広島赤十字・原爆病院血液内科の、血液疾患症例登録数は日本でも有数である。患者が同病院に集まる背景には、広島市に原子爆弾が投下された際、助けを求めてやって来た人々を受け入れ治療対応した歴史がある。「患者を断らない」病院として、広島市民の支持を集めているという。豊富な症例から得たデータに基づき、一部でガイドラインと異なる独自の治療法を実施しているのも、同病院の特徴だ。近年は、将来の患者を救う新薬や新しい治療法の開発に貢献したいと、治験にも積極的に協力する方針を採っている。
日本赤十字社 広島赤十字・原爆病院 血液内科(広島県広島市)
広島赤十字・原爆病院は1939年、日本赤十字社広島支部病院として開院。原子爆弾により多大な被害を受けたが終戦後に再建された。1988年に広島赤十字病院と日本赤十字社広島原爆病院が統合して広島赤十字・原爆病院として新発足した。現在の一般病床数は565床、35診療科。(同病院提供)
広島赤十字・原爆病院の血液内科は広島県の血液内科診療の中核を担っており、全国からも多数の患者が訪れる。日本血液学会統計調査委員会「2022年血液疾患症例登録集計解析結果」によると、同病院の血液疾患の症例登録数は777例で、全国1位だった。ここ数年は毎年700例を超えており、内訳は、白血病が年間70~80例、悪性リンパ腫が同約120例、多発性骨髄腫が同70~80例だ。近年は血小板疾患の患者も増えてきている。
同病院に血液疾患の患者が集まる背景には、医療の効率化を図るため、広島県が政策的に患者を同病院に集中させてきた経緯がある。しかしそれとは別に、同病院が市民の支持を集め、患者が進んで来院するようになった理由があると、血液内科のトップを務める部長の片山雄太氏は説明する。
「1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下された際、爆心地から1.5キロメートルほどの距離にある当院(当時は広島赤十字病院)のコンクリート造りの病棟は大破しました。職員や入院患者さんにも多数の死傷者が出ましたが、助けを求めてやって来た人たちを受け入れ、医師、看護師らはでき得る限りの診療対応をしたといいます。その逸話が今も語り継がれ、市民に支持されているのです」(片山氏)。
当時の同病院の姿勢は後の世代の医師にも受け継がれ、血液内科でも代々の部長が、原則的に「患者を断らない」方針を掲げて診療科を運営してきた。「『当診療科が引き受けなかったら患者さんには行く場所がないんだ』というくらいの意気込みでした。それが結果的に、日本で一番症例数が多い血液内科という特徴につながったのだと思います」と片山氏は話す。
血液内科の専用病床は77床、そのうちの40床が無菌室となっている。所属する医師は現在11人で、専門医が9人、専攻医が2人。年間の自家末梢血幹細胞移植の実施件数は30~40件、同種造血幹細胞移植は30~60件、CAR-T細胞療法は40件程度だ。医学部生、研修医の実習・教育も一部引き受けているが、基本的にはマンパワーの大半を臨床に振り向けている。

広島赤十字・原爆病院血液内科部長の片山雄太氏。
豊富な症例数を背景に独自の治療方針をとることも
豊富な症例数に裏付けられた根拠に基づき、広島赤十字・原爆病院では、必ずしもガイドライン通りではない診療方針をとる場合がある。例えば急性骨髄性白血病(AML)の寛解導入療法については、先々代の部長であった許泰一氏(現・社会医療法人清風会五日市記念病院副院長)が確立した治療法を標準としている。
AMLの寛解導入療法は、ダウノルビシン/イダルビシンを3日間、シタラビンを7日間持続投与する「3+7療法」が世界的な標準とされている。しかし同病院では、3+7療法をアレンジした強力な寛解導入療法を採用しているという。その理由について片山氏は次のように説明する。「3+7療法で寛解に入らなかった場合は同じ治療を繰り返すことになりますが、初回で寛解に入った方が長期予後が良いことを示唆する試験結果が得られているのです。ですから初回治療でより強力に腫瘍細胞を叩くことで、寛解導入の確率を高めています」。
3+7療法が世界的なスタンダードとなった理由には、医療施設間の差異によらず実施できるからという側面があるとのことだ。より強い寛解導入療法は、効果が高い一方で、3+7療法に比べて白血球の減少期間が長くなったり、粘膜障害が強く出たりするリスクが高い。そのため全ての医療機関で実施できるわけではないのだという。「当院では、合併症に対応するノウハウを蓄積するとともに、感染症対策として無菌室などの施設を充実させ、強い寛解導入療法が実施できるバックグラウンドをしっかり整えています」と片山氏は話す。
ただし今後、現行の寛解導入療法を見直す可能性もあるという。「最近、従来とは別の薬剤を使う、新しい寛解導入療法が登場しました。ですから、どういった条件の患者さんにどの治療法が一番合うのかを、改めて模索しているところです。抗体医薬との組み合わせや、遺伝子レベルで白血病を分類してそれに応じてレジメンを選択することなども考えています。新しい寛解導入療法と、当院で従来やってきた方法とをどのように使い分けていくのか、しっかり検討していきます」と片山氏は話す。
患者が何を重視しているかを聞き取って治療方針を決定
片山氏の専門(サブスペシャルティ)は造血幹細胞移植だ。患者に一番適した医療を探り、提案することを心掛けているという。「実は最近、当院で造血幹細胞移植をしてほしいと来院された患者さんがいたのですが、別の選択肢を提案しました」と片山氏は話す。
患者は白血病で、他県在住の70代男性。自宅近くの病院で診断がつき、治療を始めていたが、「症例数日本一」「患者を断らない」などの評判を聞いて、少しでも良い治療を受けたいと広島赤十字・原爆病院に来院した。片山氏は日中の業務が一息ついた後、比較的、時間に余裕が持てる夕方から、この患者とその家族と面談した。
