沖縄県立南部医療センター・こども医療センターで救命救急センター長を務める星野耕大氏は、心臓や肺の機能を代替する人工心肺装置「ECMO」を専門とする救急集中治療医だ。夢だったオーストラリアへの留学を、紆余曲折の末に実現させた。実現のカギは、思い切ってアポなしでラボを訪問し、受け入れを直談判したことだった。海外留学したからこそ、自分の力を一番求めてくれて、力が発揮できるのは日本だということも分かったと振り返る。留学を希望しながら、まだかなえられていない医師に向けて、「夢を諦めずに行動し続けてほしい」と話す。
沖縄県立南部医療センター・
こども医療センター
救命救急センター長
星野 耕大(ほしの・こうた)氏
2010年福岡大学医学部医学科卒業。福岡大学筑紫病院初期臨床研修医。2012年福岡大学病院救命救急センター助手。2014年沖縄県立宮古病院 救急科(部外修練)。2015年福岡大学病院救命救急センター助教。2018年福岡大学病院救命救急センター講師。2020年福岡大学病院ECMOセンター副センター長、福岡大学医学研究科病態機能系専攻博士課程修了。2023年オーストラリア プリンス・チャールズ・ホスピタル留学。2024年より沖縄県立南部医療センター・こども医療センター 救命救急センター長。
──留学期間と留学先から教えてください。
星野 2023年4月から2024年5月までの約1年間、オーストラリア・クイーンズランド州のブリスベンにあるプリンス・チャールズ・ホスピタルに留学し、基礎研究、臨床研究をしてきました。Critical Care Research Groupというラボで、ラボのボスはジョン・フレイザー先生(John Fraser, Professor, Prince Charles Hospital, Northside Clinical Unit, Faculty of Medicine)でした。フレイザー先生はECMOの分野では世界的に有名な臨床医であり研究者です。アジアパシフィックのECMOの学会「AP ELSO(Asia-Pacific Extracorporeal Life Support Organization)」のチェアマンを務めていたこともある方です。
──留学した経緯を教えていただけますか。
星野 医学部生の頃から、海外で活躍したいという夢は漠然と持っていました。救急集中治療医としてある程度一人前になった段階で、やはり世界に出て、自分の専門であるECMOについて勉強してみたいと改めて思うようになりました。それで留学先候補となる施設の医師を学会で見つけて自分を売り込んだり、電子メールを出したりと、いろいろアプライはしていたのですが、受け入れ先はなかなか決まりませんでした。
そんな折、2022年10月に、オーストラリアに留学中の日本人医師から、「まだ留学に興味はありますか」「当施設では現在、研究者を募集しているようですよ」といった内容のメールをもらったのです。その方は私が留学先候補の1つに挙げていた施設で働いていました。海外の学会で出会った際に、留学先を探していると私が話したのを覚えてくれていたのです。メールを受け取ったのは私の祖母が亡くなった次の日だったので、これは何かの縁かもしれない、このチャンスを絶対につかみたいと思いました。その施設というのが、プリンス・チャールズ・ホスピタルのフレイザー先生のラボだったのです。
すぐに同施設に電子メールで問い合わせてみましたが、いくら待っても返事はもらえませんでした。それで急遽休みを取って、2泊3日の強行日程で渡豪し、プリンス・チャールズ・ホスピタルを訪ねました。アポなしでしたが、ラボの教授であるフレイザー先生にお会いすることができ、「ぜひ留学させてください」と直接お願いして、留学のチャンスを勝ち取ったという経緯です。
留学先のプリンス・チャールズ・ホスピタルのER前で。(星野氏提供)
米国や欧州でなくオーストラリアに留学したかった
──初めからオーストラリアが留学先候補だったのですか。
星野 はい、オーストラリアに留学したかったのです。理由は3つほどありました。まず1つ目は、留学以前にもオーストラリアに何度か旅行したことがあり、住みやすそうな国だと感じていたことです。治安が良く、気候は最高、英語圏であること、日本との時差がほとんどないことなど、どれをとっても「留学して家族と住むならこの国がいいな」と思っていました。
