八戸市立市民病院の一部門でありながら、同病院の救命救急センターは青森県の東半分(三八上北・下北地方)から岩手県北部までをカバーする。“救急のブランド化”により意欲的な若手医師を多く集め、ドクターヘリやドクターカーを駆使しながら質の高い救急医療に邁進しているのが特徴だ。心肺停止や重症外傷の患者の集約先として、長距離搬送でも救命率を下げないよう最先端の病院前治療も導入している。臨床の充実に加え、スタッフの研究活動支援にも力を入れる八戸市立市民病院・救命救急センターの取り組みを紹介する。
施設情報
八戸市立市民病院 救命救急センター(青森県八戸市)
八戸市立市民病院 救命救急センター(青森県八戸市)
年間約7500件の救急車を受け入れている八戸市立市民病院。
青森県の太平洋側、三八上北(さんぱちかみきた)地方の中心都市八戸市の公立病院である八戸市立市民病院は、市域を越えた救急対応で同地方の住民から厚い信頼を得ている。1997年、八戸市の中心部から郊外への移転を機に救命救急センターが開設され、麻酔科部長の前田朝平氏が初代所長に就任。当初は麻酔科のスタッフが3次救急患者の処置や集中治療も担当する一方で、2次救急は各診療科の医師が手分けして対応していた。
7年後の2004年、青森市出身の今明秀氏が救命救急センター所長に就任した。自治医科大学を卒業した今氏は、青森県内の医療機関で15年間地域医療に取り組んだ後、日本医科大学救急医学教室に入局。川口市立医療センター救命救急センターを経た後、青森県に救急医として戻ってきた。以後、スタッフの増員に努め、2008年にはセンターの陣容を十数人規模に拡張して現在の体制を整えた。
救急医が24時間常駐し1〜3次救急の全てに対応
その体制の最大の特徴は、救急医が24時間365日、救急外来に常駐して、1次から3次救急の患者全てを診るというもの。今氏の専門が外傷外科だったこともあり、重症の外傷患者の手術は救命救急センターの救急医が行い、術後管理もセンターで担当する。また、どの診療科が担当すべきかすぐに判断できない重症の内科疾患の患者も、同様にセンターで集中治療を行う。
さらに、集中治療が終了した患者がICUから一般病棟に移った後も、リハビリテーションを含め退院までの診療を救命救急センターが担当する。その他、軽症・中等症の救急患者も、救急総合診療の一環としてセンターで治療に当たる。
八戸市立市民病院の救命救急センターは、今氏のリーダーシップの下、スタッフの拡充と併行して2009年にドクターヘリ、2010年にドクターカーの運用を開始して機動力を増強。2012年には20人を超える救急医を擁するまでになり、広域をカバーできる陣容を完成させた。
救命救急センター現所長の吉村有矢氏が八戸市立市民病院に入職したのは、その体制が整いつつあった2008年のことだ。広島大学の医学生だった頃から救急医を目指していた吉村氏は、今氏が築きつつあった救急体制に魅力を感じ、「ここで研修医からスタートしよう」と考え卒業と同時に八戸にやって来た。
そして8年にわたり救急の経験を積んだ吉村氏は、都市部や大学病院での救急医療や研究を学ぶため、2016年に防衛医科大学校病院の救急部に国内留学を決めた。その後、埼玉医科大学大学院で学位を取得し、そのまま埼玉で過ごすことを考えていた矢先にコロナ禍が襲来した。疲弊した八戸市立市民病院救命救急センターを立て直そうと奮闘する今氏の呼びかけに応じる形で、吉村氏は2021年にセンター医長として復職。「今先生は、巣立っていった救急医に『戻ってこい』とはおっしゃらない方でした。にもかかわらずお声がかかったので、それだけ困っていらっしゃるのだと思い、二つ返事で戻ることに決めました」と言う。
救命救急センタースタッフの面々。ドクターカー、ドクターヘリとともに。
センター所長が救急搬送に関して院内外で調整
吉村氏が復職した当時、今氏は院長になっており、救命救急センター所長には野田頭達也氏が就いていた。その体制下で2022年に同センター副所長となった吉村氏は、2024年に所長に就任した。以来、吉村氏はマネージャーの役割に徹し、院内では「現場の医師が臨床に集中できるようにすること」を自らに課してきた。
