旭川医科大学内科学講座血液内科学分野講師の高橋秀一郎氏は、米国ワシントン州・シアトルにあるFred Hutchinson Cancer Research Centerに3年5カ月留学し、2024年2月に帰国した。自家移植の抗腫瘍効果について研究し大きな成果を上げることができたが、その要因について、同僚研究者との積極的なディスカッションが有益だったと振り返る。米国へは夫婦2人で渡った。休日には周辺の町に行きのんびり過ごしたり、山にハイキングに行ったりするなど、充実したプライベートの時間も過ごせたそうだ。
旭川医科大学
内科学講座血液内科学分野
高橋 秀一郎(たかはし・しゅういちろう)氏
2010年山形大学医学部医学科卒業。2018年北海道大学大学院医学研究科医学専攻博士課程修了、北海道大学病院血液内科医員、北海道大学病院検査・輸血部助教。2020年社会医療福祉法人北楡会札幌北楡病院血液内科医員。2020〜2024年Fred Hutchinson Cancer Research Center Postdoctoral Research Fellow。2024年旭川医科大学内科学講座血液内科学分野講師。
──留学期間と留学先から教えてください。
高橋 2020年9月16日から2024年2月末まで約3年5カ月、米国ワシントン州シアトルにあるフレッド・ハッチ・キャンサー・センターに留学していました。留学スタート時の私の年齢は35歳でした。ラボのPIはジェフリー・ヒル先生(Geoffrey R. Hill, MD, Senior Vice President and Director Translational Science and Therapeutics Division, Fred Hutch)です。私たちラボの研究員は、先生のことをジェフと呼んでいました。
──日付まで覚えているのですね。
高橋 9月15日が結婚記念日で、妻と2人でお祝いをした翌日に単身で渡米したので覚えています。一緒に渡米する予定だったのですが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックが起こり、当時はまだ先行きが読めなかったので、私だけ先に渡米しました。1年後に妻も合流し、残りの約2年半は夫婦2人で一緒に滞在しました。
──留学の経緯を教えてください。
高橋 私は山形大学医学部を卒業後、山形県立中央病院での研修を経て、2014年に北海道内科学講座血液内科学分野に入局し、同年大学院に入りました。大学院ではGVHD(移植片対宿主病)、特に皮膚GVHDの病態と治療法をテーマに研究しました。大学院後半からは留学を意識するようになりました。自分と共通の研究テーマを手掛けているラボの方が採用されやすいと思い、GVHDの研究をやっているラボを留学先の候補としました。特定の地域、国に絞って留学先を探していたわけではありませんでしたが、基本的には米国の留学先が候補になっていました。
ジェフは、血液内科学教室の教授である豊嶋崇徳先生が、米国ボストンのダナ・ハーバー研究所に留学していたときに同僚研究者だった方です。当時、ジェフはオーストラリアから米国に移りGVHDの研究をしていました。豊嶋先生とジェフの交流は、互いに研究室を主催するようになってからも続き、2〜3年に1回、日本あるいはオーストラリアで研究交流会を開催するようになっていました。
私が大学院に在籍していた当時、ジェフはオーストラリア・ブリスベンにあるQIMR(Queensland Institute of Medical Research)のPIでした。同研究所で研究交流会が開催されたときには、豊嶋先生に同行して私もオーストラリアに行き、初めてジェフと面会しました。そういった縁があったので私は、オーストラリアのジェフのラボも選択肢として考えていたのです。
学位取得に目途が立ち、いよいよ留学先を決定すべく動き出そうと考えた頃に、ジェフが米国フレッド・ハッチに移籍し、新たに自分のラボを立ち上げました。何人かの研究者がオーストラリアから同行したものの、人数が足りなかったようで、ポスドクを募集しているとのことだったので、これはチャンスだと思ってジェフに連絡し、留学したい旨を伝えたところ、有給での採用がスムーズに決まったという経緯です。
