集中治療後に患者が抱える問題の解決目指す「PICS外来」をいち早く開設

集中治療室(ICU)での治療を受けた後、身体や認知機能、精神に何らかの障害が残る集中治療後症候群(post-intensive care syndrome :以下PICS)。2010年以降に提唱されるようになった新しい疾患概念だが、これに対応すべく国内でいち早く「PICS外来」の立ち上げに動いたのが日立総合病院だ。同病院救命救急センター長の中村謙介氏に、PICS外来開設の経緯や狙い、診療の実際について聞いた。

日立総合病院

日立総合病院(茨城県日立市)

 

「救命救急センターに運ばれてきた患者さんは、ただ助けるだけでは不十分で、助けた後に元気になって家に帰れること、そして家でも元気に過ごせることが大事だということが最近、言われるようになってきました。私は日本集中治療学会の「PICS検討委員会」のメンバーでもあったので、以前からそうした取り組みに力を入れていたのですが、学会理事長の西田修先生から『PICSを専門に扱う外来に取り組んでもらえないか』と声を掛けられたのをきっかけに、2019年7月、日立総合病院に『PICS外来』をオープンすることにしました」
同病院におけるPICS外来開設の経緯をこのように語る救命救急センター長の中村謙介氏は、「病院を挙げてPICS外来を運営する試みは、恐らく日本では初めてのものでしょう」とも付け加える。

「断らない救急」が招く社会的入院

日立総合病院は、茨城県北部で三次救急を担う唯一の医療機関。「断らない救急」を標榜しており、実際、救急応需率は99.9%に達する。そしていったん受け入れた全ての患者は、救急集中治療科が退院に至るまで一切の管理・治療を担当する体制になっている。「他の科に患者を押し付けたりせず、高齢者の誤嚥性肺炎などもウチで一手に引き受けています」と中村氏。90歳代や100歳を超える高齢者を受け入れることも珍しくないという。
となると当然、治療を終えても心身の衰えから自宅に帰ることが困難な患者が増えてくるし、病院としてはいわゆる社会的入院の患者を抱えることにもなる。そうした患者が多くのベッドを埋めるようになると、病院が三次救急医療機関としての機能を発揮できなくなってしまう。この課題を解決したいという思いが、中村氏をPICS対策に取り組ませることになった。
「『断らない救急』を目指す活動の中で、身体が弱ってしまってどうしても入院前の環境に帰れない高齢者が多くいるのを目の当たりにして、『何とかしなきゃ』と考えていました。そこで2017年ごろから状況を改善するための活動を始めたのですが、それに学会から注目していただいたことが、PICS外来の開設につながりました」と中村氏は語る。

医師、看護師、理学療法士のチームで対応

日立総合病院のPICS外来は、同病院のICUで治療を受けた全ての患者が受診対象になる。どの科を受診した患者であっても、ICUでの治療を受けた場合には退院後、自動的にPICS外来の予約が入る仕組みだ。ただし、実際に受診するかどうかは患者の判断に任されている。「患者さんが困っていれば来てください、困ってなければ来なくていいですよ、という姿勢で臨んでいます」と中村氏は話す。
PICS外来が開かれるのは毎週木曜日の13時から。患者が途切れるまで続けるが、おおむね16時には終了する。訪れる患者の数は、多いときで1日当たり7〜8人に上り、平均では4〜5人程度。だが2020年以降は、コロナ禍のせいで1日当たり2人程度まで減っているという。
外来を担当するのは、医師と看護師と理学療法士からなるチームだ。「PICS外来は医師1人ではできません。当院では集中治療科の常勤医師10人と、日本看護協会の集中ケア認定看護師の有資格者3人、それに専属の理学療法士2人の計15人が、チームとして対応しています」と中村氏は話す。
PICS外来では、まず理学療法士が患者の身体機能を評価して、適切なリハビリテーションを指導する。次に看護師が精神面と認知面を評価して、それに対応した助言を行う。それらを踏まえた上で、最後に医師が総合診察をして、患者に必要な事項をフィードバックするという流れだ。このほか管理栄養士と医療連携室のソーシャルワーカーも、毎朝全ての患者を対象に開かれるカンファレンスの場を通じて、PICS外来の患者をサポートしている。

日立総合病院救命救急センターのPICS外来を担当するチーム。医師と看護師、理学療法士で構成する(中村氏提供)

