岐阜県全体をカバーし全方位の血液内科診療を提供

岐阜市民病院血液内科は、岐阜大学医学部附属病院などと並ぶ、岐阜県の血液内科診療の拠点だ。造血幹細胞移植の実施件数は岐阜県で最多。その基礎を築き上げたのは前・診療科長で現・副院長の笠原千嗣氏だ。一方、2025年に新たに診療科長に就任した北川順一氏は、集中治療専門医の資格も持つ異色の血液内科医である。移植がうまくいかなかった場合や重篤な合併症が出た場合にも「あと一歩頑張る」医療を、診療科の特徴として付け加えたいと意気込む。

岐阜市民病院 血液内科(岐阜県岐阜市)

1941年に岐阜市診療所を拡張して岐阜市民病院に改称し、現在地に新築移転した。現在の病床数は565床、血液内科の専用病床は46床で、そのうち無菌室が16床。

 岐阜市民病院(以下、市民病院)はJR岐阜駅から北西に2km弱、北の長良川と南の東海道本線に挟まれた地区にある565床の公立病院だ。岐阜市を中心とする「岐阜医療圏」の中核を担う医療施設の1つであり、岐阜県総合医療センター(岐阜市)、岐阜大学医学部附属病院(岐阜市)などと並んで急性期医療、がん診療、地域医療支援、災害医療など様々な面において重要な役割を担っている。

 岐阜県で医学部を持つ大学は岐阜大学のみで、県内の多くの医療施設は岐阜大学医学部医局の関連施設だ。市民病院血液内科も岐阜大学医学部第一内科学教室(消化器内科、血液・感染症内科)の主要な関連施設の1つであり、血液内科の診療科長を務める北川順一氏や、前・診療科長で現・病院副院長の笠原千嗣氏も同医局出身だ。市民病院血液内科は、臨床と若手医師の教育面で大学病院第一内科を補完する役割を担う。専用病床は46床でそのうち無菌室が16床。造血幹細胞移植の実施件数は年間44件(2024年実績)、所属医師は現在9人と充実している。

 診療科長の北川氏は「当院は『岐阜市民病院』ではありますが、血液内科診療については、大学病院とともに岐阜県全体をカバーしています。岐阜県民が必要とする血液内科診療を全て提供するのが目標で、全方位的な対応が当院血液内科のコンセプトです。造血幹細胞移植については臍帯血移植の件数が多く、ハプロ移植(HLA半合致移植)や合併症への対応にも力を入れています。2024年からはCAR-T細胞(キメラ抗原受容体T細胞)療法も開始しました。コメディカルとの協働がとてもうまくいっているのも当診療科の特徴です」と話す。

岐阜市民病院血液内科のメンバー。
岐阜市民病院血液内科のメンバー。

市民病院を岐阜大病院と並ぶ血液内科診療の拠点に

 日本で造血幹細胞移植が広く行われるようになったのは1980年代から1990年代にかけてのことだ。岐阜県では取り組みがやや遅れていたことから、岐阜大学第一内科の血液内科医複数人が県外の他施設に「修行」に出て、移植の技術とノウハウを学び岐阜大学に持ち帰ったという。

 現・病院副院長の笠原氏も、大学医局から修行に出た一人だ。成人への臍帯血移植において世界でも有数の優れた治療実績のある東京大学医科学研究所附属病院の血液腫瘍内科に、2007年から約1年間、国内留学して移植医療を学んだ。翌年、岐阜大病院第一内科に戻ってからは、学んできたものを根付かせようと、実施体制の構築に尽力していた。そんな折の2011年、市民病院に赴任するようにと医局からの辞令が下ったという。

 大学病院第一内科は、同居する消化器内科との関係で、血液内科専用の病床を増やすことがままならず、受け入れ可能な患者の数に制限があった。対して市民病院は新病棟が完成して最新の医療設備が備わり、血液腫瘍センターが新設され、病床にも余裕があった。そういった背景から、市民病院を大学病院と並ぶもう1つの血液内科診療の拠点にしようとの構想が持ち上がり、そのための整備を進める役目が笠原氏に託されたようだ。「市民病院で自分が理想とする医療を思う存分実現したいと、やる気満々で赴任してきました」と笠原氏は当時を振り返る。

