都市部の地域医療に即したER-ICU型の高度救命救急センター

埼玉県初の救命救急センターとして開設された日本赤十字社さいたま赤十字病院高度救命救急センター。3代目センター長の田口茂正氏は副部長時代に、都市部の救急医療ニーズに対応するためER-ICU型への移行を病院に提案。その実現に努めると同時に、センターのみならず病院全体の収益を高める経営改善にも注力する。「10年後を想定して今行動する」をモットーに、スタッフの多様性を尊重するダイバーシティの推進や、救急医の時間外労働の削減などにも取り組んでいる。

日本赤十字社 さいたま赤十字病院 高度救命救急センター・救急科(埼玉県さいたま市)

埼玉県初の救命救急センターを擁する、さいたま赤十字病院。

 埼玉県は、県立のがんセンター、小児医療センター、精神医療センター、循環器・呼吸器病センターなど専門病院は充実しているが、県立の総合病院は未整備だ。その機能を実質的に担ってきたのが、さいたま赤十字病院である。また、防衛医科大学校病院を除けば県内唯一の大学病院本院である埼玉医科大学病院は、多くの人口を有する埼玉県南東部から離れている。そのため高度急性期医療の提供という面からも、さいたま市内に建つ同病院が果たす役割は大きい。

埼玉県で初の救命救急センター

 1980年、さいたま赤十字病院(当時の名称は大宮赤十字病院)に県内第1号の救命救急センターが開設された。以来、初代センター長の三宅康史氏、2代目の清田和也氏、そして2022年に3代目センター長に就任した田口茂正氏が、県内の高度救命救急医療をリードしてきた。

 田口氏は2003年に東京大学医学部を卒業して同大医学部附属病院に研修医として入職後、2006年に救急・集中治療領域の専門医を志して、さいたま赤十字病院救命救急センターのレジデントとなった。現在は同病院高度救命救急センター長のほか、第一救急部長、集中治療部長、院長補佐(病院経営改善対策担当)を務めている。

 「私は幅広い知識や技術を修得したいと考えていたので、内科のあらゆる領域をローテートする東大医学部附属病院の内科プログラムで臨床研修することにしました。2年目は希望する病院で研修することが認められていたので、さいたま赤十字病院の内科を選んだのです。そこで清田先生と出会い、改めて救急・集中治療領域に興味をひかれるようになりました」と田口氏は振り返る。

 臨床研修後は東京大学医学部附属病院の循環器内科に入局する選択肢もあったが、もう1年は救急の現場に立ちたいと考えて入局を延期、さいたま赤十字病院の救急専従医としての生活を始めた。当時の救命救急センターには常勤医が3人しかおらず、田口氏も2泊しながら3日間勤務し、1日休んでまた3日間勤務という状態だった。そんな多忙な状況の中、循環器内科医と救急医どちらの道を進むかで迷っていた田口氏は、立て続けに院外で3件もの事故現場に遭遇する。

 「いずれもすぐに必要な処置を施し、適切な医療機関に搬送すべき症例でした。現場で自分なりに対応して、時には救急車に同乗して最寄りの医療期間での治療もしました。そこで自分のそれまでの経験が無駄ではなかったことを実感するとともに、続けて3件もの事故に遭遇したことは『救急医になれ』という天命に違いないと考え、さいたま赤十字病院で救急医を続けることに決めました」(田口氏)。

高度救命救急センター長を務める田口茂正氏                                高度救命救急センター長を務める田口茂正氏。

災害医療の現場で「地域医療における救急の役割」を再認識

 田口氏が入職した当時から、さいたま赤十字病院の救命救急センターは、人口が集中する埼玉県南東部にありながら県全域の三次救急に対応することが多かった。田口氏は常に「命と向き合う医療」を求められ、自身を厳しく律して搬送されてくる患者に対応してきた。周りのスタッフについては「大変な職場だが、付いて来られる者だけが付いて来ればよい」と考え、三次救急に邁進する日々を送っていた。

 そんな田口氏を変えるきっかけとなったのが、2011年の東日本大震災だった。発災直後、さいたま赤十字病院でも被災地にDMAT(災害医療派遣チーム)を送り出すことになったが、志願者がなかなか集まらなかったため田口氏自身が手を挙げた。このDMATへの参加を機に田口氏は、三次救急専門の救急医から、幅広い患者に対応できる救急医へと自らの姿勢を変化させていくことになる。

