都心の大学での経験と熊本大学の伝統を融合

2019年4月に熊本大学整形外科学講座教授に就いた宮本健史氏は、就任までの17年間、慶應義塾大学整形外科に籍を置き、就任前3年間は、東京大学整形外科も兼務した。両大学での経験を、90年以上の歴史を持つ熊本大学整形外科の伝統と融合させることにより、双方の長所を取り入れた新たなスタイルの医局作りを目指している。

熊本大学大学院 生命科学研究部 整形外科学講座

熊本大学大学院 生命科学研究部 整形外科学講座
医局データ
教授:宮本 健史 氏
医局員:40人
月間外来患者数:1万3207人(2020年実績)
年間手術件数:1084件(2020年実績)
関連病院数:18病院

 熊本大学整形外科学講座の教授を務める宮本健史氏の名刺には、二つの大学名が記載されている。一つはもちろん熊本大学だが、もう一つは慶應義塾大学だ。これは宮本氏が、教授就任までの17年間を慶應義塾大学で過ごし、現在も同大学の特任教授を兼務しているからだ。

 「たまたま」だった慶應義塾大への移籍

  医学分野における熊本大学と慶應義塾大学の関係は古く、大正時代にまで遡る。慶應義塾大学に医学科を創設した北里柴三郎氏は、現在の熊本大学医学部の前身である官立医学所兼病院の出身であることが知られている。また、熊本医科大学で、同時代に整形外科を担当した外科教授の前田和三郎氏が、慶應義塾大学整形外科第2代教授に就任したという縁もある。

 しかし、その後は両大学の間に、目立った交流はなく、熊本大学の出身である宮本氏が慶應義塾大学に籍を置くことになったのは、全くの偶然だったという。「大学院を出た後に日本学術振興会の特別研究員となって、熊本大学分化制御学教室に所属して骨代謝などの研究をしていました。その教室自体が、たまたま慶應義塾大学に移ることになり、それに伴い私も慶應義塾大学発生・分化生物学教室の一員となりました」と宮本氏は振り返る。

 日本学術振興会の特別研究員としての任期は3年。2年目から慶應義塾大学に移った宮本氏は任期終了を前に、慶應義塾大学に残るか、熊本大学に戻るかの選択を迫られた。だが、その時点で発生・分化生物学教室では、慶應義塾大学整形外科出身の大学院生3名が研究を行っており、宮本氏はその指導に当たっていた。「私がいなくなると、指導していた大学院生たちが困ってしまうということで、慶應の整形外科にポジションを作っていただき、結局そのまま17年を過ごすことになりました」。

 熊本大の教授選考委員から声がかかる

  その宮本氏に2018年、転機が訪れる。熊本大学整形外科学講座の教授選考委員から、教授候補としての推薦を受けたのだ。「推薦を受けたから教授になれるというわけではありませんが、せっかく声をかけていただいたので応募したところ、書類審査などを経て最終候補の3人に選んでいただきました」。そして宮本氏は、選考委員へのプレゼンテーション審査を経て、2019年春に晴れて熊本大学整形外科学講座教授に就任した。

 とはいえ教授就任が決まるまで、宮本氏は熊本に帰ることは意識していなかったという。「東京に家を買いましたし、まさか熊本に帰ることになるとは──と自分でも驚いたくらいです」。こう語る宮本氏は「東京に行くことになったときも自分から希望したわけではなく、目の前のことを淡々とこなしていたら自然とそうなったという感じです」と気負いがない。この自然体こそが宮本流でもある。

 現在、宮本氏は熊本大学で臨床や研究、教育を統括する一方、慶應義塾大学でも大学院生など10人ほどの研究指導を担当。そのため毎週、熊本から東京に赴いている。ただでさえ多忙な中、毎週の東京との往復は負担であるように思えるが、宮本氏によればそうでもないらしい。「移動中は電話がかかってきませんし、面会などの予定が入ることもないので、かえって書類仕事がはかどります」と笑う。

基礎研究と臨床の融合」に注力

  このように、熊本大学の教授でありながら慶應義塾大学で研究指導にも当たる宮本氏のスタイルは、医局運営にも現れている。

 大学医学部や医科大学が林立する都心では、良い意味で他の医学部への対抗心も手伝って、専門性を追求する姿勢が強くなる。これに対し、熊本大学のような県内唯一の医学部では、県内の医療に最終的な責任を負うという意識が強い。「何か一つのことに力を入れるよりは、全体をカバーしなくてはいけないという使命感が強い点が、都心の大学と熊本大学の一番の違いです」と宮本氏は言う。

