米国留学で学んだ臨床医が研究をする意味

大阪大学大学院医学系研究科呼吸器・免疫内科学の西出真之氏は、臨床医のキャリアだけでは得がたい経験を積みたいと、米国ハーバード大学への基礎研究留学を目指し、実現した。厳しい基礎研究の世界の中で、臨床医としての自分に甘えていた部分、成果を出すことに気負い過ぎていた部分に気づかされたと振り返る。当初予定より留学期間を短縮して帰国することになったものの、約1年の留学経験は現在の仕事にしっかりと生きている。「留学して本当に良かった」と語る西出氏に、その理由を聞いた。

大阪大学大学院 医学系研究科
呼吸器・免疫内科学

西出 真之(にしで・まさゆき)氏
2007年大阪大学医学部医学科卒業。2008年NTT西日本大阪病院(現・第二大阪警察病院)初期臨床研修医。2010年同病院膠原病・リウマチ科医員。2012年大阪大学医学部附属病院免疫アレルギー内科医員。2013年大阪大学大学院医学系研究科入学。2017年同研究科修了・学位取得、同研究科呼吸器・免疫内科学助教。2020年米国ハーバード大学医学部ブリガム・アンド・ウィメンズ病院リサーチフェロー。2021年大阪大学大学院医学系研究科呼吸器・免疫内科学助教。2024年同講師。

──留学先、留学期間から教えてください。 

西出 留学先はハーバード大学医学部の関連病院であるブリガム・アンド・ウィメンズ病院の研究施設です。ターニャ・N・マヤダス教授(Tanya N. Mayadas, Professor of Pathology at Harvard Medical School)が主催するラボに、2020年10月から約1年間、基礎研究留学をしていました。渡米したときの年齢は38歳で医師13年目でした。 

──留学のタイミングであった38歳は何かの節目だったのですか。 

西出 いえ、そういうわけではないです。私の所属する医局はいつ頃留学するといった慣習はなく、早く行きたい人は学位をとってすぐに準備をするし、しばらく研究所や病院で勤務してから留学する人もいます。私は後者でした。正直なところ、昔から「絶対に留学したい」と思っていたわけではありませんでした。 

「世界トップクラスの大学に留学する」を目標に掲げ5年計画で実現 

──どうして留学することにしたのですか。 

西出 私は5年ごとに自分の人生計画みたいなものを立てています。2012年に30歳で市中病院勤務から大学病院に戻ってきたとき、「基礎研究を一から勉強して一生懸命取り組み、新しい発見をしよう」と5年計画を立てました。幸いにも結果が出てリウマチ学の良いジャーナルに学位論文を出すことができました。そのまま大学に残って仕事をすることが決まったとき、次の5年間を考える中で「世界トップクラスの大学に留学する」ことを考え始めたのです。 

──単に「留学する」ではなく、「世界トップクラスの大学に留学する」だったのですね。 

西出 いろいろな方にお世話になって基礎研究を勉強し、少しだけですが成果も出させていただきました。 臨床医だけのキャリアでは歩けないレールの上を歩き始めたのだから、次の5年間でまた何か新しい経験をしてみたいと思ったのです。自分でもちょっとミーハーだったと思うのですが、海外でも屈指の大学の中はどんな景色なのだろう、というくらいの気持ちでした。その選択肢の1つにハーバード大学がありました。 

──ターニャ先生のラボを選んだのはどういった経緯だったのですか。 

西出 留学に向けて動き出したのは2019年の暮れで、当時大学院生と取り組んでいた仕事の論文化のメドが付いたタイミングでした。行動を起こそうと決めたその日にまず当教室の熊ノ郷淳教授の部屋を訪ね、「留学しようと思います。これからラボ探しを始めてよいでしょうか」と伝え、快く認めてもらいました。 

次に、自分がやっている研究テーマに合うラボを探しました。これまで取り組んできた好中球と自然免疫の関連の研究を継続できるラボがいいなと思い、自分の研究を遂行する中で参考にしていた論文を多く出していた2つのラボに絞りました。その1つがターニャ先生のラボでした。 

自分の履歴書や留学中にやりたい研究テーマ、推薦状などを電子メールで送ったところ、ターニャ先生からは翌日、「Skypeで面談しましょう」と返事をもらいました。面談はうまくいって、トントン拍子で2〜3日後には採用が決まったのを覚えています。もう1つの候補のラボにも書類を送ったのですが、結局、返事はありませんでした。 

──留学の費用はどのように準備しましたか。 

西出 ラボからはリサーチフェローという身分で一定の給料がもらえました。しかし住居費や子どもの保育園の費用などを含めた滞在費の全てが賄える額ではなかったので、海外学振(日本学術振興会海外特別研究員)の助成金も獲得して行きました。もちろん給料との二重取りはできないシステムなので、基本的には全て海外学振の助成金でやり繰りしながら、二重取りに当たらない部分をラボにサポートしてもらっていました。

