ドクターヘリ先進国の施設を回って自ら留学先を選定

順天堂大学医学部附属静岡病院の救急診療科で准教授を務める大森一彦氏は、英国ロンドンのQueen Mary University of London, Centre for Trauma Sciencesに名誉臨床研究フェローとして留学した経験を持つ。ドクターヘリ先進国である英国とドイツの救急センターを下見に行き、「ここだ」と思った施設のボスに手紙を書いて留学を実現した。帰国後も日英両国の救急医療発展に努め、後進の英国留学を支援している。

順天堂大学医学部附属静岡病院 救急診療科 准教授 大森 一彦氏

大森 一彦(おおもり・かずひこ)氏
2007年岩手医科大学医学部医学科卒、順天堂大学医学部附属静岡病院臨床研修医。2009年順天堂大学医学部救急災害学講座大学院。2013年順天堂大学医学部附属静岡病院救急診療科助教。2015年沼津市立病院外科。2016年順天堂大学医学部附属静岡病院救急診療科助教。2020年順天堂大学医学部附属静岡病院救急診療科准教授。2021年Queen Mary University of London, Centre for Trauma Sciences, Honorary Clinical Research Fellow。2023年順天堂大学医学部附属静岡病院救急診療科准教授。

――先生は留学目的の1つにフィールドワークを据えていたそうですが、留学先探しが大変だったのではないですか。

 大森 救急医としてプレホスピタル、特にドクターヘリでの病院前救急診療の経験を積み重ねてきた上で、さらに必要なことを日本のドクターヘリ運用の手本だった国から学びたいと思いました。その国は英国とドイツなので、この2国に的を絞って留学先を探しました。救急医は米国に留学することが多いので、つてを頼ることもできず、ベルリン、ボン、そしてロンドンの救急システムを実際に見学して、ロンドンのQueen Mary University of London, Centre for Trauma Sciencesを第一志望に決めました。

帰国後、この外傷センターのボスであるKarim Brohi教授に手紙を書いたところ、「給料は払えないが、それでもよければ」と返事を頂きました。ボスは外傷性凝固障害では世界的権威なので、このテーマにも取り組みたいと考え、2021年から2年間の予定で留学することにしました。

――留学先の決定後、準備はスムーズに進みましたか。 

大森 必ずしも順調ではありませんでした。留学先を決めた後に気付いたのですが、外傷性凝固障害の病態について日本と英国では対立している部分があり、出かける前に関係者に留学の挨拶に行ったら、あまり良い顔をされませんでした。さらに、ちょうどコロナ禍でしたので、多くの方から留学を見合わせた方が良いのではないかと言われました。

経済面では、留学資金を貯めていなかったので、それを得るために応募できる海外留学助成制度に漏れなく応募しました。2つ通ったのですが、1つの制度しか利用できないので金額が多い方を選びました。順天堂大学には留学中の教員の給与を保証するサバティカル研修制度があるので助かりましたが、いずれも円建てなので円安の影響はかなり受けました。 

制度面でも、ちょうどコロナ禍だったので英国滞在のためのビザがなかなか発給されず、1度に家族4人分が取れなかったので、伊豆から東京のビザ申請センターに何度も通わざるを得なかったのが大変でした。 

――コロナ禍のため英国への入国も制限されていたのでしょうね。 

大森 2021年の7月末に日本を発ったのですが、ロンドンに着いたら10日間ホテルに隔離されました。渡航前に住居や子どもが通う学校を決めたかったのですが、入国できない可能性もあるため契約などを進められませんでした。ホテルでの隔離中になんとかオンラインで住居を探して契約して、留学先の外傷センターを訪ねたのですが、やはりコロナ対応で忙しくなかなか手続きが進みませんでした。センターのボスとスーパーバイザーと面会できたのは、渡航から2カ月後でした。

外傷センターのボス(右)とともに。(大森氏提供)
外傷センターのボス(右)とともに。(大森氏提供)

ラピッドカーへの陪席と外傷性凝固障害の研究を両立

――具体的な研究テーマは、どのように決めたのでしょうか。

大森 日本のドクターヘリを発展させるためにロンドンの救急ヘリのシステムを学ぶことと、外傷性凝固障害の研究をすることを想定していましたが、具体的には何も決まっていませんでした。この外傷センターには世界中から医師をはじめ様々な職種が留学を含めて集まっていたので、まず、いろいろな人の取り組みを聞きながら、自分のテーマを絞り込んでいくことにしました。また、救急ヘリについては何のつてもなかったので、その場で知り合った人の紹介で救急ヘリのチームにたどり着けるように努めました。

