コロナ禍を契機にラボを移籍、英語力向上も満足いく成果

神戸大学医学部附属病院検査部特定助教・副部長の千藤荘氏は、米国カリフォルニア大学サンディエゴ校に約3年間留学していた。最初は無給の客員研究員として働き始めたが、新型コロナウイルス感染症のアウトブレイクを契機に、同じUCサンディエゴ校内の別のラボに移籍して有給の助教ポジションを得ることができた。留学の目標の1つとしていた英語力の向上についても、満足できる成果を得たという。ネイティブと同じように話すことよりも、日本なまりの英語でいいから、堂々と言いたいことが言えるようになることが大切だと気付き、それを実践したと話す。

神戸大学医学部附属病院 検査部

千藤 荘(せんどう・しょう)氏
2006年、富山大学医学部卒業、公立陶生病院、神戸大学医学部附属病院、神鋼記念病院で研修。2013年、神戸大学医学部附属病院膠原病リウマチ内科医員、神戸大学医学部附属病院膠原病リウマチ内科特定助教。2017年、神戸大学大学院医学研究科修了、博士(医学)。2019年カリフォルニア大学サンディエゴ校医学部留学。2022年神戸大学医学部附属病院検査部特定助教・副部長。

――留学した時期、留学先を教えてください。

千藤 留学していたのは2019年7月末から2022年8月末までの3年1カ月です。留学がスタートした時の年齢は39歳でした。前半の留学先は米国カリフォルニア大学サンディエゴ校のリウマチ・アレルギー・免疫部門にあるヌンジオ・ボッティーニ先生(Dr. Nunzio Bottini, Professor of Medicine and currently serves as the Rheumatology Section Head in the Division of Rheumatology, University of California San Diego)のラボです。2021年4月からは、同じUCサンディエゴ校のゲイリー・ファイヤシュタイン先生(Dr. Gary S Firestein, Professor of Medicine and director of the Clinical and Translational Research Institute and the senior associate vice chancellor for health sciences at UC San Diego)のラボに所属が変わりました。

――留学途中でラボが変わったのですね。その辺りの事情は後ほどお聞きするとして、まずは留学することを決めた経緯から教えていただけますか。

千藤 私が神戸大学の膠原病リウマチ内科に入局したのは、熊谷俊一先生(現・神鋼記念病院膠原病リウマチセンター長)が教授を務められていた最後の年です。先生は2010年に退官後、神鋼記念病院に赴任してリウマチセンターを立ち上げられました。私は先生が退官される前に、「立ち上げのメンバーとして一緒に来て手伝ってくれないか」と言われ、熊谷先生に付いて行きました。

神鋼記念病院に勤務していた3年間、熊谷先生は常々「臨床でひとりひとりの患者さんを救うのはもちろん大切だが、基礎研究はもっと多くの患者さんを救うことにつながる」「基礎研究に力を入れるなら、留学は絶対にした方がいい」と話されていました。ずっと臨床をやってきた私にはピンと来なかったのですが、「基礎研究で留学するという道もあるんだな」と意識するようになりました。

基礎研究の面白さが分かってきたのは、大学病院に戻り、大学院で基礎研究を始めた2014~2015年頃からです。教科書にまだ載っていないことを自分で明らかにしていく研究の魅力に気づきました。がんばって研究を続ければ、自分にも多くの患者さんを救える成果が出せるのではないかと考えるようになり、それからは海外留学も視野に入れて基礎研究に打ち込み、積極的に学会発表をしたり論文を書いたりするようになりました。