                               留学先のブリガム・アンド・ウィメンズ病院附属研究施設。コロナ禍であったため出入口のセキュリティーチェックは厳しく行われていた。(西出氏提供)


2〜3年の予定だった留学期間を短縮、滞在1年での帰国を決断 

──最初から留学期間は1年と決めていたのですか。 

西出 そこが多分、私の留学経験が他の方と大きく違うところだと思います。当初は2〜3年の予定でしたが、期間を短縮して1年で帰国したのです。 

──留学先での研究テーマと、なぜ期間を短縮したのかについて教えていただけますか。 

西出 留学先で取り組んだ主な研究テーマは2つありました。その1つは、とある自己抗体を好中球が取り込むことにより、好中球が全く形を変えて活性化するという仮説を証明することが目的でした。約1年間、手を変え品を変え実験に取り組んだ結果、この仮説は実証されないことがわかりました。基礎研究の世界では珍しいことではありません。研究テーマの根本的な見直しか、あるいは別のテーマを探すことが必要になりました。 

もう1つは別のラボとの共同研究で、腎臓の病気の新薬開発でした。こちらもテーマとしては非常に面白いものでした。ただ、共同研究先と歩調を合わせて進める必要があり、具体的な成果が出るまでに何年かかるか分からない状況でした。研究テーマを見直して当初の予定通り米国で研究を続けるか、それとも留学を切り上げて帰国し日本で新たな研究に取り組むか。最終的に後者を取りました。 

日本の生活を畳んで家族も一緒に来たのに、1年うまくいかなかっただけで切り上げるなんてもったいないという思いが当然ありました。でも一方で、研究テーマを変えたとして、有限の留学期間で今後の見通しは?と冷静に見つめる自分もいて。悩み抜いた末、妻が最後に私の決断を後押ししてくれました。「留学を続けることが全てじゃないと思うよ」「短くても家族みんなで良い経験をしたよ」と言ってくれて。その言葉にすごく救われた気がして、ありがたかったです。 

──ターニャ先生も困惑されたでしょうね。 

西出 ターニャ先生に正直に自分の状況と考えを話し、留学期間を短縮して帰らせてほしいとお願いしました。驚いて、「しばらく休暇をとってもよいから」と強く引き止められましたが、最終的には私の決断を受け入れてくれました。本意は分かりませんが、ターニャ先生には心から感謝していますし、期待に応えられなかったことを今でも申し訳なく思っています。 

しかも先生は、帰国後に提出する留学助成金の報告書の評価欄に、全ての項目で最高評価である「Excellent」を付けてくれたのです。目に見える成果は出なかったとはいえ、1年間の滞在期間中は全力で研究に取り組んでデータをラボに残し次の先生に引き継いだので、その姿を評価してくれたのかなと思います。そして、阪大でのポジションを空けて帰国をすぐに受け入れてくださった熊ノ郷先生にも大きなご恩があります。今取り組んでいる研究で成果を上げ医療に貢献することで、そのご恩にも報いたいと思っています。

ラボの同僚たちと一緒に。実験のことから私生活のことまで、いろいろと相談に乗ってくれた仲間たち。(西出氏提供)

研究に人生を懸ける同僚の姿に自身の「甘え」を痛感 

──留学を経て得たもの、気づいたことはありましたか。 

西出 日本の臨床医は、患者さんを診ることと研究をすることを両立している場合がほとんどですよね。医師で基礎研究だけやっていて臨床はやっていないという人は少数派だと思います。しかし留学すると、「患者さんを診る」という仕事は外来も入院も含め全てなくなって、カルテを見ることすらなくなり、研究だけになるわけです。 

臨床医は目の前の患者さんを治療することで自分の医療行為に対して日々一定の「結果」が得られ、それを糧に喜び、反省し、成長することができます。研究の世界では、自分が「面白い」と思っていてもそれを世に出すことができなければ、サイエンスにも未来の患者さんにも正式には貢献していることになりません。留学先のラボの同僚のほとんどは臨床医ではなく、自分の研究成果を世に出すことに人生を懸けていました。私も臨床というデューティーが外れ同じ環境に置かれてみて、留学前の自分が「臨床と研究を両立している」という環境に甘えていた部分があることを思い知らされました。 

──成果が出ない時期は、ラボで働くのはきつかったですか。 

西出 いえ、結果が出なくてもターニャ先生はすごく自由な雰囲気の中で研究をやらせてくれました。1週間に1回の成果報告ではコンセプトの確認や次の実験の方針についての提案があり、多少のプレッシャーはありました。しかし結果が出なかったことについて責められたり怒られたりしたことはありませんでした。

