慶應義塾大学医学部リウマチ・膠原病内科助教の武井裕史氏は、米国ボストンのブリガム・アンド・ウィメンズ・ホスピタルに3年間、基礎研究留学していた。留学先では、様々な国の研究者と一緒に研究をする機会を得た。その経験から、多少言葉が通じなかったり文化的な背景が違っていたりしても、自然に許容し尊重できるようになったとのことだ。コロナ禍に続いて円安が進み留学しづらい環境が続くが、迷っているならぜひ留学に向けて踏み出してほしいと、武井氏は若い医師に向けて訴える。
慶應義塾大学医学部
リウマチ・膠原病内科
武井 裕史(たけい・ひろし)氏
2010年慶應義塾大学医学部卒業、北里研究所病院初期臨床研修医。2011年慶應義塾大学病院初期臨床研修医。2012年同内科専修医。2013年川崎市立川崎病院総合診療科専修医。2014年慶應義塾大学病院リウマチ・膠原病内科入局、慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程入学。2018年川崎市立川崎病院リウマチ膠原病・痛風センター副医長。2019年慶應義塾大学病院リウマチ・膠原病内科。2020年独立行政法人国立病院機構東京医療センター膠原病内科医員。2020年慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程修了・学位取得。2021年米国ハーバード大学医学部およびブリガム・アンド・ウィメンズ・ホスピタルのリサーチフェロー。2024年慶應義塾大学病院リウマチ・膠原病内科助教。
──今回のインタビューで特に読者に伝えたいことはありますか。
武井 私はやはり、若手医師には積極的に留学してもらいたいと思っています。新型コロナウイルス感染症の影響は薄れてきましたが、一方ですごい円安になってしまい、留学しづらい環境が続いています。しかし、それでも留学には大きなメリットがあると私は思っています。ですから私のインタビュー記事が、若い先生方が留学に踏み出すきっかけになればうれしいです。
──分かりました。それでは改めて留学先と期間から教えていただけますか。
武井 留学先は米国ボストンにあるブリガム・アンド・ウイメンズ・ホスピタルのパソロジー部門、ターニャ・N・マヤダス先生(Tanya N. Mayadas, Professor of Pathology at Harvard Medical School, Senior Staff Scientist at Brigham & Women's Hospital)のラボです。同病院はハーバード大学のメディカルスクールの関連病院の1つで、マヤダス先生は病院ラボの研究者と大学の教授の併任でした。私も病院とハーバード大学の両方に籍があるリサーチフェローの立場でした。留学期間は2021年4月から2024年3月までの3年間で、留学開始時の私の年齢は36歳でした。
──いつ頃から留学したいと考えていたのですか。
武井 高校時代から英語の勉強が好きでした。また、校長先生や地学の先生が米国に留学された経験をお持ちで「留学は楽しいよ」と言われていたので、自分もいつか海外留学してみたいなと漠然と思っていました。ただ、正直なところ、医師になってからしばらくは臨床が忙しくて留学のことは忘れていました。
──具体的に、留学を考えるようになったのはどうしてですか。
武井 臨床だけやっていると、現在の知見では治せない患者さんもいるので、どうしても行き詰まります。ですから新しい治療法開発につながる基礎研究が大事だと考えて、臨床と並行してずっと取り組んできました。とはいえ、臨床医として働いていると腰を据えて基礎研究をやる時間がなかなか取れません。留学して2〜3年、研究だけに打ち込んでみたいと思ったのです。同じ医局の医師で、先に米国に留学していた同級生の秋山光浩先生からも「留学中は研究の時間がしっかり取れたし、家族と過ごす時間も増えたよ」と聞いていました。
医局教授の勧めをきっかけにマヤダス先生のラボへ留学
──留学先ラボの選定はどのように進めましたか。
武井 大学院時代は、間質性肺炎のモデル動物を使って研究していました。肺の線維化とT細胞の関わりというのが、私の主な研究テーマでした。つまり大学院では、主に獲得免疫を対象にした研究をしていたのですが、いろいろ勉強していく中で、病気を悪化させるプレーヤーとしてより重要なのは自然免疫の好中球ではないかと考えるようになりました。それで留学先では、好中球に関連した研究をやってみたいと思ったのです。
マヤダス先生のラボを勧めてくれたのは、当医局教授の金子祐子先生でした。金子先生は、マヤダス先生が2019年の日本腎臓学会のシンポジウムに参加するために来日された際、知り合われたそうです。慶應義塾大学病院総合診療科・専任講師の平橋淳一先生が2002年にマヤダス先生のラボに留学していたことも分かり、平橋先生からマヤダス先生に受け入れを打診してもらったという経緯です。
タイミングよく留学先ラボに欠員があり採用
──受け入れはスムーズに決まりましたか。
