実験手技の鍛錬と帰国後に生かす人脈作りを目標に米国へ

千葉大学大学院医学研究院呼吸器内科学助教の川﨑剛氏は、米国イリノイ大学シカゴ校に2年間留学していた。留学先にコネクションがなかったため、来日していた米国胸部学会(ATS)の理事長を訪ねて直接、ラボのPrincipal Investigator(PI)を紹介してもらい留学にこぎ着けた。希望の留学を実現するには、チャンスを逃さないようアンテナを張っておくことと、ここぞという場面でチャンスをつかみ取る勇気が必要だと話す。米国滞在当初は、子どもが学校になじめないなどの問題にも直面したが、周囲の温かいサポートの中、親子一丸で難局を切り抜けることができ、家族の絆がいっそう深まったという。

千葉大学大学院
医学研究院呼吸器内科学

川﨑 剛(かわさき・たけし)氏
2003年東北大学医学部卒。JR仙台病院内科、国立病院機構千葉東病院呼吸器科を経て2010年千葉大学大学院医学研究院呼吸器内科学特任助教、米国イリノイ大学呼吸器・救命救急・睡眠・アレルギー分野客員研究員、2018年千葉大学医学部附属病院呼吸器内科助教、2019年同大学大学院医学研究院呼吸器内科学助教、2023年同大学医学部附属病院呼吸器内科診療講師を兼務。

――留学先と留学時期、期間を教えてください。 

川﨑 2016年4月から2018年3月までの2年間、米国のイリノイ大学シカゴ校に基礎研究留学していました。ラボのPIはスティーブン・M・デュデック先生(Steven M. Dudek, M.D., Professor and Chief, Division of Pulmonary, Critical Care, Sleep and Allergy, University of Illinois at Chicago)です。大学院で博士号を取って、丸1年経った頃(38歳)に渡米しました。 

――ご自身の留学経験の中で、若い人たちに一番伝えたいのはどんなことですか。 

川﨑 そうですね、留学先の決定から帰国までの留学経験を振り返ってみて、とても多くの苦労があった一方で、自由度の高い、楽しい時間も送ることができました。どれもが大切な経験で、人生を豊かにしてくれた日々と改めて感じます。自分の留学の特徴としては、コネクションがない状況でも留学先を見つけることができたことと、学童期の子どもが現地の生活になじめず、途中帰国の可能性がよぎった困難な時期を乗り越えられたことですね。私の経験は、学童期の子どもを含めて、家族とともに留学生活を送ることを考えている人にとって、参考になる部分があるかもしれません。 

叔父のアドバイスで「人脈作り」など留学の目的を明確化 

――ではまず、留学することにした経緯、留学先をどのように見つけたかについて教えてください。 

川﨑 私が海外留学を本格的に考え始めたのは、大学院博士課程修了の少し前くらいです。当時、教授だった巽浩一郎先生(現・千葉大学名誉教授)にかけてもらった言葉がきっかけでした。 

「川﨑君には大学に残って、臨床も基礎研究も継続して頑張ってほしい」と言われたのです。巽先生は千葉大学の呼吸器内科を、臨床だけでなく基礎研究でも医学の発展に寄与できる医局に発展させようと教室を運営されていました。基礎研究の体制強化の流れの中で、大学院第一期生となった1人が私だったという背景があります。 

巽先生のお言葉はとてもうれしかったのですが、それまで大学で研究を続けることはほぼ考えていなかったので、その時点では力不足だなとも思いました。そこで大学での役割を果たす覚悟を決めて、特に基礎研究に関する経験をさらに積むために、海外留学をしてみようかという考えが浮かんだのです。 

私にはシカゴに住んでいる叔父がいたので相談してみました。すると叔父は、「2年ほどの滞在で大きな研究成果を出すのは難しいのではないか」と心配してくれつつも、「米国滞在中に人脈を作り、そのつながりを日本に帰ってからの仕事に生かすのなら、意義のある留学になるのではないか」とアドバイスをくれたのです。 

叔父のアドバイスを加味して自分なりに留学の目標を練り込みました。まず、基礎研究に関しては可能な限り、帰国後も応用できそうな知識や手技を吸収してくること、それとともに帰国後の国際的な取り組みを視野に人脈を作ること、その2つを留学の明確な目標としました。 

学会会場でATS理事長に留学先の紹介を直談判 

――留学先はどのようにして見つけたのですか。 

川﨑 留学しようと決めたのが2015年3月です。その1カ月後の4月に、日本呼吸器学会学術講演会が東京で開催されました。同学会には当時、米国胸部学会(ATS)の理事長だったアトゥル・マルホトラ先生(Dr. Atul Malhotra, Professor of Medicine, UC San Diego Health)が特別講演で招かれていました。 