――日本のドクターヘリとロンドンの救急ヘリでは、それほど違いがあるのでしょうか。

大森 大まかに言うとロンドンの救急ヘリは、日本ではまだ一般的でない「病院前救急診療」という概念が市民、消防、医療従事者間で共通認識として確立され、実践されています。救急ヘリでもラピッドカーでも機中・車中から輸血を行うなどの治療行為が始まって、シームレスに病院の救急外来へつなげていきます。救急医療は時間との勝負なので、患者さんと接触した直後から治療を開始できれば救命率が上がります。そのシステムを学びたかったのです。

残念ながらロンドンで救急ヘリに搭乗する機会には恵まれませんでしたが、昼間しか飛ばない救急ヘリに対して24時間出動するラピッドカーには何度か乗ることができ、病院前救急診療を見学できました。鉄道事故の現場に同行したことがあるのですが、到着すると同時に医師は救急隊と一緒に鉄道車両の下に潜り込んで、そこに居る患者さんの治療を開始しました。そのために、事故現場を想定したイメージトレーニングやシミュレーションを通して医師も訓練を積んでいます。

ラピッドカーの出動先で慌ただしくベーグルをコーラで流し込むことも。(大森氏提供)
ラピッドカーの出動先で慌ただしくベーグルをコーラで流し込むことも。(大森氏提供)

日本のドクターヘリに搭乗するのは医師と看護師で、現場に到着すると医師は安全な場所で患者さんが救助されてくるのを待つのが普通です。また、医師が駆けつけること自体、まだ普及していませんし、ヘリコプターが着陸するときの下降気流で巻き上げられた砂で「洗濯物が汚れた」などのクレームを受けることもあります。一方、英国やドイツでは。救急ヘリやラピッドカーが跳ね上げた小石が当たって物が壊れても、人命第一と市民は理解を示してくれます。

実は、別のところで救急ヘリに乗ることができました。私と同様に外傷センターに留学していたドイツ人救急医と知り合い、ハンブルクに帰った彼から「ぜひこちらに来てみろ」と誘われたのです。その言葉に甘えて彼の家に寝泊まりしながら、何回か救急ヘリに乗せてもらいました。

ドイツの救急医に招かれて搭乗した救急ヘリ。(大森氏提供)
ドイツの救急医に招かれて搭乗した救急ヘリ。(大森氏提供)

――もう一つの研究テーマである外傷性凝固障害の方はいかがでしたか。

大森 重症外傷の患者さんに対しては大量輸血を行いますが、凝固障害になると救命率が下がります。凝固因子はたくさんあり、それらを個別に測定することはなかなかできないのですが、ロンドンではそれが可能でした。値が下がっている因子を特定して、それを補充すれば生存率が上がるのではないかという仮説を検証する研究に取り組みました。大量輸血に加えるべき治療法を探すこととも言えます。現在も、ロンドンのボスとやり取りしながら論文の完成を目指しています。海外留学助成制度の条件だった論文については、外傷性凝固障害の総説を書いて提出しました。

様々な国から来た留学生らとの人脈作りに励む

――研究以外の成果についてもお聞かせください。

大森 外傷センターのボスは、研究面では日本の研究者と対立しているところがありましたが、夫人ともども親日家でしたので、初めての日本人留学者にもかかわらずとても良くしてもらいました。また、世界中から集まってきた留学仲間とも仲良くなり、誘い合ってうどんなどの日本食を食べに行きました。

ただし、ロンドンには治安が悪いところがあり、2度ほど詐欺に引っかかりました。でも、周りに聞くと「引っかかる方が悪い」という捉え方なので、自分を戒めるようになりました。また、断水や停電、欲しいものをなかなか手に入れられないなどの不自由がありました。それらを乗り越える経験をしたことによって、異文化に溶け込む力が養われたと思います。救急医はDMAT(災害派遣医療チーム)などで土地勘のないところに派遣されることがありますが、そんなときにも過度な心配をせずに出動できるようになったと思います。



外傷センターで出合った留学仲間。医師だけでなく看護師やパラメディックも各国から学びに来ている。(大森氏提供)