武井 ちょうどタイミングよく、マヤダス先生のラボに欠員があったのです。給料は出すから奨学金は取れなくてもいい、すぐに来てほしいと言われました。マヤダス先生のラボに限らずですが、米国では企業で働くことを好む若い研究者が増えてきていて、アカデミアのラボは慢性的な研究者不足のようです。
──マヤダス先生はどんな方でしたか。
武井 秋山先生から「米国で成果を出しているラボは、例外なくボスが厳しい」と聞いていました。ですからある程度、覚悟はしていましたが、実際に一緒に働いてみるとマヤダス先生はすごいハードワーカーで、こと研究に関しては自分にも部下にも厳しい方でした。
研究の進め方については、週1回の研究報告で私がデータをプレゼンするとマヤダス先生から大枠の指示があり、あとは自分で考えて頑張るという形でした。あまり特殊なことはなかったと思います。もちろん良いデータが出るとマヤダス先生は機嫌がいいですし、なかなかストーリーが作りづらいデータだと「今日は機嫌が良くないな」と思うことはありました。そんなときは「頑張って実験を続けます」と言って持ち帰り、さらに実験するという感じでした。
マヤダス先生は臨床医ではないPh.Dです。なので臨床で分からないことがあると、私を含めたラボ内にいるMDの研究者を頼ってくれることもありました。そこは臨床医の強みが発揮できて、うれしかった部分です。

──留学がスタートした2021年4月頃、新型コロナウイルス感染症の影響はどうでしたか。
武井 出国前の日本はまだ厳戒態勢が続いていましたが、米国ではもう感染拡大防止策を緩和し始めていました。マヤダス先生のラボでは、私が行く直前まではラボ内で働く研究者の人数を制限するために、午前、午後、夜というシフト制を敷いていたそうです。しかし私が行ったときには既に解除されていて、研究に関してはコロナによる大きな影響はありませんでした。
好中球のFcγレセプター刺激→B細胞活性化の証明に取り組む
──留学先での研究テーマについて教えてください。
武井 研究テーマは、マヤダス先生から提案があり、取り組むことになりました。既に獲得していたグラントの関係もあったようです。
当時、マヤダス先生は、好中球のFcγレセプターを刺激することで、効率的に獲得免疫が惹起されるという考えを基に研究を進めていました。私の研究テーマは、T細胞が活性化された後、B細胞も活性化されるのではないかという仮説の証明でした。つまり、好中球のFcγレセプターへの刺激が抗体産生につながることを証明することが、私の研究目標でした。
留学先では好中球の研究ができると期待していたので、「結局また獲得免疫に戻ってしまったな」との思いはありましたが、興味深い研究テーマだったので嫌だったわけではありません。具体的な実験の流れとしては、好中球のFcγレセプターを刺激した後、T細胞、B細胞をフローサイトメトリーでモニターするというものでした。
──研究の成果はいかがでしたか。
武井 3年間にわたってこの研究テーマを探求してきましたが、留学期間中には証明に至りませんでした。ただ研究の過程で、好中球のFcγレセプターへの刺激が、他の抗原提示細胞に働きかけて別ルートで獲得免疫に関わっていることを示唆するデータなどが得られています。当初の仮説からは外れますが、今後、面白いインタラクションの解明、面白いストーリーにつながる可能性もあります。私が帰国する際、この研究は後任の研究者に託してきました。
──留学先での経験は、日本でも生かせそうですか。
武井 帰国後は、留学時ほど基礎研究に時間を取ることはできません。ただ、慶應義塾大学病院の特徴として、いろいろな背景の患者さんからフレッシュな検体がいただけるので、そういった強みと留学先での経験をうまく組み合わせて、独自の研究テーマが立てられないかと検討しているところです。
ラボの同僚とのおしゃべりで英語力が向上
──留学先で重宝した研究手技、日本で習得しておけばよかったと思う研究手技はありましたか。
武井 研究分野によって違いますが、免疫学であればフローサイトメトリーをかなりよく使うので、手技を習得しておくとよいでしょう。加えて、PCR法やウエスタンブロットなど、古典的な手技もひと通りできるようにしておくといいですね。あとは、私は未だにできない分野ですが、目的の蛋白質を作るためにプラスミドを設計するといった分子生物学の実験も、可能ならば経験しておくとよいでしょう。企業に外注すればやってくれますが、ベースの知識があるかどうかで実験効率が違ってくるのでは、と感じていました。それから多変量解析のスキルなども、持っていれば重宝されるだろうなと思いました。
──英語でのコミュニケーションは最初から問題なかったのですか。
武井 やはり最初は全然通じなくて困りました。しかし積極的にしゃべるよう心掛けていたら、時間とともにだんだんと慣れてきて、コミュニケーションが取れるようになりました。ラボの同僚とのおしゃべりが、よい英語の勉強になりました。シンガポールから来ていた男性のポスドクとは特に仲良くなって、互いに実験の空き時間ができるとおしゃべりをしていましたね。そのおかげで、仕事の愚痴を英語でどう表現すればいいかも学ぶことができました(笑)。
──その方は同じくらいの年齢だったのですか。
