東北大学病院リウマチ膠原病内科助教の石井悠翔氏は、米国アトランタのエモリ―大学に留学して、全身性エリテマトーデスのエピジェネティクスの研究をしてきた。臨床寄りのラボを候補としたことで、ラボ探しは順調に進んだという。留学先では、カルテの情報から患者の重症度をスコア化して分類するなど、臨床医としての知識や経験が役立ったとのことだ。留学では研究資金の規模の違いなど、越えがたい日米の差も感じたが、日本でも実施可能な研究手法のノウハウを持ち帰ることができたという。
東北大学病院 リウマチ膠原病内科
石井 悠翔(いしい・ゆうしょう)氏
2013年東北大学医学部医学科卒業、山形市立病院済生館初期研修医。2015年東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センター医療練士。2016年東北大学医学研究科医科学専攻博士課程。2020年東北大学病院血液免疫科医員。2020年 9月〜2023年9月、米国Emory University, Division of Rheumatology, Department of Medicine, School of Medicine。2023年東北大学病院リウマチ膠原病内科助教
──留学期間と留学先から教えてください。
石井 私は東北大学大学院博士課程を2020年3月に卒業して、同年9月から2023年9月までの3年間、米国ジョージア州アトランタにあるエモリ―大学医学部リウマチ膠原病科に留学していました。ラボのボスはイグナシオ・サンズ先生(Ignacio Sanz, MD, Professor of Medicine and Pediatrics and Chief of the Division of Rheumatology, Emory University School of Medicine)です。
──留学時期が、新型コロナウイルス感染症の流行とちょうど重なったのですね。
石井 はい。留学の受け入れ自体は2019年秋に決まったのですが、その後、新型コロナウイルス感染症のアウトブレークが起りました。そのため2020年6月の段階では「今年、渡米するのは無理かもしれないな」と思い始めていたのです。しかし7月にエモリ―大学からビザの手続きが完了したとの電子メールが来て、すぐに航空チケットを取って8月末に渡米し、2週間の待機期間を経て9月15日から研究をスタートすることができました。
面接を受けた3つのラボ全てから「受け入れ可能」の返事
──留学先としてサンズ先生のラボを選んだ経緯を教えてください。
石井 私の大学院での研究テーマは、メチオニン代謝と翻訳後修飾でした。エピジェネティクスの影響を、全身性エリテマトーデス(SLE)のモデルマウスで検証していたのです。そのためポスドクでは、ヒトの検体を使って、より臨床に近い研究をしてみたいと考えていました。留学先は自分で探しました。発表論文を基にいくつかのラボをピックアップして応募したところ、全て書類審査はパスしたので、3つのラボを選んで面接を受けることにしました。2019年11月に開催された米国リウマチ学会に合わせて渡米し、それぞれのラボのボスと直接会って話をしました。
面接もうまくいって3つのラボ全てから「受け入れ可能」の返事がもらえました。サンズ先生のラボを選んだ理由は、同ラボではヒト検体を使ってSLEのB細胞のエピジェネティクスを手掛けており、私がやりたいと考えていたテーマとぴったりだったことが、まず1つです。もう1つは、有給のポジションで迎えてもらえ、奨学金獲得の必要がないということでした。実は、同じ条件のラボがもう1つあり、そちらも有名な先生のラボだったので迷いました。決め手は、サンズ先生のラボにはそれまで日本人医師が留学したことがなかったことです。他に留学した人がいないラボに行った方が、日本に新たな知見をもたらせるのではないかと考えました。
──短期間で順調に希望のラボが見つかった要因は何だったのでしょうか。
石井 ラボ探しは結構苦戦すると聞いていたので、私も少し意外でした。私個人の考えですが、比較的、臨床寄りのラボを選んで応募したのがよかったのではないかと思います。基礎寄りのラボに応募した場合に比べて、医師免許と専門医資格が有利に影響した面はあると思います。それから、私が大学院でやっていた研究がエピジェネティクスというホットなテーマで、ラボがこれから力を入れようと思っていたところに、ちょうどフィットした面もあるかと思います。後は、たまたまラボでこのテーマの研究をしていた人が抜けて人材を探していたといった「運」もあったようです。
ラボのボスが親日家だったということもあるかもしれません。留学した後に知ったのですが、サンズ先生はスペイン代表として、柔道でバルセロナオリンピックに出たことがあるそうです。講道館や天理大学で柔道を学ばれたとのことでした。臨床研修中にオリンピックに出て、その後、渡米して臨床医、研究者としての今の地位を築かれました。とてもストイックで熱い方でした。

他の研究者が戻る前のラボで留学がスタート
──渡航直後のラボの様子はどうでしたか。