ATSは日本呼吸器学会の展示会場にブースを出していて、マルホトラ先生は講演が終った後、他の先生方とそこで談話されていました。面識は全くなかったのですが、私は「このタイミングしかない」と思ってブースのマルホトラ先生にお声がけし、「日本の大学で今年、博士号を取った医師です。米国のシカゴ周辺の大学に急性肺障害をテーマに基礎研究留学したいので、受け入れてくれそうな先生を紹介していただけませんか」と直接ご依頼したのです。

留学の受け入れ先を紹介してくれたマルホトラ先生(右)と。左はATS事務局長のクレイン(Mr. Crane)氏(左)。(川﨑氏提供)

 ――すごい度胸ですね。 

川﨑 我ながらよくやったと思います(笑)。でも、マルホトラ先生はそういう積極的な姿勢に対して「分かった、いい人がいるから任せておきなさい。後で私に電子メールを送っておいて」と名刺をくださいました。学会から帰ってきて早速マルホトラ先生に電子メールを送ったところ、推薦する医師のメールアドレスをCCに付けて、「彼に相談してみるといいよ」と返事が届きました。そこで紹介された方が留学先ラボのPIであるデュデック先生でした。1カ月後の5月にコロラド州デンバーで開催されたATS 2015でデュデック先生と初めて面会し、その後、受け入れが決定し、留学助成金申請が可能となりました。 

――呼吸器内科の医局では留学先を紹介してもらえなかったのですか。 

川﨑 私の場合には同行する家族のケアも考えて、叔父が住んでいるシカゴ周辺に留学したかったのです。また、急性肺障害は私の祖父が亡くなった疾患で思い入れもあり、大学院で取り組んだテーマでしたので、このテーマで留学することも、諦めたくありませんでした。そのため自分で留学先を探すほかなかったのです。 

――巽先生は何と言っていましたか。 

川﨑 実は巽先生には、マルホトラ先生にデュデック先生を紹介してもらった後の事後報告となりました。医局の医師が教授に相談もせず勝手に留学の話を進めたりすることは、本来は御法度と認識しています。でも私の中では「巽先生なら、そういう心意気をきっと買ってくださるだろう」という期待がありました。 

巽先生は報告を聞くと、間もなく「いいですね、応援します」と言ってくださいました。さらに私を支援するために、デュデック先生宛にご挨拶の電子メールも送ってくださいました。私の事後報告は褒められたものではありませんが、千葉大学呼吸器内科学巽浩一郎講座の懐の深さが伝わるエピソードのように思います。

ATS2015の会場でデュデック先生(右)と記念撮影。(川﨑氏提供)

 家族ぐるみの交流で子どもの現地順応をサポート 

――ご家族も一緒に行かれたのですか。 

川﨑 米国へは家族全員で行きました。子どもたちは当時、長男が小学4年生、次男が2年生、娘が幼稚園の年少でした。住居としては、シカゴのダウンタウンから北東に40kmくらい離れた郊外にタウンハウスを借りました。日本人の駐在員家族がたくさん住んでいるエリアで治安は良く、日本人のコミュニティがあり、小学校も現地の公立校なのに6人に1人の生徒が日本人でした。通勤には片道2時間弱を要し、通勤の負担はありましたが、何より家族が現地になじみやすいことを優先してこのエリアを選びました。 

2016年4月に私がまず1人で渡米して住居の契約などをして、5月上旬に妻や子どもたちが合流しました。米国の小学校の1年は8月中旬に始まり5月下旬に終わります。6月から8月中旬までは長い夏休みです。子どもたちが現地の学校に行き始めたのは5月中旬で終業日まであと2週間となった頃でした。ただ、次男は元々新しい環境が苦手なタイプで学校に全くなじめず、8月の新学年から仕切り直し、ということになりました。 

――どのようにして息子さんは現地の生活や学校になじんでいったのですか。 

川﨑 1つには、夏休みの間に、地域住民の方々との付き合いを広げられたことが良かったように振り返ります。 例えば、家の修理業者から、近くの教会が現地の人たちのコミュニティになっていると聞きつけ、「これだ」と思って毎週土曜日夕方の教会活動に親子で参加しました。私自身が積極的にコミュニケーションをとるようにして、「英語で言いたいことがうまく伝えられなくても、一生懸命伝えようとすることが大切」ということを、実際に示すように努めました。教会での活動後には、仲良くなった友人らとで外食に行くのが恒例でした。また、近所に住んでいる日本人家族とも積極的に家族ぐるみで交流し、次男を学校でもサポートしてくれる友人を夏休みの間に増やそうと心がけました。日本人の子どもたちも、次男がなるべくストレスなく友達の輪に入れるように気遣ってくれて、親子ともに救われました。そうしていくうちに、家族皆で徐々に米国の雰囲気に慣れていったように記憶しています。 