米国リウマチ学会に参加して留学先ラボのPIと出会った

――留学先として、ボッティーニ先生のラボを選んだのはどういう経緯だったのですか。

千藤 2017年の米国リウマチ学会(サンディエゴで開催)での研究発表がオーラル演題に選ばれたのですが、そのセッションの座長がボッティーニ先生でした。同じセッションでは、ボッティーニ・ラボのポスドクが自己免疫性関節炎を自然発症する「SKGマウス」を使った研究の演題を発表していました。私も当時、SKGマウスを使って研究をしていたので、共通する点が多くその研究内容がとても興味深かったのです。直感的に「このラボに留学したい」と思い、ボッティーニ先生とはまったく面識がなかったのですが、セッションが終わった後、「先生のラボに留学させてもらえませんか」と直談判しました。

ボッティーニ先生も、SKGマウスを使った私の研究に興味を持ってくれたようでした。ただボッティーニ・ラボには有給の研究者のポジションに空きがなく、受け入れに関しては「日本で奨学金を取れたら受け入れは可能です」との返事でした。従ってすぐに留学は実現しませんでしたが、留学先のラボが見つかりPIとの面識もできたので、それからは奨学金の獲得を模索することになりました。

――奨学金を獲得するのは大変でしたか。

千藤 獲得が決まるまで、7つか8つくらいの奨学金制度に応募しました。神戸大学の場合、代表的な奨学金制度に応募するには、まず学内選考を受ける必要があります。学内選考を経て応募できれば獲得できる確率は高くなるのですが、学内選考のハードルがなかなかクリアできず大変でした。学内選考がない奨学金制度にも応募しましたが、それらは競争率がとても高くて、やはりなかなか獲得できませんでした。ようやく奨学金獲得が決まったのが2018年末です。その後、半年ちょっとの準備期間を経て2019年7月に渡米しました。

――自前の資金だけで留学するのはやはり難しかったのでしょうか。

千藤 アメリカで研究をする場合、どこかしらから一定以上の賃金を得ていないと働かせてはいけないというルールがあります。例えば、4人家族の場合、年間約5万ドルの賃金を得なければアメリカで働くことはできません。なので、ある程度高額な奨学金を得る必要がありました。また、家族4人が米国、特に都市部で安全に滞在するためには年間1000万円必要で、3年間の滞在費用は3000万円以上になると試算していました。奨学金で賄えるのはその費用の一部ですが、それでもあるのとないのとでは大きく違います。

留学の目標は「論文を最低1本書くことと英語力の向上」

――留学の目標は決めていましたか。

千藤 論文を最低1本は書くことと、あとは英語ですね。英語は留学前から結構勉強していたのですが、海外学会に参加するとなかなか聞き取れず話せもせず、自分の中でモヤモヤしていました。ちゃんと英語が聞き取れて話せるようになりたいと、留学前には考えていました。

――留学を経て、英語は聞けたり話せたりできるようになりましたか。

千藤 聞き取りに関しては最終的には8割5分くらいネーティブの英語が理解できるようになりました。話す方については、当初はネーティブと同じように話せるようになろうと頑張りましたが、留学2年目にそれは諦めました。

諦めたというか、日本なまりの英語でもいいんだと気づいたのです。ボッティーニ先生はイタリア系でイタリアなまりの英語を話すし、中国人の研究者は中国なまり、スペイン人の研究者はスペインなまりの英語を話します。それぞれがなまった英語を話して聞いてコミュニケーションできています。私も日本語なまりの英語でいいから言いたいことを堂々と話せるようになろう、それが大事なんだと考えるようになって、英語を話すことに対するハードルがなくなりました。

――英語力向上のために留学中にやっていたことや工夫はありますか。

千藤 ラボには私以外に日本人はいなかったので、家を出てから帰宅するまでまったく日本語を話しませんでした。耳を慣らすために家でもテレビでずっと英語の番組を流していました。

それから通勤途中などに、目に入った事柄を英語で表現して独り言を言うのを習慣にしていました。例えば信号を渡るとき「The signal is green. Now, I can cross the road.」といった具合です。これはかなり効果があったと思います。日本語を介さず、英語で考えて英語で話すことが自然にできるようになり、その影響で聞き取りの力も上がったように思います。