2つ目は、英語圏の国で、臨床をやるためのハードルが一番低いのがオーストラリアだったことです。集中治療医の場合は、日本の専門医資格を持っていて英語の試験をクリアすれば、数年間の期間限定ですが「オーバーシー・フェロー」という立場で、臨床医として働けます。立場としては、専攻医とスタッフ医師の中間といった感じです。そして3つ目は、オーストラリアが私の専門であるECMOの活用において先進国であることです。そのため留学で多くのことを学べると考えました。
──1番の希望は臨床留学だったのですね。
星野 ええ。しかし当時は英語力が不十分で、最初から臨床留学は難しかったです。それでまずは基礎研究、臨床研究のスタッフとして働いて、英語力を鍛えて臨床にシフトする狙いに切り替えました。ただ、実際にやってみると研究もすごく面白くて、得るものは多かったです。
──ECMOの活用で、オーストラリアは日本より進んでいるのですか。
星野 特に集約化について、学ぶべきところが多くあります。国全体のECMOの台数は日本の方が多く、ECMOによる治療が受けられる施設数も日本の方がはるかに多いです。しかし日本の場合、ECMOを専門とする医師が多施設に分散し、1施設当たりの症例数が少ないため、ECMOに関する知見が集積しにくいという課題があります。
それに対してオーストラリアでは、例えばクイーンズランド州でECMOが必要になった患者さんは、ほぼ全てがプリンス・チャールズ・ホスピタルに搬送されてきます。ですからECMOを専門とする医師や看護師も、みなプリンス・チャールズ・ホスピタルに集まっているのです。その結果、知見の集積が進んでECMO活用のレベルがどんどん上がり、教育や研究も進むといった好循環ができています。私は日本でも、コロナ禍後はECMOの集約化が必要だと考えていて、先行するオーストラリアにそのノウハウを学びたかったのです。
ラボのボス、ジョン・フレイザー先生(左)と病院近くのバーで。(星野氏提供)
ECMOを使った新薬開発研究でプロジェクトリーダーを担当
──留学先で取り組んだ研究内容について教えてください。
星野 私が留学先で行っていたのは、ECMOを使った新規薬剤の開発研究です。ブタやヒツジといった大型動物を使って、ECMO導入下で新規薬剤の治療効果を評価するプロジェクトに加わっていました。心肺停止蘇生後の脳障害改善効果を、動物レベルで確認するのが主な目的でした。複数のプロジェクトが並行して走っていて、そのうちの1つのプロジェクトリーダーを任されていました。
──実験はどのようなスケジュールで行っていたのですか。
星野 動物実験は数週間に1回程度の実施でしたが、いちど始まると3日間にわたって続きます。まず半日から1日かけて動物モデルを作り、気管挿管やカテーテル挿入を行ってECMOを導入し、最後に新規薬剤を導入します。実験日はすごく忙しくて朝6時くらいにはラボに入っていました。実験が始まると3日間付きっきりで動物を管理しなければならず、複数のプロジェクトメンバーがシフトを組んで対応する必要がありました。対象は動物ですが、医療機器はヒトと同じものを使い、やっていることは病院のICUに近かったです。
──プロジェクトリーダーの仕事はどういった内容なのですか。
星野 実験を計画するとともに、総勢十数人のプロジェクトメンバーに役割を差配してスケジュール通りに動いてもらい、実験を成功に導くのがプロジェクトリーダーの仕事です。フレイザー先生のラボに所属する研究者は10人ほどで、全員が救急または循環器の集中治療医でした。私がリーダーを務めるプロジェクトには、ラボの研究者が全員、スタッフとして参加してくれます。その代わり私も、他の研究者がリーダーを務めるプロジェクトに、スタッフの1人として参加するという仕組みでした。プロジェクトには看護師や臨床工学の専門家なども加わり、モデル動物を作る際に放射線科医や心臓外科医を呼ぶこともありました。
プロジェクトメンバーの出身国はオーストラリアの他、イタリア、ケニアなど様々で、言語も文化も異なります。ですから皆をまとめるのは大変でした。集合時間に遅れて来ても、悪びれずに「ハイ、エブリワン!」と陽気に挨拶してくるような研究者もいます(笑)。どうすれば背景が異なる多国籍のメンバーが自分に付いてきてくれるのか、リーダーとしてプロジェクトを成功させられるのか、すごく悩みました。
──その答えは見つかりましたか。
星野 やはり、「私利私欲を捨てて人に尽くす」ということだと思います。自分の利益、自分のことは置いておいて、まず相手の立場に立ってあげる、相手の願いをかなえてあげる、相手のことを優先して考える──。それを続けていれば、おのずとみんなが付いてきてくれるようになります。リーダーシップを学ぶ良い経験になりました。