片山氏は患者との最初の面談で、病気のことだけでなく、今気がかりなこと、これからの人生で何を望むかなどをできるだけ詳しく聞くようにしている。患者は会社を経営していて、後継者がまだ決まっておらず、会社の行く末が心配なのだと話した。これに対し片山氏は、移植治療で完治する割合は3割程度であること、移植が成功しても慢性の拒絶反応が続くことがあり、今までと同じように仕事が続けられるとは限らないことなどを話した。
その上で「絶対にここで治療してほしいと言われるなら、お引き受けします。でも、後継者を決めたり経営の引継ぎをしたりといったことを治療と両立させたいのなら、近くに家族も住んでいる自宅近くで治療をした方がいいのではないですか」と伝えたという。自宅近辺の病院には、移植もできるしっかりとした血液内科があった。その患者は片山氏の話に納得して、地元に戻って治療することを決めたそうだ。
全ての患者が100%治るのならそれに越したことはないが、血液内科の疾患では、なかなかそうはいかない。治療をした結果、自分では動けなくなったり、身体的なつらさが続いたりすることも少なくない。そうなると患者は、その後の人生でできることが大きく制限されてしまう。
「医師は病気を治すことだけに一生懸命になりがちですが、患者さんにとっては治療後に自分の人生をどのように生きていくかが大事です。ですから患者さんの現在の生活の様子や希望、家族の様子をしっかり把握した上で、治療方針を決めるようにしています。これは先々代の部長で、私がレジデントだったときの指導医でもあった許泰一先生の姿を見て学んだことです。苦しむのも、治るのも患者さんであり、医師は治療をサポートするだけなのです。医療を受けた患者さんと家族が満足してくれるか、たとえ治療の結果が良くなかった場合でも納得してもらえるかを重視しています」(片山氏)。
血液内科のスタッフたち。(片山氏提供)
将来の患者を救うため新しい薬や治療法の治験にも取り組む
広島赤十字・原爆病院血液内科の、最近の新しい特徴としては新薬の臨床試験(治験)の実施件数が多いことが挙げられる。歴代の部長は、事務作業などに時間を取られがちな治験の引き受けにあまり積極的ではなかったが、片山氏が力を入れ始めたのだという。その理由について片山氏は、「いろいろあるのですが、私が医師になった頃、新薬開発の動向に希望を与えてもらっていたことが大きな理由です」と話す。
片山氏は大学医学部時代(1991~1997年)、分子生物学が急速に進展し、医学に応用されつつあることを講義で知った。中でも、血液中にがん細胞が流れる白血病などでは、治療薬がいち早く開発され診療が劇的に変わっていくのではないかと予想した。「当時、血液内科分野では、今よりも治らない病気がずっと多かったのですが、分子生物学の進展とともに治るようになるのではないか、そこに立ち会いたい、と考えて血液内科医を志しました」(片山氏)。
片山氏の予想通り、2000年代前半から血液内科の診療は大きく変わっていった。しかし血液内科医になってからもしばらくは、まだ助からない患者が多く、少ない医師数で多くの患者を診なければならなかったこともあって、精神的にきつい時期があったという。それでもモチベーションを保ち続けられたのは、新薬や新しい治療法がどんどん出てくる中で、これまで救えなかった患者も近い将来、きっと救えるようになるだろうと希望が持てたからだという。
「治験を引き受けるのは確かに面倒です。しかし誰かがやらなければいけない面倒な作業を通じて、新薬が使えるようになります。ですから私たちも治験に積極的に関わって、将来の患者さんを救う新薬や新しい治療法を世に出すことに貢献したいのです。そういった姿勢を、若い医師に伝えていきたいとの思いもあります」と片山氏は話す。
「5年後、10年後の診療科の姿は若い医師に託したい」
5年後、10年後の診療科の姿、今後の抱負について片山氏は、「実はあまり考えていません」と言う。遠い将来のことを考えるよりは、目の前の課題に一生懸命取り組んできたとのことだ。例えば、先輩医師が退職していなくなっても困らないように自身の技量を磨くこと、患者を断らない方針を堅持すること、患者の満足度を向上させること、治験を積極的に手掛けること、それを実現するための組織づくり──などだ。
「それらの目標はある程度、実現できました。ですから私は案外、現状に満足しているのです(笑)。これから先の当院の血液内科の姿は、今の若い医師たちが考えて、作っていってくれればいいと考えています。血液内科の分野では新薬がどんどん出てきて、ドラスティックに治療方針が変わっていきます。新しい知識を吸収して臨床に生かしていけるのは、勉強する時間がたっぷりある若い医師たちです。私の役割は、若い医師たちがたくさん経験を積めるようサポートすることだと考えています」。片山氏はそう話を締めくくった。
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片山 雄太(かたやま・ゆうた)氏
1997年北海道大学医学部卒業、広島大学医学部附属病院内科ローテ研修医。1999年広島大学原爆放射線医科学研究所血液内科分野医員、広島赤十字・原爆病院第4 内科レジデント医師。2000年広島大学原爆放射線医科学研究所血液内科分野医員。2003年広島大学医学部大学院内科専攻卒業、国立がんセンター造血幹細胞移植科研究生。2004年広島大学病院輸血部医員。2005年広島赤十字・原爆病院血液内科部医師。2006年広島赤十字・原爆病院血液内科部副部長。2009年広島赤十字・原爆病院血液内科部副部長兼無菌治療室室長。2021年広島赤十字・原爆病院検査部部長。2022年広島赤十字・原爆病院血液内科部部長。




