 被災地に到着すると三次救急に該当する患者より、比較的軽症だが放ってはおけないタイプの患者が圧倒的に多かった。また、胃瘻の管やストーマのパウチなどが津波に流されてしまい、交換できずに困っている患者も少なくなかった。そうした患者への対応を重ねるうちに、田口氏は「地域医療における救急の役割」を再認識したという。

 「地域医療には、患者とのファーストタッチで、引き継ぐべき診療科や専門病院を素早く判断する救急外来が不可欠です。また、地域医療というと過疎地の医療と思われがちですが、さいたま市のような地域にも都市部ならではの地域医療があり、地域の実情に応じた救急の役割があると考えるようになりました」と田口氏は話す。

 被災地から帰還した田口氏は、より幅広い患者を診られるようにと、改めてプライマリ・ケアに取り組むことにした。引き続きさいたま赤十字病院で救急医療に携わる一方、市内の診療所で週に4時間の内科外来を担当し、プライマリ・ケアのスキルを磨いた。日本プライマリ・ケア連合学会の専門医と指導医の資格も取得した。

 自分が変わると同時に、病院も変化すべきだと考えるようになった田口氏は、三次救急に特化していたさいたま赤十字病院の救命救急センターを、北米型の「ER型」に転換することを病院に提案した。重症度や傷病の種類、年齢にかかわらず全ての救急患者を救急医が診療するER型のスタイルこそが、さいたま市の地域医療における救急のあり方としてふさわしいとの判断からだった。

救命救急の現場でスタッフの指示を出す田口氏。                                救命救急の現場でスタッフの指示を出す田口氏。(同氏提供)

ER型への移行で意外にも三次救急の件数が増加

 しかしこの提案に対しては、病院の経営陣にも救命救急センターのスタッフにも反対の声が少なくなかった。「三次救急の医療リソースが圧迫されてしまう」「高度な三次救急を担当することに働きがいを感じているので、一次・二次救急の患者は診たくない」などが理由だった。しかし、さいたま赤十字病院の救急はER型であるべきだと確信していた田口氏は、以前の「付いて来られる者だけが付いて来ればよい」という態度ではなく、根気強く経営陣やセンタースタッフにその必要性を説明し、納得してもらえるよう働きかけを続けた。

 こうした努力が実を結び、さいたま赤十字病院の救命救急センターは 2016年、ER-ICU型(救急外来で初期診療を行い、重症患者は引き続き併設の集中治療室で診療するスタイル)へと衣替えを果たすことになった。2017年に計画されていた病院移転前に実現できたので、運用体制の確認もスムーズに進み、移転を機に改称された「高度救命救急センター」は万全の体制で再スタートを切れたという。また、かねてから地域医療計画で要請されていたドクターカーも救命率向上を目指して導入し、病院前救急にも対応できるようにした。

 ER-ICU型に移行する前は、救急隊員が三次救急に該当しない患者の受け入れを同病院の内科や外科に打診していたが、今は高度救命救急センターのER窓口に連絡先が一本化されたため、搬送時間の短縮につながっている。また、患者の受け入れ先が一元化されたことで、救急隊員が三次救急に該当するかどうかで迷うこともなくなった。このことも搬送時間の短縮に貢献しているという。

 院内の一部には、三次救急の受入患者数が減るのではないかと懸念する声もあったが、むしろ増加している。その理由を、田口氏は次のように語る。「三次救急の患者さんが増えたのは、ER-ICU型に移行したことで、救急隊員が迷いなく連絡できるようになったことが大きいと考えています。また、実際には三次救急に該当するものの、二次救急と判断され以前は当センターに送られて来なかった患者さんが、今は搬送されるようになったことも影響しているのだと思います」。

 ドクターカーもフル稼働の状態だ。患者の状態から、早期に医師が処置すべきだと判断された場合には、高度救命救急センターにドクターカーの出動要請が入る。要請を受けた医師が患者の元に急行し、必要な処置をしながら病院に戻ってくることが可能となったため、救命率の向上に寄与している。

 ただし、都市部でのドクターカー運用には課題もあると田口氏は言う。「都市部でドクターカーを走らせるスタッフは、道路の混雑状況や経路上にある医療機関の機能を熟知していなければ効率的な運用ができません。医師が駆けつけるべきか否かの判断も含め、ドクターカーに関しては、より精度の高い運用が必要だと考えています」。

