ピンチをチャンスと捉え強い組織づくりを目指す横浜市救急の「最後の砦」

横浜市立大学附属市民総合医療センターの高度救命救急センターは2020年、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」内で発生した新型コロナウイルス感染症のクラスターで最重症患者の治療に当たった。高度救命救急センターのトップを担う竹内一郎氏は「難しかったのは、新型コロナ対応と重症外傷症例への対応を両立する必要があったことでした」と当時を振り返る。ピンチを乗り越えて、同センターはより強い組織になったと竹内氏は言う。コロナ禍を契機に進んだ重症呼吸不全の集約化も「ECMOセンター確立」のチャンスと捉え、定着を目指している。

横浜市立大学附属市民総合医療センター
高度救命救急センター
(神奈川県横浜市)

1871年設立(当時の施設名称は横浜病院)、1952年に横浜市立大学医学部の設置に伴い「横浜市立大学病院」と改称。2005年より現在の名称となった。病床数は696床。2003年に高度救命救急センターとして承認された。

 神奈川県横浜市は全国に先駆けて、重傷外傷の救急の集約化に取り組んできた。大量出血やショック症状を伴う、特に緊急の治療が必要となる外傷患者については、「横浜市重傷外傷センター」へ搬送する体制を2015年に確立している。現在、重傷外傷センターに指定された医療施設は2施設で、その1つが、市内唯一の高度救命救急センターでもある横浜市立大学附属市民総合医療センター(以下、センター病院)だ。高度救命救急センターに所属する救急医は約30人(指導医8人)、専用病床数47床、対応症例数は年間約1600例。診療科のトップを担うのは、横浜市立大学医学部救急医学教室の主任教授で高度救命救急センター長の竹内一郎氏だ。

 同センターは、2020年2月にクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の船内で発生した新型コロナウイルス感染症クラスターへの治療対応で、中心的な役割を担ったことでも知られる。新型コロナの重症呼吸不全例を、日本で最初に「VV-ECMO(veno venous extracorporeal membrane oxygenation)」を使って救命したのも同センターだった。

 「クルーズ船から始まったコロナ禍で、横浜市全体で患者が爆発的に増え、市の救急医療体制は崩壊寸前に陥りました。しかしそのピンチに押し潰されず、センター病院はより強固な組織になり発展してきました。常にピンチをチャンスと捉えて組織の強化を図り、横浜市の医療の最後の砦として機能を維持していくことが当施設の役割です」と竹内氏は言う。

竹内一郎                                  横浜市立大学医学部救急医学教室の主任教授で高度救命救急センター長の竹内一郎氏。

クルーズ船の新型コロナ感染症クラスターでは最重症患者に対応

  ダイヤモンド・プリンセス号が新型コロナウイルス感染者を含む乗客を乗せて、横浜港に入港したのは2020年2月3日のことだった。当初、確認された感染者は10人ほどだったが、既に船内では大規模な感染伝播が起こっていた。最終的には乗員乗客合わせた3711人のうち、2割近くに及ぶ712人に感染が確認された。 

 横浜市内の病院だけで全ての感染者を収容できないことは、早い段階で明らかとなった。そのため船内で患者を重症、中等症、軽症に分類し、重症の患者のみが消防の救急車で横浜市内の病院に搬送されることになった。重症でない患者については、民間救急車やDMAT(災害派遣医療チーム)、自衛隊の車両を活用して、まず中等症の患者が神奈川県内の医療施設に送られ、軽症の患者はさらに遠く、東京、静岡、埼玉、長野などの医療施設に送られた。 

 センター病院の高度救命救急センターは、最も迅速な対応が求められる重症呼吸不全の患者を受け入れて治療に当たった。竹内氏は当時を振り返り「難しかったのは、当センターは新型コロナだけに対応すればよい施設ではなかったことです」と話す。重傷外傷センターでもある同センターは横浜市におけるあらゆる救急疾患の最後の砦であり、一刻を争う交通事故の重傷患者などにも同時に対応することを求められた。 

 「私はDMATの統括責任者であるとともに、横浜市全体の救急医療を指揮する災害医療コーディネーターの立場にありました。従って新型コロナに関する医療政策に直接関わり、市長と一緒に記者会見にも出席しました。インターネット上では、重症者を優先する市の施策に対して様々な批判が寄せられました。治療を後回しにされた軽症、中等症の患者さんにしてみれば、『ふざけるな』『死んだらどうしてくれるんだ』という気持ちになるのはよく分かります。平時にはあり得ない対応ですが、災害時には、いくら批判を浴びてもブレずに生命の危機がある重症患者さんを優先する必要があります。そうしないと新型コロナの重症患者さんの命が守れないだけでなく、普段なら助けられる交通事故や心筋梗塞の患者さんも助けられなくなるからです」(竹内氏)。 