大型動物のモデル作成のために心臓外科医と手術をしている様子。(星野氏提供)
今の自分を一番求めてくれるのは日本だと気づき帰国を決断
──1年で帰国されたのはどうしてですか。
星野 留学先で手掛けた研究は、それまで自分が経験したことがない大型動物を使った世界最先端の研究プロジェクトで、すごく知的好奇心が満たされました。トップレベルの研究者たちとディスカッションしながら研究を進めていくのは、すごく刺激的でした。
ただ、臨床の最前線で仕事をしていた身からすると、日本にいるときほど自分が求められていないことに物足りなさも感じたのです。そして、また臨床をやりたいという気持ちが、どんどん強くなっていきました。同じ機械を使って同じようなことをしていても、臨床と研究は全く違います。全力を尽くして医療に取り組み、患者さんや家族に「ありがとう」と言われるのは、すごくうれしいことだったんだなと改めて思いました。
オーストラリアでもう少し頑張って、臨床にシフトすることはできたと思います。しかし医師の仕事ができるようになっても、また下積みから始めることになり、すぐに日本にいたときのように活躍する立場には立てないでしょう。スターバックス元CEOの岩田松雄氏が言うには、”自分が好きなこと”、”得意なこと”、”社会に求められること”を仕事にするとよい、という考え方がありますが、私にとってそれは集中治療医として日本で働くことだったのだと思い至りました。
そんなタイミングで、私が所属する医局(福岡大学医学部救命救急医学講座)から、沖縄県立南部医療センター・こども医療センターの救命救急センター長のポストの話を頂いたのです。同施設は、沖縄県に3つしかない救急救命センターの1つで、人員も充実していて、診療のレベルは全国トップレベルです。オーストラリアで見てきたことを生かし、この施設で沖縄のECMOの集約化に取り組むことは、私にとって魅力的なミッションでした。留学を1年間で切り上げなければならず、すごく迷いましたが、最終的に帰国を決めました。
ラボ所属の同僚たちと。実験中に開かれた同僚のバースディパーティーの様子。(星野氏提供)
沖縄でECMO集約化に取り組む、カギは医療機関と国・県の連携
──留学先での経験は、帰国後の仕事に生かせそうですか。
星野 オーストラリアでECMOの集約化を実際に見て、うまくいっている要因として大きいのは、医療機関と国や州との連携だと感じました。それを念頭に沖縄でも、国や県との連携に力を入れて取り組むつもりです。その点、沖縄県立南部医療センターは県立の医療施設ですから条件としては最適です。沖縄県でECMOの集約化が成功したら、日本の他の都道府県や地域でも参考にしてもらえると思います。
──ECMOについて、オーストラリアと日本で、集約化の他にも違う点はありましたか。
星野 オーストラリアでは移植医療とECMOが密接に紐づいているのを感じました。例えば、ECMOで患者さんの状態を安定させて、心臓や肺の移植手術をしていました。日本では移植医療そのものがなかなか進んでいませんが、将来的には移植手術の際にECMOがもっと活用されるようになるかもしれません。
あとは人工呼吸器の代替です。日本ではまず人工呼吸器をつなぎ、救命困難な場合にECMOの導入を検討するのが一般的です。しかしオーストラリアでは人工呼吸器の代わりに、最初からECMOを導入しているケースもありました。それによって空気圧や高濃度酸素による肺のダメージが避けられるので、メリットが大きい場合があるのです。コスト面の課題などが解決されれば、人工呼吸器がECMOに置き換わる時代が来るかもしれないと感じました。
留学後は自分と家族の幸せをより追求するようになった
──留学前後で、生活の仕方や働き方などで変わったことはありますか。
星野 オーストラリアで暮らし働いた経験から、帰国後は自分と家族の幸せをより追求するようになりました。それはフレイザー先生の教えでもあります。「日本人医師は、自分を犠牲にし過ぎる。医者だって人間なんだから、まず自分と家族の幸せを追求して、次に職場のみんなの幸せを考えなさい。その先に研究があり、患者さんの命を救うことがあるのです。この順番を忘れてはいけないよ」と言われていました。
留学前は、仕事の書類などを持ち帰って、帰宅後もずっと仕事をしていました。休みの日は、妻と子どもたちだけで出かけてもらい私は家で仕事をしていることが多かったのですが、過労で体調を崩すなどして仕事の効率も悪かったと思います。