さいたま赤十字病院のドクターカー。
さいたま赤十字病院のドクターカー。(田口氏提供)

患者のための投資原資を生む経営改善に取り組む

 救急医療の診療報酬は外来のみでは出来高払い、入院では包括診療が基本となる。そのため、どのような治療をしたかを正確に記録しておく必要がある。この取り組みは先代センター長の清田氏の時から徹底されていて、現センター長の田口氏も毎日カルテを見て、必要があれば治療を担当した医師に「縫った傷口の深さや長さは?」などと確認している。そのことが、高度救命救急センターの粗利87%という高い実績に結びついている。

 病院経営にシビアに取り組むのは、利益を上げること自体が目的なのではない。高度救命救急センターの院内における運営の自由度を確保するためだ。田口氏は「高度救命救急センターが不採算部門になってしまうと、人員増やドクターカーを含む機材更新の申請が通りにくくなってしまいます。必要な投資を確保するためにも、行った治療は漏れなく正しく記録して、経営指標を明確に数字に表すことで、病院や保険者からセンターの活動を客観的に評価してもらおうとスタッフには話しています」と話す。

 田口氏は病院経営改善担当の院長補佐も務めていて、以前の倍の頻度で「DPC保険委員会」を開催している。その会議での発言に説得力を持たせるためにも、高度救命救急センターの収益は高いレベルで維持しなければならない。全国組織の日本赤十字社からは各地の赤十字病院の経営データが示されるので、それと比較しながらさいたま赤十字病院の目標値を示して達成への協力を呼びかけている。「より良い医療を提供するための投資を可能にするためにも、各科の先生方には効率化や適正化の推進をお願いしています」と田口氏は語る。

 2024年1月の能登半島地震の際は、田口氏が現地支援に参加し病院を不在にしたため、前年12月分のカルテチェックが滞った。しかし、高度救命救急センターに残ったスタッフたちの協力で事なきを得た。このことで田口氏は、タスクシェアリングの重要性を再認識したという。今後はより一層、医師をはじめとするスタッフに、経営的な要素を意識しながら最適な診療を行うマインドを身に付けてもらいたい考えだ。

高度救命救急センターのスタッフたち。(田口氏提供)

「10年後を想定して今行動する」 

 田口氏のモットーは「10年後を想定して今行動する」。救命救急センターのER-ICU型への移行も、肺炎などが重症化しやすい高齢者が地域に増えていくであろうことを見越して提案したものだ。現在の最重点課題は、10年をかけずに達成しなければならない救急医の時間外労働の削減である。医師の働き方改革の動きを受けて、救急医も時間外労働をA水準(年間960時間まで)に抑えることが求められている。 

 そのためには医師の増員や業務の効率化に加え、職種の壁を越えたタスクシェアリングを強力に進めていく必要がある。また、田口氏は日本集中治療医学会のダイバーシティ委員会の委員を務めていることから、働き方の多様性を認め、それを推進することを時間外労働の削減につなげていきたい考えだ。高度救命救急センターのスタッフには、ある分野を深めるだけでなく、救急領域全体を広くカバーできる能力を身に付けてもらい、スタッフ同士が互いにカバーし合える体制を実現することも視野に入れている。

 その田口氏が率いる、さいたま赤十字病院の高度救命救急センターでは、若手医師を絶賛募集中だ。「当センターにはドクターヘリ以外、救急医療に必要なリソースは何でもあります。だから三次救急をやりたい人、集中治療をやりたい人、病院前救急をやりたい人、プライマリ・ケアをやりたい人など、どんな人にも対応可能なので、ぜひ専門研修などの研修先として検討してほしいと思います。そして所属するからには、何でも学べる環境であることを生かして、自分が興味を持っている領域以外の救急のさまざまな救急領域も修得してほしいですね。実際、ここには厚生労働省の医系技官や法医学分野の志望者もいます。各人が救急医療の現実を身をもって経験し、それぞれの分野で生かしていってくれることを望んでいます」(田口氏)。
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田口 茂正(たぐち・しげまさ)氏

 田口 茂正(たぐち・しげまさ)氏
2003年東京大学医学部卒業。東京大学医学部附属病院、日本赤十字社さいたま赤十字病院救命救急センターを経て、2022年より現職。

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