ピンチを乗り越えて後の感染拡大にもスムーズに対応できた 

 クルーズ船内で起こった感染症クラスターへの対応で、横浜市とセンター病院はいきなり大きなピンチを迎えたが、それを乗り越えたことが、その後の新型コロナ対応に大いに役立った。日本全体に感染が広がった段階でも、クルーズ船の感染者に対して実施したことを横浜市全体に当てはめて、優先順位を設定し対応を進めることができたという。 

 患者を重症度で層別化して、自宅待機と病院搬送に振り分けた。ただし医療の需要と供給のバランスを見ながら、「重症~軽症」の基準は常に見直したとのことだ。通常なら、人工呼吸器を付けなければいけない患者は十分に「重症」だ。しかし流行の最盛期には横浜市だけで1日1万人以上の感染者が出たため、センター病院だけでは全ての重症例を受け入れられなくなった。 

 「人工呼吸器で対応できる患者さんは関連病院で診てもらうことにして、VV-ECMOが必要な患者さんのみをセンター病院に集めて集中管理するなど、基準を見直しました。とにかく、一番重症な患者さんをここで診るという原則で対応し、多くの患者さんを救うことができました」(竹内氏)。

医療現場                              重症外傷患者の初療の様子。(竹内氏提供)

新型コロナが契機となり重症呼吸不全の集約化が進んだ

  コロナ禍のピンチは、重症呼吸不全の医療の集約化を進めるチャンスにもなった。横浜市では重傷外傷の集約化を2015年に完成させた後、重症呼吸不全を次の集約化のターゲットにしていた。2019年にはECMOを装着したまま患者を搬送できる「ECMOカー(モバイルICU)」をセンター病院に導入するなど、コロナ前から環境整備を進めていた。ただ、重症呼吸不全については集約化の強制力が働きにくく、達成には相当な時間がかかるとみられていた。

  しかし、新型コロナの重症呼吸不全の患者がECMOを使って救命された事例がテレビなどで報道されるようになり、状況は一変したという。「それまではECMOが何なのか、医療者にもあまり理解されていなかったのですが、『コロナで重症呼吸不全に陥ってもECMOで救命できる』『センター病院でECMOを使った医療をやっている』との認識が一般の人にも医療者にも広がったのです。市内の医療施設から、重症呼吸不全の患者さんが当センターへ多く紹介されてくるようになりました」と竹内氏は語る。

  多くの症例を経験することで、センター病院の医師、コメディカルは、VV-ECMO関連の技量が向上し、チーム力も高まった。それが治療成功率の向上につながり、重症呼吸不全の患者がさらに同センターに集まるといった好循環が生まれた。新型コロナの流行がひと段落した2023年までの間に、センター病院が手掛けたECMO導入例は40例で、治療成績(救命率)は89%ほどに上ったという。

  「新型インフルエンザ(A/H1N1)への対応で初めてECMOを導入した2009年頃と比べると、格段に成績が向上しました。ECMO先進国の医療施設と肩を並べるレベルになったと言ってよいと思います」と竹内氏は胸を張る。

  もう1つ、コロナ禍を乗り越えた今、竹内氏が「良かった」と感じていることがある。それは、新型コロナに懸命に対応する医師たちに、一般の人たちが感謝の気持ちを示してくれたことだ。特に最前線で活躍する救急医は注目を集め、多くの人から「ありがとう」「頑張って」と声をかけられた。「厳しい環境で働く救急医にとって、プライドが持てるかどうかがすごく大切な要素だと私は常々思っていました。コロナ禍で、救急医の存在意義が社会に認められたと感じます。やる気のある医師が、以前に増して、救急医を目指して来てくれるようにもなりました。これもコロナによるピンチがチャンスになったことの1つだと思います」と竹内氏は話す。

ECMOカーとドクターカー                             待機中のECMOカー(左)とドクターカー(右2台)。(竹内氏提供)

シミュレーション教育で診療の質の追求と人材育成を両立

  横浜市立大学医学部には、センター病院を含めて2つの附属病院がある。また、救急医学教室が医師を派遣している関連施設の中には、救命救急センターを設置している病院が8施設ある。しかし高度救命救急センターがあるのはセンター病院のみで、重傷外傷、重症呼吸不全、重症小児、重症敗血症など、難しい救急症例は全て同病院に集めている。「センター病院は、あらゆる面で救急医学教室の中枢施設となっています。ただ、そこに横浜市立大学救急医学教室全体としての教育、人材育成の難しさがあります」と竹内氏は言う。

  重症例はそもそも症例数が少ないため、センター病院での勤務歴が短い医師は、初めて遭遇する症例が多くなる。固定メンバーで運営した方が、診療の質を保つ上では有利だ。しかし人材育成の見地から、専門医資格を取って間もない若い医師や専攻医にも、センター病院の難しい救急現場を経験してほしいというのが竹内氏の考えだ。「診療の質の追求と人材育成を同時にやっていくことは、ある意味で矛盾しますが、それを両立させるためにシミュレーション教育に力を入れています」と竹内氏は話す。