――帰国後、英語力を維持するために何かされていますか。

千藤 現在4歳の娘とは、米国滞在時から現在まで英語だけで会話をしています。娘が英語を忘れないようにするためと、私の英語の練習のためです。妻と娘は日本語で話すので、娘が日本語を話せなくなる心配はありません。あとは大学に来ているスペインからの留学生と英語で会話をするなど、英語を話す機会を積極的に設けて英語力の維持に努めています。

渡米直前に研究テーマ変更、「まずは与えられた仕事をしっかりやろう」と承諾

――留学先での研究テーマについて教えてください。

千藤 SKGマウスの免疫細胞の解析が研究テーマになるはずだったのですが、渡米直前にガラッとテーマが変わりました。ポスドクが急に1人いなくなったため、その人がやっていた研究を引き継いでくれないかとボッティーニ先生に言われたのです。

――ご自身としては、それは受け入れ可能だったのですか。

千藤 期待されて重要な研究テーマを任せたいと言われたわけなので、引き受けようと決めました。まずは与えられた仕事をしっかりやろうと。実績を積めば給料がもらえるポジションに就けるかもしれないし、自分がやりたい研究を手掛けるチャンスも回ってくるかもしれないと考えました。

――新しく決まった研究テーマについて教えてください。

千藤 簡単に言うと、受容体型プロテインチロシンフォスファターゼ(RPTP)が骨膜線維芽細胞をどのように制御しているかについて、メカニズムの一端を明らかにする研究でした。具体的には、変異したRPTPαを発現させた滑膜線維芽細胞ではRPTPαの2量体化(ダイマライゼーション)が起きにくくなり、その結果、滑膜線維芽細胞の遊走、浸潤が抑えられ、結果として関節炎が抑制されることを明らかにしました。

滑膜線維芽細胞の浸潤が起こらなくなると、関節炎は改善します。ですから、RPTPαの2量体化を阻害するような抗体が、関節炎の治療薬になる可能性を示したともいえます。RPTPαは免疫細胞にはあまり発現していないたんぱく質なので、RPTPαの2量体化阻害を創薬ターゲットにすることで、免疫への影響が少ない膠原病治療薬の開発につながるかもしれません。この研究内容については2022年の米国フォスファターゼ学会と、2023年の日本リウマチ学会のICW(International Concurrent Workshop)ですでに発表しています。論文も、2023年7月4日にScience Signaling誌に掲載されました。

新型コロナが転機、別のラボに移籍して有給ポジションを獲得

――留学途中でラボを変わったとのことでしたね。

千藤 それにはいろいろな事情が絡んでいるのですが、一番大きかったのは新型コロナウイルス感染症のアウトブレークです。今でも鮮明に覚えていますが、米国では2020年3月13日に、当時のドナルド・トランプ大統領が国家非常事態を宣言しました。サンディエゴでもロックダウンが始まって、ラボに行くことができなくなりました。次にラボに行けたのは約5カ月後、8月に入ってからです。

研究再開後も、ラボを密にしないために実験室内の研究者の人数制限が続きました。日中は正規(有給)の研究者優先で、私のように無給で留学している研究者や学生は、正規の研究者が研究を終えた後、つまり夕方7時から翌朝7時までを研究時間とするよう指示されました。

――昼夜逆転の生活になってしまったわけですね。

千藤 いえ、「昼も夜もない生活」が正しいと思います。子どもたちも学校や保育園に行けずオンラインの在宅授業だったので、昼間は子どもたちの面倒をみていました。私はもともと短い睡眠時間でも比較的大丈夫なのですが、さすがにしんどかったです。そんな生活が2カ月くらい続いたので「とにかく普通の時間帯に働かせてほしい」「給料がもらえる正規の研究員ポジションにしてほしい」とボッティーニ先生にお願いしたのです。