ボスからの指示で研究テーマが決定、実はやってみたい研究だった
──留学先での研究テーマについて教えてください。
高橋 ジェフがオーストラリアにいた頃からやっていた研究テーマの1つを手掛けることになりました。多発性骨髄腫に対する自家移植の免疫細胞療法としての研究です。
──当初考えていたGVHD関連ではなかったのですね。
高橋 ジェフはNIH(米国立衛生研究所)などから大きなグラントを複数獲得していて、他のラボやベンチャー企業とのコラボレーションも盛んに行っていました。常にたくさんの研究テーマを抱えていたので、基本的には、それらをラボ内のポスドクに割り振って研究を進める形を取っていました。骨髄腫の研究はそのうちの1つで、その他GHVDのプロジェクトも手掛けていました。
ボスに指示された研究テーマでしたが、嫌だったわけではありません。ジェフのラボがこのテーマを手掛けていることは既報の論文を読んで知っていて、内心、すごく興味を持っていたのです。ラボに採用されるときには、自分の実績をアピールするために「大学院でやってきたGVHD関連の研究が希望」と伝えていたのですが、こちらもやってみたい研究テーマの1つでした。
──研究テーマについて、もう少し詳しく教えていただけますか。
高橋 自家移植は、大量化学療法後に実施します。大量の抗がん剤で腫瘍を破壊する際に、血液細胞も壊れてしまうので、あらかじめ患者自身から造血幹細胞を採取しておいて、大量抗がん剤の後に体内に戻すわけです。自家移植には、感染症やGVHDのリスクが少ない、といったメリットがありますが、同種移植で期待されるような、免疫学的に腫瘍を攻撃する効果はないと考えられてきました。しかしジェフのラボでは、自家移植にも抗腫瘍免疫による腫瘍抑制効果があると考えて研究を進めていました。
この研究をスタートさせたのは、ラボの研究者の1人であるシモン(Simone Minnie, PhD)です。シモンはすごく優秀な研究者で、マウスの骨髄腫の実験の立ち上げから、自家移植モデルの確立まで、研究の基礎になる部分をほぼ完成させていました。私が日本にいるときに読んだ論文もシモンが筆頭著者でした。私は彼女が確立した実験系を使って、新しい治療法につながる研究の1つを手掛けることになりました。
シモンはそれまでの研究で、自家移植による大量抗がん剤投与により骨髄腫細胞を減少させ、免疫抑制性腫瘍微小環境をリセットすることができ、自家移植後の抗腫瘍免疫の強化につながることを、マウスを用いた実験で示していました。ただ、当時の段階では、自家移植で抗腫瘍免疫は強化されるものの、移植後に再発してしまう個体がいるという課題がありました。それで、どうしたら治療効果をより高められるか探求することになったわけです。
「コソコソ実験」が役立ち研究が軌道に載った
──高橋先生の研究は、具体的にはどんな内容だったのですか。
高橋 研究プロジェクトのアプローチは大きく2つでした。1つは移植後にT細胞を活性化させる治療法の開発、もう1つはあらかじめ移植細胞自体をより活性化させて、移植後の抗腫瘍効果を高める治療法の開発です。前者はシモンの担当で、すでに研究を進めていました。私は後者のアプローチで、より強力に腫瘍を排除する方法の開発を担当することになりました。
研究開始前に、T細胞を含む骨髄細胞を自家移植したマウスと、T細胞を含まない骨髄細胞を自家移植したマウスとでは、移植後の再発率に有意な違いがあることは分かっていました。T細胞を含む骨髄細胞を自家移植した方が再発率は低いのです。しかしそのマウスの中にも、再発し腫瘍死してしまう個体がいます。私の研究の目的は、移植片に含まれるT細胞の抗腫瘍効果をより高くする方法の検討でした。
検討のために取り組んだのは、移植細胞から制御性T細胞のみを除いて自家移植をする実験です。実験の結果、制御性T細胞を除去したマウスから得られた移植細胞を骨髄腫マウスに投与すると、移植後の腫瘍のコントロールが劇的に改善し、マウスは再発しなくなりました。そこでさらに、そのメカニズムの解明を進めました。
結論をお話しすると、移植細胞の中に制御性T細胞が含まれないことが重要なのではなく、制御性T細胞を造血幹細胞採取の際に除去することで、移植片中の活性化したCD8+ T細胞を得られ、それらの細胞を移植することが大事だということが分かりました。制御性T細胞を排除する代わりに、サイトカイン製剤でCD8+ T細胞刺激することで、CD8+ T細胞を活性化し、抗腫瘍免疫が高められることも示すことができました。これらの内容が、留学先での私の一番大きな研究成果になります。