――新学期が始まってからは、いかがでしたか。 

川﨑 新学年初日、いつもは妻が見送るのですが、その日は私がスクールバスのバス停まで、長男、次男と一緒に行きました。バス停に着いたら、夏休み中に一緒に遊んだ子どもたちがそこにいて、自然に会話を始めました。そして次男は友人たちと一緒に黄色いスクールバスに乗り込んでいきました。 

その日から徐々に、次男は学校生活に慣れていきました。2年の間に、日本人だけでなく現地の子どもたちともそれなりにコミュニケーションが取れるようになりました。友人だけでなく、日本人の先生からの手厚いサポートを得られたこともよかったと思います。もし、次男が現地になじむことができなかったら、留学を切り上げて帰国していただろうと思います。

友人の家族たちと一緒に。(川﨑氏提供)

 手技を見直しながら実験を繰り返した結果、データが安定 

――留学先での研究内容についても教えてください。 

川﨑 研究テーマは、ARDS(急性呼吸窮迫症候群)における、ある分子の役割の解明でした。千葉大学の大学院では主に動物実験をやっていたのですが、留学先では培養実験の手技をぜひ習得したいと思い、培養実験も積極的に手がけさせてもらいました。具体的にはある分子の阻害薬がLPS誘発性肺障害を軽減し、肺血管内皮細胞で抗炎症作用を発揮することなどを分子生物学的に明らかにし、論文発表しました。このときの研究をきっかけに、新たな研究テーマが見つかり、イリノイ大学と千葉大学のコラボレーションという形で、現在も共同研究が続いています。

 ――目標としていた研究手技の鍛錬と、帰国後の仕事につながる人脈づくりが達成できたわけですね。 

川﨑 そのように認識しています。ここ数年で共同研究の論文を毎年出版できており、デュデック先生も喜んでくださっています。また、国際共同研究を続けられていることは、呼吸器内科学教室にとっても千葉大学にとってもメリットになっていると思います。 

――研究は最初から順調だったのですか。 

川﨑 初めての手技が多かったこともあり、最初の数カ月は思い通りにいきませんでした。手技が安定しないからデータが安定せず、データが安定しないから真実が見えないわけです。なので実験を1つ終えるごとに自分の手技を振り返って改善のポイントを洗い出し、課題を潰しながら実験を繰り返しました。半年ほどするとデータが安定してきて、研究が軌道に乗るようになりました。その過程では、同僚たちが手技を教えてくれたり励ましてくれたりと、温かくサポートしてくれました。 

――デュデック先生はどんな方でしたか。 

川﨑 私より10歳くらい年上で、研究者としても臨床医としてもとても優秀な方です。なおかつ一生懸命に頑張る人を応援してくれる優しさがあります。出会えて本当によかったと思える尊敬できるお1人です。いちばん感銘を受けたのは、まず相手から話を聞く姿勢、相手の良さを引き出そうとする姿勢です。「この人と一緒に仕事をしたい」「この人と仕事を継続できるように自分も頑張りたい」と思わせてくれる方でした。体験して「よかった」と思う指導法やミーティングの進め方などについては、帰国後の大学院生の研究指導において大いに参考にしており、これも留学でえられた大きな収穫と認識しています。


2018年3月に開かれた送別会で。(川﨑氏提供)


――最後に改めて、留学を検討している若い医師に向けてアドバイスをお願いします。 

川﨑 留学して全く苦労しない人はいないと思います。それでも苦労を乗り越える覚悟があり、家族の承諾など条件が整うのであれば、チャレンジしてみる価値は大いにあると思います。 

留学を実現するために「これが絶対に正しい」という方法はないと思います。ただ、自分が納得できる留学の目標を設定すること、チャンスを逃さないようアンテナを張っておくことは大切です。まずは自分自身が留学で何をしたいのかを明確にして、実現可能な目標を設定する必要があると思います。そして、ここだというチャンスがきたら、勇気を出してそれをつかみ取ることが重要です。留学がスタートしたら、自分の目標に向かって粘り強く日々を重ねることで、自分の殻を破ることができたり、人間的な成長が得られたりするように思います。 

家族一丸となって苦難を乗り越えたことも、私たち家族の大切な経験、思い出になりました。子どもたちにとって、親は妻と私の2人で、父親は私だけです。子どもたちが困っていたらどこまでも支えていくという心構えが、私の人生の軸ということを、留学を通じて強く認識できたように思います。家族同伴での留学生活を通じて、日本ではなかなかできない経験を共有することで、家族の絆もより一層深まったと思います。 

私にとっては、留学の準備段階から帰国するまでの全ての出来事が、どれ一つ欠くことのできない大切な経験になりました。難しい局面がいくつもありましたが、その一つひとつを乗り越えた経験が、基礎研究への取り組みだけでなく、難しい患者さんと向き合うときの粘り強さにもつながっていると感じます。帰国から5年たった今でも、留学経験が自分を後押ししてくれています。 

私の経験がこれからの海外留学を目指す若手研究者にとって、少しでも参考になれば幸いです。



 


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