送ったりもしましたが、ほとんど返事はもらえませんでした。
トロント大学とのつながりを作ってくれたのは竹下先生です。国際学会に参加された際、ホスピタル・フォー・シック・チルドレンの整形外科・脊椎グループのトップの1人であるレインハード・ゼラー先生(Dr. Reinhard Zeller, Associate Professor, Department of Surgery, University of Toronto)と知り合い、「いい先生だったから連絡先を聞いてきたよ」と私に伝えてくれたのです。竹下先生は学会で、私の臨床留学につながりそうな人がいないかと気にかけてくれていたようです。ゼラー先生とは少し話をしただけだったものの、この人なら電子メールの返事くらいはくれるのではないかと感じたと言っていました。
すぐにゼラー先生に電子メールを送ったところ、返事がもらえ、やり取りが始まりました。数カ月後にはホスピタル・フォー・シック・チルドレンに見学に行き、外来や手術も見せてもらいました。
――見学してみてどうでしたか。
加藤 ホスピタル・フォー・シック・チルドレンは約370床の小児科病院です。整形外科の手術件数は年間約1400例で、そのうち脊椎の手術は150例くらいでした。小児脊椎のクリニカルフェローは1度に1人しか取らないため、そのポジションに就くことができれば年間150例のすべてに関われることなどが分かりました。
――日本の同規模の病院と比べると手術件数がかなり多いと思いますが、どういった理由なのでしょうか。
加藤 診療拠点の集約化が進んでいるためです。トロントを中心とする人口600万人ほどの診療圏から、手術が必要なほぼ全ての小児患者がホスピタル・フォー・シック・チルドレンに集められています。診療圏内に大規模な医療センターを1~2カ所設けて全ての手術をそこでやる、若手医師のトレーニングもそこで集中的にやるという仕組みは、米国やカナダでは一般的です。交通アクセスや社会インフラの都合でそうせざるを得ない背景もあるようです。
――トレーニング中の医師には望ましい環境なのですね。
加藤 そうですね。私はホスピタル・フォー・シック・チルドレンの教育環境に大きな衝撃を受け、ぜひここでクリニカルフェローとして学ばせてくださいとゼラー先生にお願いしました。それまでの数カ月間のやり取りを通じて、ゼラー先生は私のことを「面白そうなやつだ」と思ってくれたようで、「じゃあ、来てみたらどうだい」と言ってくれました。
外来がこなせるだけの英語力、コミュニケーション能力は採用条件の1つ
――採用されるには、どんな条件が必要だったのでしょうか。
加藤 日本人医師がトロント大学の教育病院でクリニカルフェローとして採用されるための主な条件は、①日本の医師免許と(整形外科の)専門医資格を持っていること、②一定以上の英語の能力があること、③書類(CV)審査、面接試験に合格することでした。
ちなみに私は米国の医師免許とカナダの医師免許を取っていましたが、それらは直接は、採用の条件ではありませんでした。米国の医師国家試験については、まずミシガン大学に短期留学する際、USMLE(United States Medical Licensing Examination)のステップ1に合格する必要があったため受験し、合格していました。その後、初期研修を終えるまでにステップ2にも合格し、米国の医師免許を取りました。カナダの医師免許も2014年に入国する前までに取っていました。
――なぜ米国、カナダの医師免許を取ったのですか。
加藤 将来、米国やカナダで良い条件の仕事に就くチャンスが来たとき、それをつかみ取るのに役立つかもしれないと考えたのです。その狙い通りにはなりませんでしたが、クリニカルフェローの期間を延長した際には、カナダの医師免許を持っていたことが役立ちました。
――クリニカルフェローの採用では、どの程度の英語力が要求されましたか。
加藤 TOEFLの基準点が設定されていました。正確な点数は忘れましたが、米国の大学入学で一般的に求められるくらいだったと記憶しています。外来も任せられるので英語とコミュニケーションの能力はそれなりに必要です。なお、TOEFLの試験だけが得意でもダメです。留学スタートから3カ月間は試用期間で、「あまりにもコミュニケーションがとれない人は契約打ち切り」ということが契約書に盛り込まれていました。
私は留学開始時に、最低限必要な能力は備えていたと思います。ただ、相手のアクセント、話し方などは様々で、最初から全ての人の話が聞き取れたわけではありません。そのため数カ月間は、教えてもらっていることが100%吸収できていないのではないかというストレスがかなりありました。
――留学前、英語はどのように勉強していましたか。
加藤 会話力を磨くためにネイティブの友達を作ってしゃべったり、英会話ラウンジのようなところに通ったりしていました。医学部生の頃から意識して英語の勉強に力を入れていましたが、いざ実践となるとなかなか難しかったです。英語の力は全然足りていませんでした。
日中は師匠とずっと一緒、マンツーマンで手術・外来のトレーニング重ねる
――クリニカルフェローの業務内容や一日の流れについて教えてください。
加藤 整形外科のクリニカルフェローは私を含めて6人でした。他の5人は一般小児整形の担当で、小児脊椎担当は私1人です。脊椎グループのトップは2人いて、その1人がゼラー先生、もう1人はスティーブ・ルイス先生(Dr. Stephen Lewis, Associate Professor, Department of Surgery)でした。クリニカルフェローは2人の先生直下の弟子となります。私は日中ずっと、どちらかの先生と一緒に行動していました。これほど徹底したマンツーマン・トレーニングは、日本の医師教育システムにはないと思います。