その臨床面で目を引くのが、救命救急センターが総合診療科の機能を果たしていることだ。実際、八戸市立市民病院のホームページの診療科紹介コーナーには、「総合診療科(救命救急センター)」との記載がある。同病院は、がん診療や周産期医療、高度医療などを幅広く手掛ける地域の中核病院だが、各臓器別診療科の医師がより専門性を発揮できるようにとの考えから、急性期の患者は原則として救命救急センターが受け入れる体制を取っているのだ。
こうした体制が取れる背景には、救命救急センターの所属医師数が多いという八戸市立市民病院ならではの事情がある。同病院では院長の今氏が救命救急センターの所長だった時代から、「劇的救命」を旗印に“救急のブランド化”を進め、意欲的な若手医師を多く集めてきた。現在、救命救急センターには集中治療の専門医が5人、救急科の専門医が12人、救急の指導医が3人、外科専門医が3人、脳外科専門医が1人いる。
この充実したマンパワーが、救急医が急性期の患者をまず受け入れて、必要に応じて各科の専門医の力を借りるという役割分担を可能にしている。「高齢の患者さんで多くの併存症や合併症を抱えている場合、臓器別診療科の先生は判断に悩まれることも多いのではないでしょうか。複雑な患者さんに上手に対応できることも、救急医の専門性の1つではないかと考えています」と吉村氏。この仕組みは、臓器別診療科の個々の医師にかかる負担軽減にもつながるため、昨今話題の医師の働き方改革にも寄与しているという。
病院前ECMOで心肺停止患者の救命率向上を目指す
もちろん“本業”の救急でも、ドクターヘリやドクターカーを駆使して質の高い医療を提供している。中でも注目されるのは、県東部の重症患者を同病院に集約する試みの一環として、心肺停止患者の搬送時の適切な介入のあり方を探っていることだ。消防署の救急隊員への教育を進める一方、病院前ECMO(体外式膜型人工肺)を導入することで、救命率の向上に取り組んでいる。
この取り組みについて、吉村氏はこう語る。「最近、欧州ではよく行われるようになっていますが、日本ではまだ我々しか実施していません。正確に言えば、ここで学んだ医師が済生会宇都宮病院でも行っていますが、我々のグループでしか行っていない試みです。今まで14回出動して、4件で救命に成功しています。医療資源が少ない郡部の患者さんでも諦めることなく、しっかりと命を助けるために、必要な取り組みだと考え注力しています」。
同様に重度の外傷患者も、八戸市立市民病院の救命救急センターへの集約を進めている。単純な骨折などは事故現場近くの病院へ搬送されることもあるが、一定の基準以上の重症患者は同病院で受け入れる。また、重症外傷に対応可能な病院が少ない岩手県北部の患者も、多くが同病院に搬送されてくるという。
八戸市立市民病院は600床を擁するが、取材時点での救命救急センターの入院患者が135人と20%を占めており、救急のウエートが高い。現在の同病院の事業管理者は今氏だが、前任の事業管理者も「救急は医療の原点」が口癖だったという。同病院のDNAには救急への注力が刻み込まれているようだ。

ドクターヘリとドクターカー。
手前のドクターカーV3(3号車)には病院前治療に必要な医療機器を搭載している。
県をまたぐ広域の消防と強固な協力関係を築く
一方、院外では、消防との間に強固な関係を築いてきた。八戸市立市民病院が構成中核的医療機関となる「八戸・上十三地域メディカルコントロール協議会」には5つの消防本部が参加しているが、その全域がドクターヘリの出動範囲となっている。
「昨日もここから30kmほど離れた三沢空港のそばから、1時間かけて心肺停止の患者さんが搬送されてきました。都市部では1つのメディカルコントロール協議会に複数の救命救急センターが入っているため、搬送先を決めるのに時間がかかることもありますが、ここでは救命救急センターが1カ所だけなのでスムーズです」と吉村氏は言う。
さらに、岩手県内の久慈と二戸という2つの地区の消防本部と事例検討会を開くなどして関係を構築し、ドクターヘリの要請を受け入れる下地も作った。「岩手県内からも年間100件ほどのドクターヘリの出動要請を受けています。そうした経緯もあって、救命救急センターの所長になってすぐ岩手医科大学に挨拶に出向くなどして、良好な関係を築いています」(吉村氏)。