前・岐阜市民病院血液内科長で現・病院副院長の笠原千嗣氏。
前・岐阜市民病院血液内科長で現・病院副院長の笠原千嗣氏。

血液腫瘍センターを土台にスタンダードな移植が実施できる体制をまず構築

 笠原氏の尽力により市民病院血液内科で実現したものの代表例は、骨髄移植、末梢血幹細胞移植、さらに臍帯血移植の実施体制の確立とその質を担保するための多職種協働だ。

 笠原氏が赴任してきた当時から、市民病院でも骨髄移植や臍帯血移植は実施されていた。しかし血液内科医一人ひとりが、他の医師とも他の職種とも積極的に連携することなく、担当する患者の移植を黙々と手掛けているような状況で、移植前カンファレンスも開催されていなかったという。笠原氏は設立されたばかりの血液腫瘍センターを土台として、スタンダードな移植が実施できる体制をまず構築。さらに、移植に関わる様々な職種を1部門ずつ巻き込んでいったという。

 「東京大学医科学研究所附属病院や、岐阜大病院での経験から、小さなことの積み重ねで初期合併症が少なくなったり、中後期の成績が良くなって、少しずつ移植の成績が上がっていくことを学びました。成功確率を0.1%でも上げるために、どんな小さなことでもやりたかったのですが、特に臍帯血移植に関しては、多職種を巻き込まないと絶対にうまくいかないと分かっていました」と笠原氏は話す。

前処置の放射線の当て方を学ぶため放射線技師と一緒に他施設を見学

 笠原氏は看護師、薬剤師、医療事務スタッフ、移植コーディネーター、歯科・口腔外科医、診療放射線技師、管理栄養士、臨床工学技士(CE)、理学療法士などに順次声を掛け、移植医療における協働の重要性を説明し、治療成績向上に向けて協力を求めたという。

 具体的な取り組みとしては、たとえば栄養士との協働では、移植を受ける患者の体力を維持するためにどんな無菌食が可能か、必要かを一緒に検討し、最も適したメニューの開発につなげた。医療事務のスタッフとは、患者の経済的な負担軽減のため、補助制度の活用などの説明内容の確認とリスト化を進めた。

 診療放射線技師とは移植前の前処置での放射線の当て方について、一緒に改善に取り組んだ。「肺の合併症をもう少し減らせる余地があるのではないかと感じたのです。それで造血幹細胞移植の草分け的な施設である名古屋第一赤十字病院(現・日本赤十字社愛知医療センター名古屋第一病院)に、診療放射線技師と一緒に見学にいって当院との違いを学び、良いものを取り入れるといったことをやりました」(笠原氏)。

 リハビリについては理学療法士と相談し、開始時期を早めた。患者は移植を受けた後に体力が落ち、感染症にかかりやすくなりがちだ。当初は、無菌室に入ってからリハビリをスタートしていたが、移植後に体力が下がることを見越して、入院時より体力が上がった状態で移植に臨めるよう、入院直後からリハビリをスタートすることにしたという。

 歯科・口腔外科医とは、放射線による前処置や抗がん剤の服用で患者の口の中にできやすい「ただれ」への対策を話し合い、ケアの最適化を進めた。移植中、移植後に口の中を清潔に保つことができれば、感染症のリスク低減につながるからだ。

 その口腔ケアで必要となる「ポラプレジンク含嗽薬」は、適当なものが市販されていなかったため、薬剤部の協力を得て胃粘膜保護薬を基に院内調剤してもらえるようにした。同様に、消化管の移植片対宿主病(GVHD)向けの薬剤も、笠原氏からの依頼で院内調剤が実現したという。

笠原氏が市民病院に赴任した当時、末梢血幹細胞の採取は主に血液内科医と薬剤師が担当していたとのことだ。その役割をCEが引き受け、ドナーやドナーの家族への説明も担当してくれるようになった。「骨髄あるいは末梢血幹細胞移植を実施する際、CEの寄与はとても大きいです。業務の効率が劇的に改善しました」(笠原氏)。その流れで、昨年から開始したCAR-T細胞療法におけるリンパ球採取などもCEが担っている。

「移植前カンファレンスには、これら関連する多職種が原則全員参加してくれます。各職種からの意見を1つのレポートにまとめるなど効率化も進めながら、多職種がシステマティックに1人の患者さんの移植に関わる体制ができたことで、質の高い移植医療が提供できるようになりました」と笠原氏は言う。