武井 私より少し上だと思いますが、はっきりとは聞いていません。米国社会では、相手が男性でも女性でも年齢を聞くのはあまりよくないことで、年齢差別をしてはいけないという考えが根底にあるようです。ですから私も、職場では相手の年齢を聞かないようにしていました。

1年遅れで家族が合流、週末も忙しく楽しくなった
──奥様で、同じ医局の医師である武井江梨子先生も一緒に渡米されたのですね。
武井 私が渡米した1年後です。ちょうど2人目の子どもが生まれたタイミングだったので、母子ともに少し落ち着いてから来てくれました。
米国で1人で暮らしていた1年間は、ほぼ職場に行って帰るだけの繰り返しでした。週末も特別に出かけることはしなかったので、通勤途中の公園で見かけたリスの写真くらいしか、日本にいる家族には送っていませんでした。「リスの写真」に特に大きな意味はなく、「ボストンは自然がたくさんある素敵な街だよ」と家族に伝えたかっただけなのです。しかしうまく伝わらず、妻は私が精神的に参っているんじゃないかと心配してくれていたそうです(笑)。
家族と合流してからは、週末や休日が忙しくなりました。郊外の海や山、湖にも行きましたし、入植時代の歴史的な建造物なども家族で一緒に見に行きました。子どもたちと遊ぶ時間もたくさん取ることができました。家族と米国で一緒に過ごせたのは本当に良かったです。
──奥様も渡米後、現地で働かれたのですか。
武井 いえ、子どもたちが小さかったこともあり、家にいて面倒を見てくれていました。平日は子どもたちと公園や図書館に行ったり、同じように日本から来て滞在している方と一緒に過ごしたりしていました。妻や子どもたちも、ボストンでの生活を楽しんでくれたようです。
ボストンは治安がとても良くて、公園も多く、子どもを遊ばせる場所には困りませんでした。ボストンで一番有名な公園といえば市街の中心部にある「ボストン・コモン」ですが、他にもきれいな公園がたくさんありました。
緯度が高くて北海道旭川市と同じくらいなので、冬の寒さは厳しかったです。ただ、私の留学期間中は、積雪はそれほど多くありませんでした。1度だけ、外出すると命に危険が及びそうなスノー・ストームがありましたが、それ以外に大雪は経験していません。夏は湿度が低くて、東京と比べると格段に過ごしやすい気候でした。
一番の成果は留学を経て「人間に幅ができた」と思えること
──最後に若手医師へのアドバイス、メッセージをお願いします。
武井 私は留学に行かせてもらえて、すごく良かったと思っています。改めて一番良かったのは、留学を経て人間に幅ができたかな、成長できたかな、と自分自身で思えることです。留学先では、米国人以外にも、様々な国から来た人たちと一緒に研究をしました。その経験から、多少言葉が通じなかったり文化的な背景が違っていたりしても、自然に許容し尊重できるようになりました。一方で、言葉や文化が違っていても、みんな結構、同じような部分があり、似たようなことを考えているんだなということも分かりました。
留学前は臨床が忙しいことを言い訳にして、基礎研究にしっかり取り組めていなかったように思います。でも、留学先では納得いくまでやり切れました。正直なところ、研究の成果を形にできなかったことに心残りはありますが、留学経験を今後、臨床にも基礎研究にも生かしていくつもりです。英語力がブラッシュアップできたのも良かった点です。医学の最新情報は英語で入ってくるので、今後の仕事にきっと生きるはずです。
若手医師の皆さんも、迷っているなら、ぜひ留学した方がいいと思います。迷う理由として、語学力あるいは研究力に不安があるという人が多いのではないでしょうか。英語は使っているうちに慣れてきます。特にラボ内では、相手もこちらの考えを知りたいので、しっかり話を聞いてくれます。積極的に自分から話をする姿勢でいれば、コミュニケーションが全く取れないということはありません。語学力が留学の壁だと感じる必要はないと思います。
研究力についても、私自身は留学前に思っていたより活躍できそうだなと感じました。留学先のラボの研究者みんなの能力が、とんでもなく高いということはないです。基礎研究のラボでも、臨床医の強みは発揮できます。例えば研究のストーリーを立てる際には、患者さんがどんなことで困っているか、治療の過程で何が重要かといった情報が大切で、臨床医の知識と経験が役立ちます。ですから、皆さんもあまり恐れないで、留学への一歩を踏み出してみてください。
米国に10年超の長期留学、GVHDの基礎研究で成果
2024.07.01
米国留学で学んだ臨床医が研究をする意味
西出 真之(にしで・まさゆき)氏
2007年大阪大学医学部医学科卒業。2008年NTT西日本大阪病院(現・第二大阪警察病院)初期臨床研修医。2010年同病院膠原病・リウマチ科医員。2012年大阪大学医学部附属病院免疫アレルギー内科医員。2013年大阪大学大学院医学系研究科入学。2017年同研究科修了・学位取得、同研究科呼吸器・免疫内科学助教。2020年米国ハーバード大学医学部ブリガム・アンド・ウィメンズ病院リサーチフェロー。2021年大阪大学大学院医学系研究科呼吸器・免疫内科学助教。2024年同講師。