 後遺症を防ぐ治療法の考察が可能に

では、PICS外来の受診によって患者の状態はどの程度改善するのか。この点について中村氏は「私たちができることは限られています。1回や2回の診療によって、患者さんの状態を劇的に良くできるわけではありません」と率直に語る。だが、従来は「病気ではないから」という理由で診てもらえなかったICU治療後の後遺症について、医師をはじめとする医療者が正面から向き合ってくれるようになったことに感謝する患者は多いという。
一方で医療者の側にも、これまで見過ごしてきた患者の状態を目の当たりにできる効用は大きいと中村氏は指摘する。「私たちは普段、ICU治療後の後遺症で困っている患者さんを診ることはなかったのですが、PICS外来でその機会が与えられることになりました。そこで初めて『どういう治療・ケアをしていれば後遺症を防げたのか』という考察ができるようになったのです。このことは非常に大きなメリットだといえます」
従来のICUにおける医療では、死亡率などの指標を元に治療の選択肢を判断するのが一般的だった。しかし、臨床研究によってPICS患者に関する知見が蓄積すれば、死亡率などの指標を基本に据えつつも、後遺症を生じさせない別の治療法を検討することが可能になる。それこそがPICS外来開設の目的なのだ。
中村氏によれば、日立総合病院の救命救急センターでは現在、PICS関連だけで10にも及ぶ臨床研究が進行中だという。いずれもICU治療における後遺症を最小限にするために必要な条件を探るものだが、中でも注目されるのが、新型コロナウイルス感染症をテーマにした多施設研究だ。
これは集中治療室で人工呼吸による治療を受けた患者300人を登録し、2年後まで後遺症の有無を追い続けるという大がかりな研究で、全国33の施設が参加している。「研究データからは、治療後半年を経ても身体障害を抱えている人が多く、また精神面での不調を訴える人が多いことが明らかになっています」と中村氏。近いうちに、雑誌投稿によって詳細な研究結果を公表する予定だという。

現状は人件費持ち出しのPICS外来

ところで、日立総合病院のPICS外来では、診療に当たり算定する診療報酬は基本的に再診料のみ。指導料や管理料の類いは一切算定していないという。医師のほかに看護師や理学療法士がそれぞれ患者に相対することを考えれば、その人件費分は病院にとって完全な持ち出しだ。
しかし中村氏は「PICS外来そのものでお金を取る仕組みは望ましくない」と言う。PICS外来のようなサービスは、ICU治療の一環に位置づけるべきと考えているからだ。「ICU治療をやりっ放しにするのではなく、その後もきちっと患者をフォローしていくことによって、ICUの診療レベルを高めていくというのが本来あるべき姿です」。こう語る中村氏は「PICS外来のコストは、ICU関連の診療報酬の加算などに位置づけるべきでは」とも言う。
2018年の診療報酬改定では、PICSへの対応策の一つとして、ICUでの多職種による取り組みを評価した「早期離床・リハビリテーション加算」が新設された。中村氏はPICS外来について、こうした診療報酬上の評価を視野に入れているようだ。「日本集中治療学会PICS検討委員会としても、PICSという概念を日本全体に浸透させ、それに対する取り組みに保険点数が付くよう働きかけていきたいと考えています。そのためにもPICS外来の意義を検証できるデータを蓄積していきたいと思います」と語る。

救急全般による機能低下扱う疾患概念も登場

「PICS(post-intensive care syndrome)」は、その名の通りICU治療を受けた患者に特有の精神・身体機能低下を指す。しかし我が国では高齢者救急の増加が著しく、ICU治療を受けていないにもかかわらず、精神・身体機能の低下を来す例が少なくない。このため中村氏は、現状に即したより広い疾患概念として、2018年から救急医療全般による精神・身体機能低下を意味する「PACS(post-acute care syndrome)」を提唱している。
「現段階でPACSに関する研究を実施できているわけではありませんが、私も理事を務める新設の日本在宅救急医学会では、PACSを調査・研究することを活動の柱の一つに据えてもらっています」と中村氏。ICU治療に限らず、救急医療全般に伴う精神・身体機能低下であるPACSは、在宅患者の救急において、より発生しやすい病態といえる。その病態を科学的に分析し、適切な介入手法を検討する上で、日本在宅救急医学会は格好のフィールドといえそうだ。
ICU治療や救急治療全般に伴う後遺症をいかに回避するかは、健康寿命の延伸に直結する社会課題でもある。中村氏がリードするPICSおよびPACSの研究成果が、団塊の世代が全て後期高齢者となる2025年、そして我が国の高齢者数がピークを迎えるとされる2040年に向けて、より重要性を増していくことは間違いないだろう。

日立総合病院救命救急センターの医局員(提供:日立総合病院)



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中村 謙介 氏

2002年東京大学医学部卒業、同大学医学部附属病院、太田西ノ内病院を経て2007年東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部助教。2010年同大学大学院医学系研究科外科学専攻救急医学講座。2012年に救命救急センター立ち上げの要請を受け株式会社日立製作所日立総合病院へ。現在、救急集中治療科主任医長/救命救急センター長。主な著書に『ナイスバルク! 急性期のリハビリテーションと栄養療法 筋トレのエビデンスから考える』(金芳堂)、『循環とは何か? 虜になる循環の生理学』(三輪書店)など。


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