 2024年に副院長に就任した後、笠原氏は、血液内科で達成してきた多職種協働を病院全体に広げようと新たな取り組みに乗り出している。「市民病院は『心にひびく医療の実践』を理念として掲げていますが、多職種の職員の協力体制なしでは、何もなし得ません。血液内科で培ってきたチーム医療を病院運営に生かしていくとともに、病院全体、さらに院外の世界を見て新たに発見したことを、血液内科の発展のために、北川先生を通じて診療科に伝えていくことも私の役割だと思っています」と笠原氏は話す。

岐阜市民病院血液内科の臨床カンファレンスの様子。
岐阜市民病院血液内科の臨床カンファレンスの様子。

臍帯血移植が不首尾でも「もう一歩頑張る」ハプロ移植に取り組む

 臍帯血移植と多職種協働を診療科の強みとして受け継ぎつつ、「もう一歩頑張る医療」に取り組んでいるのが2020年に市民病院に赴任し、2025年に診療科長に就任した北川氏だ。「臍帯血移植を実施しても、治らない患者さんは必ず出てきます。私はもうひと頑張りして、その患者さんたちに治療選択肢を提供したいと考えてやってきました」と話す。

 北川氏は元々、岐阜大医学部第一内科の消化器内科グループに所属していたほか、高度救命救急センターでの勤務経験もある異色の血液内科医だ。「大学病院第一内科には消化器内科と血液内科が同居していたので、血液関連の研究などで連携する機会はあったのです。直接的には、高度救命救急センターで重症の血液疾患の患者さんを診たことをきっかけに、血液内科診療の重要性に気づき、10年ほど前から血液内科医の道を歩み始めました」と話す。

 臍帯血移植の「次の一手」として、北川氏が取り組んだのがハプロ移植だった。「臍帯血移植をやって生着しなかった、再発したといった場合に、特に若い患者さんに対しては、何とか次の治療選択肢を提供してあげたいとの思いがありました。当院では以前から、患者さんの希望があれば、県外のハプロ移植を得意とする他施設に紹介していました。しかし岐阜県の患者さんがもっとこの医療を受けやすくなるようにとの思いから、当院でもハプロ移植が実施できる体制を整えたのです」と北川氏は言う。

 臍帯血移植とハプロ移植の使い分けについては、基本的には、1回目の移植では臍帯血移植を選択している。ハプロ移植は、合併症が起きたときに重篤になりやすい傾向があり、免疫抑制剤を移植成功後も長期に渡って服用しつづけなければいけないといった課題があるためだ。「他院では『もう治療法はありません』と言われてしまうような患者さんでも、当院では諦めず、あとひと頑張りするための治療手段としてハプロ移植を位置付けています」と北川氏は言う。

岐阜市民病院血液内科長を務める北川順一氏。
岐阜市民病院血液内科長を務める北川順一氏。

集中治療専門医の資格も取得、重篤な合併症が起きても最後まで諦めない

 もう1つ、北川氏が力を入れているのは移植後の合併症への対応だ。実は北川氏は、2024年に、集中治療専門医の資格を取得している。「移植を受けた患者さんに重篤な合併症が起きたときにも、もうひと頑張りできるように、集中治療のレベルアップに目を向けました」(北川氏)。

 市民病院はオープンICU方式を取っており、集中管理を一括して担当する集中治療専門医はいない。血液内科の患者が合併症で重篤な状態になった場合には、患者とともに血液内科医がICUに入る。例えば患者が移植の合併症で腎不全を起こした場合なども、腎臓内科医に一声かけて意見を求めはするものの、基本的には血液内科の主治医が引き続き患者の治療を担当している。

 集中治療専門医の資格を取る以前も、難しい合併症が予想される移植患者については、あらかじめ北川氏が主治医を担当するようにしていた。また、経験が浅い、若い医師が担当した患者に重篤な合併症が起こり、集中管理が必要になった場合には、北川氏がサポートに付いたり、助言をしたりしていたとのことだ。