  シミュレーションプログラムの内容は様々だ。ECMOについては機械の操作だけでなく、患者の搬送やECMO導入前の体位の変換、トラブルシューティングなどを含んだ濃密な内容となっている。重傷外傷については、刃物で刺された患者、高所から飛び降りた患者、出血性ショックの患者、災害で多人数が一度に搬送されてきたなど、毎回、異なる様々なケースを想定して、どう対応すればよいかを教育する。

  「毎月1回以上、救急医だけでなく、循環器内科医、麻酔科医、看護師、診療放射線技師、臨床工学技士など、チームで診療に当たる他診療科、他職種のスタッフにも加わってもらい、実践さながらにシミュレーション教育を行っています。このような取り組みで若手の救急医のみならず、医療チーム全体のレベルアップをしておかないと、いざというときにパフォーマンスが発揮できません」(竹内氏)。

  同センターには、入れ替わりながら専攻医が常時5〜6人所属している。1人の配属期間は約1年だ。教育方針のキーワードは「重症のICUからERまで全ての面に対応できる救急医を育成すること」だ。同センターは、医療の需給バランスに応じて柔軟に人員配置を変えていく必要があるため、新型コロナ対応のみ、重症外傷対応のみといった専任は置かず、所属する救急医全員が重症外傷にも、重症呼吸不全にも対応する体制を取っている。専攻医にも幅広くバランスよく救急の技能、知識を身に着けてもらうことを重視しているという。

横浜市立大学附属市民総合医療センター 高度救命救急センターのスタッフたちセンター病院の高度救命救急センターのスタッフたち。(竹内氏提供)

 コロナ禍に進んだ重症呼吸不全の集約化を定着させたい 

 今後の抱負の1つは、コロナ禍に進んだ重症呼吸不全の集約化を定着させることだと竹内氏は言う。集約化が進み医師やコメディカルの経験値が上がると、一つひとつのプロセスへの対応力が高くなる。例えばECMOの人工心肺には寿命があるが、その交換時期の見極めや、適切なサイズのカニュレーションの管の選び方などは、救命率アップのカギとなる。そういったノウハウを蓄積した施設で治療を受けられることは、重症呼吸不全の患者にとってメリットが大きい。 

 しかし平時には、自施設でECMO医療を実施する病院が多く、日本では症例が分散しがちだ。センター病院で手掛ける症例が少なくなると、蓄積された重症呼吸不全対応のノウハウや多職種のチームワークが弱まってしまいかねない。「せっかく進んだ集約化をさらに進めていくことが求められます。引き続き重症呼吸不全の患者さんを当センターに送ってもらえるよう、市内の施設に呼び掛けていきます」(竹内氏)。 

 組織に関しては、「誰が現場リーダーであっても、院内や現場での救急医療が滞りなく実施できる体制づくりが課題です」と竹内氏は言う。コロナ禍でそうだったように、大規模災害時には竹内氏を含むセンター病院のベテラン救急医数人は、市役所や神奈川県庁の対策本部に召集されて地域全体のマネジメント業務に当たることが求められる。従って院内や救急現場での活動は、竹内氏の不在を想定しておく必要がある。 

 「シミュレーション教育では、私は介入せず中堅から若手の医師に任せるようにしています。見ているとつい口を出したくなる場面もありますが、あえて言わないようにしています。人を育てる一番の方法は、我慢して任せられるかどうかだと思うからです」と竹内氏は語る。 

 若手医師の育成に関しては、それぞれの救急医の個性を生かし、多様性を伸ばしていきたい考えだ。専攻医プログラムではジェネラルな救急医の育成を重視しているが、専門医資格を取った後には、人に負けない得意分野を作ることを推奨しているとのこと。集中治療やERなど、救急の王道を究めたいと希望する救急医をサポートするのは当然だが、外科、整形外科、小児科、感染症科、IVR(インターベンショナル・ラジオロジー)、医療安全、医療行政など他の診療科や部門に出向してダブルボードを目指す救急医も積極的にサポートしているという。 

 「救急医学教室は現在、医局員104人を擁する大規模な医局です。若手の救急医が3年程度、修行のために他の施設に留学しても、附属病院と関連病院の運営は支障なくできる体制になっています。規模のメリットを生かして、一人ひとりの救急医が得意分野を磨き、多種多様な人材で構成される強い集団を目標としています。ジェネラルな技能を備え多様性にも富んだ救急医が、24時間365日守り続ける横浜市の最後の砦、それが私の描くセンター病院の将来像です」。そう竹内氏は話している。
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竹内 一郎

竹内 一郎(たけうち・いちろう)氏
1997年群馬大学医学部卒業、静岡済生会総合病院研修医。1999年榊原記念病院(循環器レジデント)。2001年北里大学病院循環器内科。2005年小田原市立病院(循環器内科医長)。2007年北里大学病院救命救急センター講師・准教授。2012年新潟大学救命救急医学特任准教授(兼任)。2016年Columbia University Department of Medicine, Division of Pulmonary, Allergy and Critical Care Medicine(兼任)。 2017年横浜市立大学医学部救急医学教室主任教授就任、附属市民総合医療センター高度救命救急センター長。

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