岩手医科大学附属病院がある盛岡市からドクターヘリを飛ばす場合、東の久慈市に行くにも北の二戸市に行くにも山を越えなければならないが、山越えは天候面でドクターヘリの障害になる。だが八戸市からなら、海上や平坦地の上空を通って行ける。八戸市立市民病院救命救急センターの対応が他県にまで広く及ぶ背景には、こうした事情もある。
「洋上救急」や原子力災害医療も手掛ける
ドクターヘリ以外の対応も広域に及ぶ。八戸市立市民病院の救命救急センターでは、ドクターヘリでは到達できない海上の船舶が対象の洋上救急も手掛けている。東北地方を所管する第二管区海上保安本部の要請を受け、巡視船などに医師や看護師を派遣し、太平洋側にいる漁船や作業船への救急出動に当たっている。同本部の連携病院は複数あるが、スタッフ不足などから医師を派遣できないことも少なくないため、八戸市立市民病院は積極的に協力しているという。
2025年12月に発生した青森県東方沖地震では、同病院はほぼ無傷だったが、下北半島のむつ総合病院ではスプリンクラーが故障し病棟が使えなくなった。この時は八戸市立市民病院からDMAT(災害派遣医療チーム)を派遣して近隣病院への患者転送を支援したほか、患者2人の転院を受け入れたという。
また、八戸市の北に位置する六ヶ所村には原子燃料サイクル施設、東通村には原子力発電所があり、大間町にも建設計画がある。そのため、八戸市立市民病院では原子力災害医療の訓練にも取り組んでいる。「県内の高度被ばく医療支援センターは弘前大学医学部附属病院ですが、六ヶ所村に最も近い原子力災害拠点病院は当院なので、六ヶ所村の再処理工場との合同訓練を行うなどして放射線被害への対応などを学んでいます」と吉村氏は話す。
若手医師が研究に取り組める環境づくりも
このように幅広い活動を展開する八戸市立市民病院の救命救急センターだが、吉村氏は今後の課題として研究への取り組みを挙げる。「私自身を振り返ってもそうだったのですが、医師10年目ぐらいになると研究に対する興味が湧いてきます。当センターでも若手が育ってきていますので、彼らをしっかり支援していける体制を整えたいと考えています」。
例えば、日々の臨床の中から、どのようにクリニカルクエスチョンを導き出して研究につなげていくか。そういった研究のコツを、先輩医師として示していきたいと吉村氏は考えている。大学病院との共同研究が行えるよう、調整役も引き受けていく方針だ。「研究のため大学病院に行っても、実際は臨床業務に追われたり収入が少なかったりと、つらい思いをしがちです。でも、当院の救命救急センターは今、臨床と共に研究ができる恵まれた環境にあるので、その点をアピールしていきます」と吉村氏。「ドクターカーが運用10年で更新期を迎えているので、ドクターカーをテーマにした研究で資金を得られれば一石二鳥ですね」と笑う。
「若手の医師が生き生きと働ける病院」──。吉村氏は、八戸市立市民病院をこう表現する。初期研修医が1学年19人と、大学病院に匹敵する人数を確保できていることは、その証左でもある。また、大学病院からの派遣を含め、専攻医も数多く所属している。
「ここでは広大な地域から私たちを頼って、たくさんの患者さんが当院に来てくれます。それに応えることは医師として非常にやりがいを感じられることであり、幸せなことでもあります。都会の病院では、全ての救急患者を受け入れているとパンクしかねないので受け入れを断らざるを得ないこともありますが、ここではそんな心配は無縁で、成長の機会に事欠きません。興味を持たれた方は、ぜひ連絡してきてください」と吉村氏は呼び掛けている。
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吉村 有矢(よしむら・ゆうや)氏
2008年広島大学卒。2010年八戸市立市民病院救命救急センター勤務、2014年同医長、2016年防衛医科大学校病院救急部助教、埼玉医科大学大学院、2021年八戸市立市民病院救命救急センター医長、2022年同副所長、 2024年より同所長。




