──論文も既に発表済みですね。研究が成功したポイントはどの辺りにあったのですか。
高橋 まず制御性T細胞を除いて移植してみたらどうか、というのはジェフの発案でした。ジェフは普段、細かい実験データを全部チェックすることはしませんが、肝になるコンセプトやアイデアは出してきていました。私はそのアイデアに従って実験をスタートしました。
当初の段階では、まずは大まかに結果がどうなるかみてみようというスタンスでしたが、私自身の判断で、制御性T細胞を除いたときにT細胞にどのような変化がでるのか、独自にデータを取っておいたのです。そのデータから、CD8+ T細胞が活性化していることが分かりました。ジェフや他のポスドクとディスカッションして、「これは期待できそうだ」という話になり、研究がうまく軌道に載ったのです。コソコソっとやっておいた実験が役に立ちました。
──どうして、データを追加で取ろうと思ったのですか。
高橋 単純に興味があったからです。コソコソ実験はあまりやり過ぎると怒られるかもしれませんが、実験に必要な抗体や試薬がラボにあったので、「ちょっとこれも見てみよう」という感じで実施しました。ついでにやっていた実験が役に立ったということです。
Hill lab のメンバーで開催したパーティーの様子。最後列左から3番目が高橋氏、右から3番目 がジェフ・ヒル先生。(高橋氏提供)
同僚のポスドクと1対1で話せる状況でディスカッション
──留学中に研究成果を上げるコツについて、何かお考えはありますか。
高橋 ボスに言われたことだけをやるのではなく、興味や疑問を持った部分について独自にデータを取ってみることも重要だと思います。ただ、留学中に結果が出せるかどうかは、結局のところ研究をやってみないと分かりません。
私の経験からアドバイスすると、ボスとのコミュニケーションも大事ですが、同僚のポスドクとのディスカッションもすごく大事だったと思います。ジェフのラボは、私が留学した直後くらいに研究者の居室がオープンスペースになり、意見交換がしやすくなりました。いろいろ聞いたり、聞かれて答えたりする機会が増えたのがよかったと思います。
──コミュニケーションのコツはありますか。
高橋 私のコミュニケーションがうまいかというと、自分ではよく分かりません。ときどき「何?」みたいな顔をされても、頑張って話していました。お互いに同じ領域の研究者であれば、完璧な英語でなくても「行間」はある程度推し量れます。
話のきっかけは「今、こんな実験をやっていて、ここちょっとうまくいかないんだけど、どう思う?」みたいな感じです。私から話し掛けることも、逆に話し掛けられることもあり、ラボの同僚は皆良い人たちでした。ただ、集団でネーティブ同士の議論が盛り上がると会話に入るスキがなくなってしまうので、なるべく1対1で話せる状況を作るようにしていました。
──ヒル先生の研究姿勢で、参考になったことはありますか。
高橋 自分のデータを信じるということですね。ミーティングでラボの研究者が「他のラボの既報では〇〇〇です」と発表すると、「自分のデータではどうなんだ」とジェフが聞いていたのが印象に残っています。既報のデータを把握することは必要だけれど、重要な部分は自分で確認する、自分のデータで証明して納得する、という姿勢を貫いていました。そういった姿勢はすごく勉強になりました。
──留学の経験、成果を日本でどう生かしていきますか。
高橋 留学先での実績、経験、人脈などは、科研費(科学研究費助成事業)などの研究資金の獲得の際に役立つと思います。日本で新たに手掛ける研究テーマは検討中です。研究環境が違うので留学先と同じようにはいきませんが、旭川医大には、病院の患者さんの検体を利用しやすいといった利点もあります。そういった点をうまく生かしていくのも1つの手かなと思っています。
米国ではコラボレーションが盛んで、それがうまく機能しているのを見てきました。一連の研究を1から10まで全部、研究者1人で完結させるのが難しくなっているのは日本でも同じです。ですから日本でも、コラボレーションを積極的に働き掛けていきたいと思います。