――ご家族はロンドンでの生活を、どのように感じていましたか。

 大森 ロンドンに連れて行ったときの子どもの年齢は、8歳と5歳でした。特に下の子は、海外に行くという認識すらなかったと思います。2人とも「またロンドンに行きたい」といった話はしませんが、もう少し成長したときに、日本の良さを感じる材料にしてもらえたらいいなと思っています。残念なのは、下の子はきれいなクイーンズイングリッシュの発音を身に付けたのですが、日本に戻ったら他の子に合わせたのか、日本式英語になってしまったことです。

 小児科医の妻は最初から留学に賛成してくれたので、安心して家族を連れて行くことができました。妻は現地で働けるビザを取っていたので、私が家を空けている日中は日本時間の夜にインターネットで寄せられる医療相談に対応するなど、時間を有効活用する生活を送っていました。住居は治安の良さを最優先して、私の職場から地下鉄で1時間かかる場所に決めたのですが、それもあって家族全員が無事に帰ってこられたことが何よりです。

 ――研究論文の執筆は継続中とのことですが、得るものが多い留学だったようですね。

 大森 実は今回の留学は、あるリベンジも兼ねていました。医師になって4、5年目に英国ブライトンで開催された国際航空医療学会で口演発表した際に、英語が話せず会場からの質問に答えることができなかった苦い想い出があったため、その悔しさを晴らそうと考えていたのです。

 発表したテーマは大学院で研究していた「ドクターヘリ内での自動胸骨圧迫機の有効性」で、人員が限られるヘリコプターの機内では機械に任せられることは機械に任せたほうが救命率は上がるという内容でした。当時は内容を英語で丸暗記して一方的に発表しただけでしたが、それから4年後、イタリア・ローマで開かれた同学会に再び出席したところ、同国コモの医師から「あなたの発表を聞いた後に論文も読み、我々も自動胸骨圧迫機を導入した」と話しかけられました。彼とは食事をともにしながらさらに話し込んだのですが、そこで海外の人とのコミュニケーションを通して受ける刺激の大切さを思い知ったのです。

 そしてうれしいことに、今回の留学中にザルツブルクで開催された同じ国際航空医療学会で日本のドクターヘリの進化について発表する機会に恵まれ、質問にも答えることができました。長年抱いていた悔しさを晴らせたリベンジの瞬間でした。このような経験から、今回の留学では積極的に海外の医療従事者との対話を重ね、国際的な視野と人脈を広げることに注力しました。

 留学をきっかけに日英間の架け橋となり後進の支援も

 ――今回の留学を踏まえた上での、今後の目標や取り組みについてお聞かせください。

 大森 今後も日本と英国の架け橋となれるよう努めていきます。順天堂大学と外傷センターの母体であるQueen Mary University of Londonの提携はコロナ禍で中断していましたが、復活させることができました。また、日英両国の救急医療を発展させるプロジェクトの助成を受けることが決まり、2024年5月に日本から4人の救急医を連れて渡英しました。さらには、私に続いて外傷センターに留学する医師も決まりました。順天堂大学の日英間の連携に興味をもった先生が集まってきてくれたら、さらに活性化していくと思います。

 2025年11月開催の日本航空医療学会学術集会は私たちの病院が担当するのですが、ドイツで私を救急ヘリに乗せてくれた医師や、英国でラピッドカーに一緒に乗った医師を招待する予定です。相互交流を継続、発展させていきます。

 ――最後に、海外留学を考えている若い医師にアドバイスをお願いします。

 大森 海外に出たら、日本にいたら気付かないことにも気付けます。少しでも海外留学に興味を持ったら、ぜひ行動に移して経験してほしいと思います。私もそうでしたが、留学したいと心の中では思っていても、なかなか最初の一歩を踏み出せないものです。それは、慣れた生活環境や人間関係から飛び出さなければならないからだと思います。

 留学先での生活には未知の不安がつきものです。実際に私も留学中にはつらい思いもしましたが、留学しなければ経験できなかったこともたくさんあります。私自身は留学したことを全く後悔していません。たった一度の人生の中で、そうした期間があってもいいのではないかと思います。若い人にはぜひ覚悟を決めて海外留学して、自分の体でいろいろな経験をしてほしいと思います。常に「自分は何をしたいのか」を自分自身に問いただして、それが海外で実現できると分かったら、もうそれは留学するしかありません。

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