 「集中治療専門医の資格を取ったからといって何かが大きく変わったわけではありません。ただ、『重篤な合併症が起きても最後まで諦めない』という姿勢が、若い医師にも関連のコメディカルにも分かってもらいやすくなったかなと思っています。私自身、専門医資格を取って間がないので、これから研鑽を積んでいかなければいけません。移植後にどんな臓器にどんな合併症が起きても、精度よく適切に対応できるよう取り組んでいきます。高いレベルで移植後合併症の集中管理が学べることも、当診療科の教育面の特徴にしていきたいと思います」と北川氏は話す。

オピニオンリーダーになる血液内科医を育てたい

 これからの課題について、北川氏は、地域の診療所や病院との連携の強化を挙げる。「全方位の血液内科診療を目標に掲げているのですから、患者さんを紹介しやすい施設になることが大切です。『紹介状をとりあえず送ってもらって、受けるか受けないかはこちらで判断する』ではなく、紹介元施設が困っているときは当院で必ず受けるというのが基本方針です。一方で、急性期を脱した患者さんの日常診療を引き継いでもらうといった連携を、紹介元にお願いすることもあります。小児の血液内科疾患の患者さんへの対応や、最近開始したCAR-T細胞療法でも、こういった地域連携が大事になってきます」と北川氏は話す。連携を深めるため、北川氏は地域の勉強会などに積極的に参加してフェース・トゥー・フェースの関係を築くことに努めているほか、地域連携の担当者に同行して、紹介元施設に挨拶に出向くこともあるという。

 診療科のトップとして、職場環境の改善にも力を入れる。「現代の事情に応じた、働きやすく、やりがいのある職場づくりも追及していきます。医師が定時に仕事を終えたりしっかり休みを取ったりすれば、医師の指示で働くコメディカルの勤務環境も連動して改善するはずです。ただし、『休みを取る』と『仕事を投げ出す』は違います。しっかり休むためにどう働くか、より効率的な働き方も模索していかないといけません」と北川氏は言う。

 若い医師の教育に関しては、どの分野を究めたいか、自分がどんな血液内科医になりたいかといった目的意識を持って業務に取り組むよう促したいとのこと。将来的には、一人ひとりが「オピニオンリーダー」になることを目指してほしいと言う。

 「臍帯血移植、CAR-T細胞療法、合併症の集中管理、支持療法など分野は何でもいいのですが、様々な分野のオピニオンリーダーが当診療科内にたくさんいる、といった3~5年後の将来像を思い描いています。いずれ市民病院を巣立っても、オピニオンリーダーとして活躍し続けられる血液内科医の育成を目指します。血液内科は勤務が楽な診療科ではありませんが、みな医師になりたくてこの道を選び、自分の意思で血液内科医になったはずです。気持ちから入って、技術的な裏付けもしっかり身に着けてもらえるように、当診療科がしっかり成長を支えていきます」と北川氏は話す。
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笠原 千嗣(かさはら・せんじ)氏

笠原 千嗣(かさはら・せんじ)氏
1996年岐阜大学医学部を卒業後、岐阜大学第一内科へ入局。2002年岐阜大学大学院内科学第一専攻修了。岐阜大学医学部附属病院第一内科医員を経て、2007年東京大学医科学研究所附属病院に勤務。2008年帰局後第一内科助教(臨床講師)を経て、2011年より岐阜市民病院血液内科部長に就任。2016年同院研修センター長、2020年同院診療局長、血液腫瘍センター長などを併任、2022年同院副院長、岐阜薬科大学健康医療薬学研究室特任教授に就任し現在に至る。

北川 順一(きたがわ・じゅんいち)氏

北川 順一(きたがわ・じゅんいち)氏
2002年岐阜大学医学部医学科卒。2002年岐阜大学医学部附属病院第一内科。2002年JR東海総合病院消化器科。2003年市立長浜病院消化器科。2005年一宮市立木曽川市民病院内科、2007年岐阜大学医学部附属病院第一内科。2008年高度救命救急センター医員。2009年岐阜大学医学部大学院修了。2009年岐阜赤十字病院血液内科副部長。2011年岐阜大学医学部附属病院第一内科医員。2013年岐阜大学医学部附属病院輸血部臨床講師。2015年岐阜大学医学部附属病院輸血部副部長。2020年岐阜市民病院血液内科副部長、輸血部長(兼任)。2023年岐阜市民病院血液腫瘍センター長(兼任)。2024年岐阜市民病院 血液内科部長、自己血細胞センター長(兼任)。2025年岐阜市民病院血液内科長。

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