留学後は、帰宅したら仕事のことは忘れて、家族と過ごす時間を大切にするようにしました。その分、勤務時間内は「超集中」でギュッと高密度に仕事をしています。帰宅後、休日にしっかり家族と過ごすことでリフレッシュでき、またギュッと仕事に集中できます。結果的にその方が仕事の効率が高くなり、生産性も上がることが分かりました。
──留学経験は、センター長としての職場環境づくりにも生きていますか。
星野 そうですね。「私利私欲を捨てて人に尽くす」は、現在もリーダーとしての自分自身のテーマです。それから当センターで働く医師にも、オン・オフをしっかり区別するよう推奨しています。長時間勤務が美徳といった考えにとらわれず、効率と成果で勝負しようと伝えています。オフのリフレッシュや家族との生活をサポートするだけでなく、勤務時間中は、それぞれの医師が知的好奇心を満たせる高いレベルの仕事に集中して取り組めるようにしています。当センターはかなり「ホワイト」でありながら、やりがいのある良い職場になっていると思いますよ。
──ご家族にとって、オーストラリア滞在はいかがでしたか。
星野 1年だけの滞在でしたが、子どもたちの英語力がぐんと伸びました。やはり友だちと毎日英語で会話することが、学習効果につながったのかなと思います。大人から見ると、とてつもないすごい伸びでした。
でも、それ以上に親としてうれしかったことがあります。オーストラリアは多民族国家でいろいろな国出身の人が生活しているのですが、子どもたちは髪の色も肌の色も違ういろんな人種の人に、全く抵抗感なく自分から話しかけるようになったのです。日本ではむしろシャイな子たちだったのですけれどね。幼少期に海外生活を経験して成長した彼らが、ちょっとうらやましく思いました。
諦めずに行動し続ければ留学の夢はかなう
──最後に、海外留学を目指す医師にアドバイスをお願いします。
星野 留学したいと思いながら実現できていない人もいると思います。しかし諦めずに行動し続けてください。私も何度もくじけそうになりましたが、夢を諦めずに行動し続けて、念願がかないました。
私の場合、アポなしで渡豪してフレイザー先生に直接、受け入れをお願いしにいったのが留学実現のカギでしたが、あのときは必死でした。海外留学できなかったら自分が死ぬとき絶対に後悔するな、このままでは死ぬに死にきれないな、とまで思い詰めたのです。もう、「アポなしで押しかけてきた変な日本人」と思われてもいいから行動しようと。ちなみに、日本人が思う「変」は世界では全然変ではありません。世界には、もっと変な人がいっぱいいます(笑)。1回しかない自分の人生に後悔を残さないよう、恥じらいなんか気にしないで行動してください。私はその行動の結果、留学が実現し、楽しく貴重な経験をすることができました。
留学に最低限必要なのは、英語力とお金とPh.Dです。まず英語ですが、私は留学前に相当勉強したつもりだったものの、最初から問題なく意思疎通が図れるレベルには到達していませんでした。現地で生活していればいずれ慣れますが、語学力の向上に関して言えば、なるべく吸収力が高い若いうちに留学した方がいいと思います。
また、お金をしっかり貯めてから留学するのが理想です。貯金が十分にあれば何より心に余裕ができるし、岐路に立った時の選択肢が増えます。もう少しで成果が出そうだというとき、帰国を少し先延ばしするといった決断もできるでしょう。「お金をしっかり貯めてから」というアドバイスは、「なるべく若いうちに」というアドバイスと矛盾するかもしれませんが、少なくとも留学を考えているなら、高級車を買うより貯金をしておいた方がいいと思います。
あとはPh.Dですが、海外で学位を取るのは大変なので、日本で取ってから留学した方がいいでしょう。学位を持っていると海外のラボでは一目置かれて、チャンスが広がります。
米国、欧州に留学する医師が多いですが、少なくとも集中治療の分野では、オーストラリア、ニュージーランドは世界の最先端を走っているので留学先としてお勧めです。医学・医療のレベルの高さだけでなく、治安が良く、気候が良く、街の人がフレンドリーで住みやすいので、家族と一緒に行く人には特にお勧めします。私の周囲での話ですが、米国に留学した人たちは「きつかった」と漏らす人が多いのに対し、オーストラリアに留学した人は「楽しくて、もう帰ってきたくなかった」という人ばかりです(笑)。私も、波乱万丈でいろいろあった留学でしたが、本当に楽しかったです。