レジデントや専門資格がまだ取れていない整形外科医の指導は、クリニカルフェローに任されます。なので早朝回診などの指示は私から彼らに出していました。師匠の先生方とクリニカルフェローは早朝回診には参加せず、7~8時頃に開始されるカンファレンスから参加していました。カンファレンス後は師匠と一緒に、その日予定されている手術や外来をこなします。1週間の勤務の割合は手術が2~3日、外来が1.5~2日、研究が1日といった感じでした。
手術では、最初に師匠が執刀してポイントを解説してくれて、徐々に任される範囲が広くなっていきました。側彎症の手術の半数弱は特発性側彎症でした。神経筋性側彎症、先天性側彎症の症例もかなりの数ありました。椎体骨切り術による変形矯正の他、Growing rod、VEPTRなどの固定以外の手術もかなりの件数を経験しました。
1日の業務の終了時間は特に決まっていませんでした。もちろん手術が長引くこともありますが、予定の手術や外来が全て終わり病棟も落ち着いていれば、明るい時間でも退勤できます。役割分担がはっきりしているので、師匠もクリニカルフェローも自分の仕事が終わった後は、やりたい研究をしたり、帰宅して家族と過ごしたり、健康を保つためにジムに行ったりと、それぞれ自由に時間を使っていました。
外科医としてのスキルがアップ、築いた人脈で国際的な仕事も増加
――振り返ってみて、臨床留学の成果はどうでしたか。
加藤 まず手術についてですが、外科医としてのスキルが1段上がった自覚があります。といっても特殊なテクニックを学んできたわけではありません。手術のスタイルに多少の違いはありましたが、日本でのやり方と大きく違ってはいませんでした。良質な研修をたくさんさせてもらい、日本にいるときには気づけていなかった手術のコツなどを身につけることができました。表現が難しいですが、やっている手術内容は同じでも、速く、無駄なく、医療コストなども意識して行えるようになったということだと思います。
外来診療のスキルも大きく進歩したと感じています。特に患者さんにリスクを取って決断をしてもらう際などに、丁寧にメリット・デメリットを整理して話ができるようになりました。米国人やカナダ人は、医師同士のディスカッションでも患者さんへの説明でも、話がすごくクリアです。プレゼン、ディベートがうまいなといつも感心していたのですが、留学経験を経て、それが私自身にも身についたように感じています。
それから、やはり人脈です。ゼラー先生もルイス先生も、それから留学の後半に在籍したトロント・ウエスタン・ホスピタルで私の師匠だったマイケル・G・フェーリングス先生(Dr. Michael G Fehlings, Senior Scientist, Krembil Research Institute)も、みなそれぞれの領域でトップを張れる著名な医師です。そんな人たちにマンツーマンで指導してもらえただけでなく、プライベートで自宅に招かれるほど親しい間柄になりました。今でも何かあったらSNSやチャットですぐに相談ができます。
こうした人脈が築けたことで、海外の学会からアジアのグループリーダーをオファーされるなど、国際的な仕事の機会が増えました。日本の枠組みの中だけでなく、世界の脊椎診療の発展に貢献する仕事ができるようになったことは、私にはとてもうれしいことです。3人の師匠にとって私は、「便利に使えるアジアの弟子」くらいの位置づけなのかもしれませんが(笑)、それはそれでお互いWin-Winだと思っています。
――カナダではプライベートの時間も楽しむことができましたか。
加藤 私はそれほどアウトドア派ではないのですが、ちょっと北の方に行くと自然が豊かなので、友人たちとキャンプなどを楽しみました。あとはMLBのトロント・ブルージェイズの試合も観に行きました。
――帰国せず、カナダに留まることも考えましたか。
加藤 留まる選択肢を真剣に検討していた時期もありましたが、北米には野心的なギラギラした人がたくさんいるので(笑)、その中で埋もれないよう個性を発揮し続けるのは私には難しかったかもしれません。それよりも北米のやり方を熟知した第一線の医師として日本で活躍する方が、自分の付加価値が高まると思いました。3人の師匠たちからも、帰国時に「北米とアジア・パシフィックをつなぐアンバサダーとして頑張れ」と言ってもらいました。
――最後に、臨床留学を検討している若い医師に向けたアドバイスをお願いします。
加藤 何でもいいから留学した方がいいとは、私は思いません。日本で素晴らしいトレーニング環境にいる人は、無理に臨床留学することはないと思います。ただ、今のトレーニング環境がベストではないと感じているなら、調べてみたら海外にもっと良い環境があるかもしれません。
臨床留学を実現するのはものすごく大変です。提出書類の作成だけでも膨大な作業量なので、強いモチベーションがなければ実現までのハードルを乗り越えられません。私の場合は「海外で側彎症の勉強がしたい」という抑えがたい情熱が原動力となり、夢がかないました。ですから臨床留学を検討している人には、まずは自分の情熱を傾けられる分野を見つけてくださいと伝えたいです。
英語力の鍛錬は必須です。勉強法については丸1日話せるくらい、いろいろなテーマがありますが、とにかく毎日、筋トレのようにちょっとずつ勉強を積み重ねていきましょう。私は今でも、英語の勉強を続けています。
英語力と並んで必須なのは、CV(履歴書)に記載できる著作論文を用意することです。採用する側は、まずCVに書かれたアカデミックな業績を見て、応募者がどれだけ優秀なのか、どれほどやる気があるのかを判断します。CVで良い評価が得られなければ、面接には進めません。著作論文のリストはすぐにはできないので、早い時期から論文を書き溜めていくことが大切です。「自分は臨床に全ての情熱を傾けている」「研究にはあまり興味がない」という人でも、臨床留学をしたいなら、論文を書くことは避けて通れないと覚えておいてください。