週末は夫婦でベインブリッジアイランドへ
──シアトルでの生活はいかがでしたか。
高橋 シアトルはカナダとの国境まで200kmほどの距離にあります。夏の最高気温は25℃くらいで過ごしやすかったです。北海道稚内市より緯度が高いのですが、暖流の影響なのか冬も結構温暖でした。雪は1年に1日か2日降る程度で、気温がマイナスになることはほとんどありません。ただ、緯度が高いため日が暮れるのが早いことと雨が多いことから、現地で暮らしている人には冬は不評でした。
勤務時間は完全にフレックスでした。週に2〜3回のミーティングに参加して必要なデータを出していれば、どんな働き方をしていてもジェフは何も言いません。ですから実験がない日は早く帰って夫婦で食事に行ったり、飲みに行ったりしていました。週末には、ちょっと離れた町に遊びに行ったりもしました。
シアトルの西側、ピュージェット湾を挟んで対岸にベインブリッジアイランドがあります。そこで週末を過ごすのが私たち夫婦のお気に入りでした。日帰りもできるのですが、フェリーが出ているので、車で行って1泊することが多かったです。特別な何かがあるというわけではないのですが、のんびり過ごして帰ってくるといった感じでした。
ワシントン州は自然が豊かです。シアトルは海沿いの街ですが、ちょっと南東に行くとマウント・レーニアという標高4000m以上の山もあります。中腹くらいまでは結構整備されていて、そんなにつらくない登山コースがあるので、妻と一緒に登りました。あとは3連休を自分で作って、南に210kmくらい行ったところにあるポートランドや、北に230kmくらい行ったところにあるカナダのバンクーバーにも足を延ばしました。
──食事はどうでしたか。
高橋 シアトルのダウンタウンにパイク・プレイス・マーケットという魚介や野菜の市場があるのですが、そこに併設されているレストランのクラムチャウダーがとても美味しかったです。シアトルの魚介料理、特にクラムチャウダーが美味しいことは米国内でも有名なようです。本当に美味しかったですね。
米国の研究環境に触れてみたいなら留学にチャレンジを
──最後に、留学を目指す医師に向けてアドバイスをお願いします。
高橋 家族と一緒に留学したい場合、家族の同意を得るのが大変かもしれません。私の妻は当初、海外で暮らすことにあまり乗り気ではありませんでした。何とか説得して一緒に行くことに同意してもらいました。
それでも実際に行ってみたら楽しかった、とのことでした。現地で異文化に触れられたのがすごくいい経験になったそうです。海外で暮らしてみて、日本の良さを再発見できたのもよかったとのことです。単身留学には単身留学の良さがあると思いますが、臨床医にとって留学期間は、日本ではなかなか得難い、家族との時間をゆっくり取ることができるチャンスになるのは確かです。
英語力については、みんな不安を抱えながら留学をスタートして、なんとかやっています。完璧にしてから留学しようなんて思ったら行くことができません。留学前にできるだけ勉強しておいた方がよいことは確かですが、現地で研究しながら上達していくものだと思えばいいでしょう。大学や大きな研究施設には無料の英語のエデュケーションプログラムがあるので、それらを活用するとよいと思います。私もなるべく行くようにしていました。
留学資金に関しては、日本で助成金を獲得し、ラボからは給料をもらわない契約で留学する場合は少し注意が必要です。円安が進むと助成金がドル換算で目減りし、米国で定められたポスドクの最低賃金を下回ってしまう場合があるからです。実際にこの問題で、別の助成金を追加で獲得しなければならなくなり、苦労している人がいました。従って、ラボから給料をもらわない契約で留学する場合は、余裕をもって助成金を確保しておくことをお勧めします。
米国の研究環境が全て日本より優れているわけではありませんが、研究費の額が全く違い、それに伴って研究の規模も大きく違いました。同等の環境で研究できるのは、日本ではごく一部の施設だけです。ですから、そういった米国の研究環境に触れてみたい、そういった環境で学んでみたいなら、やはり留学すべきだと思います。いろいろありましたが、私自身にとってはすごく良い経験になりました。みなさんも行きたい気持ちが少しでもあるなら、ぜひ頑張って、留学にチャレンジしてほしいと思います。