                              研究室からは緑と都市が調和するボストンの街を望むことができた。(西出氏提供)

新しいものと古いものが混在するボストンの街並みが好きだった

 ──英語力は向上しましたか。 

西出 私は留学前も自分の研究を英語の台本なしでプレゼンするくらいはでき、英語はうまい方だと思い込んでいたのですが、その自信は完全に打ち砕かれました。米国で暮らしていると、例えば自宅で排水溝が詰まったとか、テレビが映らないとかのトラブルがあり、英語でクレームを入れなければいけない場面に遭遇します。それが最初は全然うまくできませんでした。特に電話での意思疎通が難しかったです。そういった経験を経て、ラボでも普段の生活でも、自分の主張を英語で伝えることが、留学前よりもうまくできるようになりました。 

日本人にありがちなのですが、「英語がうまいと思われたい」気持ちは絶対に捨てた方がいいです。ネイティブを装うのは無理だし無駄です。前置詞の使い方やイントネーションに多少の間違いがあっても、自分の伝えたいことをしっかり伝える、聞き取れないことははっきり聞き直すことが大切です。いわば開き直りですが、「あ、それでいいんだ」ということに気づけば、結局のところ英語力は格段に上がります。これから留学する人にぜひ伝えておきたいことですね。 

──ボストンの街の印象はどうでしたか。 

西出 コロナ禍だったので街の人とそれほど深く関わり合うことはなかったのですが、それでもボストンの街全体がすごく多国籍で、フレンドリーだと感じました。もっと冷たい感じの学術都市なのかなと思っていたのですが、実際には違っていました。子ども連れだと、街ですれ違う人がみな挨拶してくれます。スーパーなどに買い物に行っても、すごくフレンドリーでした。 

街並みもきれいでした。ハーバード大学から伸びる通り沿いに日本食のスーパーがあったのですが、住居から家族と一緒にその並木道を歩いて買い物に行くのが好きでした。街には近代的なビルが建っている一方で、古い建物も大切に残されています。古いものと新しいものが混在している街の雰囲気は、日本でいうと京都にちょっと近いかもしれないですね。 

ボストンはすごく良い街なので、留学先としてお勧めです。治安に問題はないし、子どもにとっても、幼少期を過ごす環境としてすごく良いと思います。ただ、小学校に入る前の子どもを連れていく場合、米国では保育にすごくお金がかかることを覚えておいてください。子ども1人につき、大人1人が慎ましく暮らす2倍くらいかかります。なので、ボストンへの留学を考えておられる方はお金をしっかり貯めて行くか、助成金などの獲得を頑張ってほしいです。

街を見渡せるボストンコモン(ボストン中心部の大きな公園)で。冬は一面の雪景色となる。(西出氏提供)

 

当時2歳になったばかりの息子との散歩。ボストンは子どもが幼少期を過ごすにも良い街だった。(西出氏提供) 

臨床経験を積んでから留学しても遅いことはない

 ──最後に留学を検討している医師に向けて、アドバイスをお願いします。 

西出 今回は、誰かの参考になればいいなと思って正直にうまくいかなかったことも話しました。ただ、私は留学して本当に良かったと思っています。迷っているなら絶対行くべきだと思います。そして行くと決めたら、なるべく早く具体的な行動に移るべきです。助成金申請やビザの手続きなど、もろもろで1年くらいはかかりますからね。 

私は米国のラボで働いてみて、留学前の研究への取り組みに甘さがあったことに気づかされ、それが帰国後の仕事への姿勢に生きています。ただ私自身、「留学先で成果を出してやろう」ということを重視し過ぎていた面があったかもしれません。最初に留学を考え始めたときのように、違う景色を見てみたいという気持ちくらいで、もっと気軽に行ってもよかったんじゃないかと。家族と一緒に異国の生活を楽しんでこようといった心持ちの方が、研究も実はうまくいくのかもしれません。そこは留学する人次第、シチュエーション次第だと思います。 

後輩から相談を受けたときには応援しつつも、「絶対に大きな成果を出してやる」という気持ちが強過ぎると負担になるよ、と伝えています。留学先での研究テーマがうまくいくとは限りませんし、日本の元職場の状況も変わります。留学先で目に見える成果が出なかったり、様々な事情で予定より早く切り上げて帰国することになっても、実は自分以外、ほとんど気にしていないのかもしれません。経験をいかに次のステージに生かせるか。これは、今後留学する先生にぜひ伝えておきたい点です。 

臨床医としての経験は基礎研究にも生きるもので、臨床経験を積んでから留学しても遅いことは全くありません。そして留学経験はその後、臨床医に戻ったとしても得がたい宝物になります。40歳になっても50歳になっても、本人が行きたくて目の前にそのチャンスがあるなら行ってほしいと思います。きれいごとではなく、本当にそう思います。

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