ボッティーニ先生は、それまでの私の研究成果について一定の評価をしてくれており、「NIH(米国立衛生研究所)に申請したグラントの結果がもうすぐ分かる。それが獲得できていたら君を雇うから」と言ってくださいました。しかし、コロナ禍でNIHのグラント採択基準が厳しくなり、結局そのグラントは獲得できず、2020年11月になってボッティーニ先生から「残念ながら君に給料を出すことはできない」「有給のポジションが必要なら他のラボで職を探してください」と言われたのです。

それで私は、米国で就職活動をすることになりました。カリフォルニア州の大学や研究施設を中心に、たくさんのCV(履歴書)を送りました。その結果、採用を検討してくれたラボが2つあったのですが、結局その2つともUCサンディエゴ校内のラボでした。面接を受けて最終的に、ファイヤシュタイン先生のラボで有給の助教のポジションで雇ってもらうことが決まりました。

ファイヤシュタイン先生は有名なリウマチ学の教科書「Firestein & Kelley’s Textbook of Rheumatology」の筆頭著者で、日本でもよく知られている方です。私を雇ってくれた理由については詳しく聞いていませんが、ボッティーニ先生から「優秀な研究者だから彼を雇ってやってくれないか」との口添えもあったようです。途中でラボを離れることになってしまいましたが、ボッティーニ先生には感謝しています。

ボッティーニ・ラボ、ファイヤシュタイン・ラボがあるUCSD・ACTRI(左)と千藤氏の実験の様子。(千藤氏提供) 
―ファイヤシュタイン先生のラボでの研究成果を教えていただけますか。 

千藤 研究は非常にうまくいったのですが、まだ発表前なので具体的には言えないのです。簡単に言うと、リウマチ患者の滑膜線維芽細胞には翻訳後修飾の経路に異常があって、そこを抑制することで異常に活性化した滑膜線維芽細胞が正常化できることが分かった、といった内容の成果です。創薬につながる可能性も十分にあると思います。今年まず米国のリウマチ学会で口頭発表して、来年、論文発表することを目指しています。 

――ファイヤシュタイン先生はどんな方でしたか。 

千藤 実験結果を報告すると、結果が良くても悪くても「Result is result(結果は結果ですね)」と言われるのです。望んでいた結果が出なかったときも、実はそれが本質を表しているのか、それとも自分の手技の問題でそうなってしまったのかをしっかり考えて、次に何をすればいいのかを考えなさいと教わりました。自然科学の研究では、自分が望む結果を無理に出そうとしてはいけないよ、ということです。基本的には細かいことは言わず、自分に続く指導者を育てることを意識されていたように思います。 

茶目っ気があるというか、粋なことをする一面もありました。ファイヤシュタイン先生がハワイ出張から帰って来た際、「ハワイでいいプレゼントを見つけたので君に買ってきたよ。郵送で後から届くから楽しみにしていて」と言われました。何だろうと思って待っていたら、先生の著作の教科書が送られてきました。後に、ファイヤシュタイン先生にお願いしてサインを入れてもらいました(笑)。

ファイヤシュタイン・ラボのメンバーとランチ。左から3番目(一番奥)がファイヤシュタイン教授。(千藤氏提供)

 日本から留学中の医師・研究者家族同士で交流も 

――休日はどのように過ごされましたか。 

千藤 サンディエゴ周辺は米国で1位か2位かの治安の良い地域で、夜、女性が1人でランニングをしている姿もよく見かけました。私たち家族も街中を散歩したり、サンディエゴ湾を挟んでダウンタウンと対面する街「コロナド」にいったり、美しいラホヤの海岸に行ったりして楽しむことができました。 

少し長い休暇には、自動車で国立公園などに出かけました。ヨセミテ国立公園、セコイヤ・キングスキャニオン国立公園、イエローストーン国立公園、デスバレー国立公園、ジョシュアツリー国立公園、アンザボレゴ州立公園などに行きました。

コロナドの海岸で子どもたちと。サンディエゴ湾を挟みサンディエゴのダウンタウンが見える。(千藤氏提供)
 