石井 2020年9月の段階では、研究者はほとんどラボに戻って来ていませんでした。サンズ先生も、オンライン会議で済むミーティングはできるだけオンラインで済ませる方針を取っていました。しかし私はほぼ毎日、ラボに通いました。私のビザは米国の「J1」というビザで、交換交流プログラムの一環として滞在や就労が許可されるものです。「自宅にこもっていては文化を学んだり交流したりできないから、8割以上は職場に行くように」と大学側から言われていたのです。
渡航前はバタバタしていたので、留学先での研究テーマははっきりとは決まっていませんでした。ですから、ラボで働き出して当面の間は、テクニシャンの人たちがCOVID-19の血液サンプルを処理するのを手伝ったり、論文を読んだりして過ごしながら、週1回のサンズ先生とのオンラインミーティングで研究テーマを詰めていきました。
──サンズ先生のラボは、COVID-19関連の研究も手掛けていたのですか。
石井 新型コロナウイルス感染症が流行・拡大すると、米国政府はすぐに、研究助成金の交付対象をコロナ関連に集中させました。それに応じて多くのラボが、にわかにコロナ関係の研究をスタートさせたのです。サンズ先生のラボでもCOVID-19の患者の血液サンプルを集めようと動き出し、連日、サンプルがラボに届いていました。この判断により、コロナと自己免疫反応に関する3本の論文を発表することができ、そのうち1本には共著者として関わることができました。

クリスマスツリーが飾られた留学先のエモリー大学病院。(石井氏提供)
SLEのナイーブB細胞に着目、エピジェネティクスの研究を開始
──留学先での研究テーマについて教えてください。
石井 私がサンズ先生のラボに応募するきっかけとなった論文があります。SLEの患者で特異的に増加しているB細胞の集団があり、それらが古典的な活性化のパスウェイとは違う方法で活性化されているのではないか、ということを示した報告でした。私はその研究を発展させ、B細胞のエピジェネティクスをやりたいとサンズ先生に提案したのですが、それはもうその論文を書いた研究者がやっているということでした。
そこで私の方からいくつか別の研究テーマを提案する中で、最終的に、成熟したB細胞になる手前の「ナイーブB細胞」や「トランジショナルB細胞」を詳細に調べてエピジェネティクスをやることに決まりました。SLE患者と健常者を比較すると、ナイーブB細胞やトランジショナルB細胞の段階で、既に活性化に違いが出ていることが示唆されていたからです。
具体的な研究の流れとしては、まず私がエモリ―大学医学部の提携病院であるグレイディ病院の電子カルテに基づいて「疾患活動性が高いSLE」「疾患活動性が低いSLE」を評価・分類し、コーディネーターに「この患者さんとこの患者さんに検体採取の同意を取ってください」とお願いして、血液サンプルを採取します。サンプルがある程度集まったら私がそれをフローサイトメトリーでソーティングして、RNAシーケンス、ATACシーケンスをしてくれるコラボレーターに送ります。コラボレーターのもとである程度データ解析してもらい、その結果についてオンラインでディスカッションします。ディスカッションを経て、必要であれば追加の実験を計画して実施するといった流れでした。サンズ先生には定期的に進捗を報告して、サジェスチョンをもらっていました。
コロナ前には病院から臨床検体を送ってもらうルートができていたそうなのですが、コロナでそれが全部崩壊していました。ですから臨床医に連絡してサンプル採取の許諾を得るところから始めなければならず、実際にはかなり苦労しました。
──成果はいかがでしたか。
石井 既に一部の結果を2022年6月のキーストーンシンポジアという学会で発表しています。私が今回、特に注目したSLE患者のナイーブB細胞については、RNAシーケンスで遺伝子発現を網羅的に見ると、健常者、低活動性の患者、高活動性の患者で、それぞれきれいに分布が分かれていました。寛解を達成した低活動性の患者であっても、健常者とは遺伝子発現のプロファイルが異なっていることなどが分かりました。また、ATACシーケンスを実施して、オープンクロマチン領域の情報を解析したところ、高疾患活動性の患者さんではクロマチンの開き具合が大きく、領域はスペシフィックでした。まだはっきりしたことは言えませんが、これがエピジェネティクスによるメモリーの可能性を考えています。帰国後もサンズ先生とディスカッションを続けており、さらにインパクトのあるデータの追加を検討中です。論文発表までにはもう少し時間がかかるかもしれません。
──米国で研究をしてみて、日本との違いをどう感じましたか。
石井 一番感じたのは、すごくコラボレーションが盛んであるということです。サンプル集めやデータの解析などで、米国全体でコラボレーションしていました。同じ研究分野のコンペティターと、一部ではコラボレーションしているということも珍しくありません。あとは研究資金の規模の違いも感じました。日本と比べると桁が違っていました。
──留学先で見てきたものや得たもので、日本で生かそうと考えていることはありますか。
石井 米国でやった研究手法は、簡単に言うと、通院されている患者さんを症状や治療法などで分類して検体を比較・解析するというものでした。こういった研究は日本でも実施できます。ただ、米国ではコーディネーターや技術員の方々がサポートしてくれていた作業を、どう効率的に行うかといった課題はあると思います。
──帰国された2023年9月の段階で、米国のラボには、コロナの影響は残っていましたか。
石井 日本から米国への留学に関して言えば、もうほとんど影響はありませんでした。むしろコロナ後の揺り戻しで、今はちょっと競争が激しくなっているかもしれません。
日曜日に教会で開催される「カルチャーエクスチェンジ」で。(石井氏提供)
休日は教会で「カルチャーエクスチェンジ」にも参加
──アトランタでは、休日をどのように過ごされましたか。
石井 楽しかった休日の過ごし方で思い出すのは主に3つですね。1つは教会です。私はキリスト教徒ではないのですが、英語の勉強と人との交流を目的に、日曜日には近くの教会に行っていました。「カルチャーエクスチェンジ」というイベントがあって、別の国の人が2人でペアになり、互いの国の文化やバックグラウンドについて英語で紹介し合うのです。アトランタにはエモリー大学の他にコカ・コーラやデルタ航空の本社、CDC(米国疾病管理予防センター)の本部もあり、アジア、アフリカ、欧州、南米などからも人がたくさん来ています。そういった事情からか、カルチャーエクスチェンジには多様な国の人が参加していました。いろいろな話が聞けて楽しかったですよ。
個人的にビールが好きなので、よくブリュワリー巡りもしました。アトランタには地場のブリュワリーがたくさんあって、美味しくて個性的なクラフトビールの試飲ができます。これも楽しかったですね。
それからスポーツ観戦です。アトランタには4大プロスポーツのプロチームに加えて、サッカーのプロチームもあります。特にMLBのアトランタ・ブレーブスの試合は、何度もスタジアムに行って生で観戦しました。ブレーブスは私が行った翌年の2021年に、ワールドシリーズを26年ぶりに制覇しました。優勝パレードが行われ、街中がものすごい盛り上がりでした。

──最後に留学を目指す若い医師に向けてアドバイスをお願いします。
石井 留学先を探すのはすごく大変というイメージを、多くの若い医師が持っていると思います。しかし応募してみたら、案外とすんなりOKの返事が返って来ることもあります。ですから留学したいなら、まずはトライしてみたらどうでしょうか。周囲に留学経験がある先輩や知人を探して根回ししてもらうのも1つの手ですが、まったくツテがなく応募しても、結構、歓迎されることもあると思います。
私の留学先は臨床検体を使って研究しているラボでしたが、働いているのはほとんどがnon-MDの研究者でした。例えば、カルテを基に患者の重症度をスコア化して、検体採取する患者を選び出すといった作業はMD研究者の得意とするところです。基礎研究のラボであっても、臨床の知識が重要な研究を手掛けているラボでは、日本から留学するMD研究者は重宝されると思います。
ただし採用されたとしても、自分で研究テーマを構想してプロジェクトを進めることができないと、何もできないまま留学期間が終わってしまうリスクがあります。博士号を取って留学するなら、留学先のラボも相応の期待をして受け入れるので、ベーシックな実験手技はしっかりできるように準備していくこと、特にプロジェクトのコアになる手技については自信が持てるよう大学院で学んでおいた方がよいでしょう。
私は今振り返ってみても、サンズ先生のラボに留学してとてもよかったです。研究に関しては本当に最先端の勉強ができました。アトランタは留学先として日本人にはあまりメジャーではありませんが、それだけに私だけの経験を多くすることができました。都市部に比べて物価も家賃も安く、ラボからの給料だけで滞在費を賄うことができたのもメリットでした。
1人で留学するか、家族と一緒に留学するかについては、それぞれメリット・デメリットがあると思います。私は独身だったので1人で行きました。1人で留学することの一番のメリットは、時間が自由に使えることです。時間を気にせず研究に打ち込めましたし、遊びに行こうかなと思い立ったときには、自分で決めてスッと行くことができました。飲んで帰りが遅くなっても怒られることもありません(笑)。1人で留学に行くのも、それはそれでいいと思いますよ。
米国で基礎・臨床研究を経てクリニカルフェローとして臨床へ
2023.11.01
米国に10年超の長期留学、GVHDの基礎研究で成果
東梅 友美(とうばい・ともみ)氏
1999年山形大学医学部医学科卒業、石巻赤十字病院研修医。2001年社会医療法人北楡会札幌北楡病院血液内科医員。2002年北海道大学病院血液内科、北海道大学大学院医学研究科癌医学専攻。2006年米国ミシガン大学内科学講座血液腫瘍内科学分野リサーチインベスティゲーター。2014年3〜8月、米国サウスカロライナ医科大学研究助教授。2014年8月米国ミシガン大学リサーチインベスティゲーター。2017年山形大学大学院医学系研究科内科学第三講座血液・細胞治療内科学分野助教。2017年山形大学大学院医学系研究科内科学第三講座血液・細胞治療内科学分野学部講師。2019年山形大学大学院医学系研究科内科学第三講座血液・細胞治療内科学分野講師、山形大学医学部附属病院輸血・細胞治療部副部長。2019年山形大学医学部附属病院血液内科医長、同第三内科病院教授。