――サンディエゴ周辺の大学・研究施設には、日本から留学している医師も多いと聞いています。現地では、日本人医師同士の交流はあったのでしょうか。 

千藤 この留学体験インタビューにも登場されている筑波大学から来られていた三木春香先生ご家族とは、現地で交流がありました。三木先生のお子さんとうちの息子は小学校のクラスが一緒だったのです。ただ当時はコロナ禍で学校には行けず、子どもたちはオンラインで顔を合わせるだけでした。私は息子のオンライン授業のケアのため後ろに座って授業の様子を見ていたのですが、授業が終わった後、私と同じようにお子さんのケアをしていた三木俊一郎先生が画面にちらっと映ったので、「ちょっといいですか」と話しかけたのが交流のきっかけでした。 

コロナ禍でも子どもたちが一緒に遊べるように、家族ぐるみで仲良くなれたらいいなと思ってお声がけしました。三木春香先生・俊一郎先生が医師であることを最初は知りませんでした。仲良くなってからはお互いの家に招いたり招かれたり、あとは公園にピクニックに一緒に行ったりもしました。また、三木俊一郎先生とはテニスが趣味であるという点が共通していたので、ほぼ毎週末、一緒にテニスをしていました。三木先生ご家族だけでなく、現地で親しくなった日本人研究者とその家族の方々とは帰国後もSNSなどでつながっています。再会の機会はなかなかないのですが、三木春香先生とは診療分野が同じなので、今後もしかしたら学会などでお会いできるかもしれません。

セコイヤ国立公園のジャイアント・セコイヤの林。巨木は樹齢2000年以上、高さ100m以上とされる。(千藤氏提供)

 

――最後に、留学を検討している若い医師に向けてアドバイスをお願いします。 

千藤 海外留学にはメリットもデメリットもあると思います。私自身にとっての留学のメリットは、やはりトップレベルのラボで研究ができたこと、以前から苦手意識があった英語が聞き取れて自分なりに話せるようになったこと。さらに米国人の考え方や米国の社会の仕組みが肌で感じられたこと、国立公園などのアメリカの雄大な自然を体験できたこともメリットだと感じています。それから子どもたちが英語を身に着けたり米国人の友人ができたりと、家族が米国滞在を楽しみ成長してくれたこともすごく良かったと思います。 

一方で最大のデメリットは、米国滞在のためにお金がたくさん必要だったことです。後半はラボから給料がもらえましたが、それでもかなりの出費でした。もう1つのデメリットは、帰国後しばらくは臨床面で「浦島太郎」状態になってしまったことです。例えば、留学前は2剤の使い分けを考えればよかったJAK阻害剤というリウマチの薬が、留学期間中に新しく3剤出て、5剤の使い分けを考えなければならなくなっていました。ただし現場復帰から1年ほどで、臨床面での遅れや戸惑いはほぼ解消しました。留学を検討されている方は、自分にとってのメリットとデメリットをそれぞれ考えてみて、留学するかどうか決めるとよいと思います。私の場合、今改めてメリットとデメリットを並べてみても、メリットの方が大きかったなと思います。 

留学先ラボ選定についてのアドバイスですが、可能な限り、給料がもらえるポジションを探すことをお勧めします。奨学金だけでは、滞在費用は全然足りません。もちろん自分がやりたいことが達成できるラボを見つけるのが第一ですが、候補が2つ以上あるなら有給のポジションが得られるラボを優先した方がよいと思います。私は帰国後、「留学先ラボを探しているのだけれど…」と相談してきた2人の日本人研究者を、もとボスのラボへ有給で雇ってもらえるように橋渡ししました。私のときはそんなツテがなかったので苦労しましたが、もし留学検討中の方がおられましたら、私に相談してくださってもいいですし、周囲に留学中の人や留学経験者がいたら、相談してみるとよいかもしれません。


 

 

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