 ただし熊本大学整形外科学教室では、広い範囲をカバーするからといって、専門性の追求をなおざりにしているわけではない。「医局員たちには、各領域のスペシャリストだという意識で取り組んでもらっています」。こう語る宮本氏は、都心の大学における指導経験を持つ教授ならではの視点で医局員の育成に臨んでいる。

 その現れの一つが、「基礎研究と臨床の融合」の実現に力を入れていることだ。「臨床能力が高いことはもちろん大事ですが、どうしても治らない患者さんや困り事に直面したとき、その解決を図れるだけの研究に裏打ちされた力も必要です。今、大学院生を積極的に採るようにしているのですが、彼らには全員、臨床に即した基礎研究に取り組んでもらっています」と宮本氏は話す。

 2年前に宮本氏が教授に就任した際、整形外科学講座に大学院生は1人もいなかったが、今では2学年に11人が在籍し、「臨床応用が目指せる基礎研究」を手がけている。「大学院生には、基礎研究を通じて知識を深めてもらい、臨床に戻るときにはそれを活用できるような人材になってもらいたいと考えています」と宮本氏。臨床と基礎研究を行き来させることで、若手医師にスペシャリティーを身に付けさせる人材育成を実践している。

 臨床技術向上に向けた体制整備も

  基礎研究に力を入れる一方、熊本大学整形外科学講座では、臨床技術を向上させるための取り組みにも注力している。例えば、宮本氏が教授就任してすぐに、実験動物を用いて血管縫合訓練を行うための飼育設備や顕微鏡、大型モニターなどの機器を導入。「ラットの大動脈はヒトの指の動脈の太さに近いので、切断した指の再接着をトレーニングできるシステムを整備しました。今後は、再接着だけでなく他の用途にも使えるように、設備を整えているところです」。

 また、最新の手術ナビゲーションシステムも近く導入する予定だ。「他施設も見学して機種を選定し、既に大学に申請を上げているので、導入待ちの段階です」と宮本氏。「ただし、システムはあくまでハード。やはりソフトの部分が育たないと、患者さんと接する医師としては不十分です。人間としての成長が、ひいては教室の成長につながる──そういう意識で人材育成に臨んでいます」とも付け加える

 国内外の留学に積極的なことも、宮本氏率いる整形外科学講座の特徴だ。「私自身が慶應義塾大学で過ごし、外部の視点から熊本大学を見るようになったことで、いくつもの気づきがありました。他の大学や施設で学んだ良い点はどんどん取り入れていけばいいし、逆に自分たちの方が進んでいると思えるところは相手方にフィードバックしていけば、互いにwin-winの関係になれるはずです」。こう語る宮本氏は「コロナ禍が収束したら、若手には積極的に外部との交流をさせたいと思っています」と意気込む。

 大幅に増えた整形外科手術

  人材育成の面以外でも、宮本氏の教授就任以来、熊本大学の整形外科学講座には様々な変化が表れている。その最たるものは、手術件数の大幅な増加だ。宮本氏の教授就任当時、年間700件余りだった整形外科手術件数は、2年を経た現在、年間1000件を超えるまでになっている。

 手術件数が大幅に増えた理由について、宮本氏は次のように語る。「以前は患者さんの安全性を優先し、医療安全の面で懸念が生じかねない場合には手術を見送ることもありました。しかし現在は、患者さんやご家族がリスクとベネフィットを理解された上で、手術を強く希望される場合には手術に踏み切っています。また、手外科や足外科など、患者さんのニーズに応じるために、これまでは取り組みが少なかった領域の手術を手がけるようになったことも、手術件数の増加につながっています」。

 手術件数の増加に伴い、医局員の数も2年前に比べて大幅に増えた。助教以上のスタッフに、後期研修医、大学院生などを含め、総勢40人の陣容を誇る。女性の医局員はまだ少ないが着実に増えてきており、そのキャラクターにも変化が見られるという。宮本氏は「以前の整形外科は、女性医師の中でも負けん気の強い人が来るようなイメージだったのですが、今は他の診療科と変わらないですね。『積極的に手術をしたい』と言って入局を希望するケースも増えています」と話す。

 ただ、医局員が大幅に増えたといっても、まだ足りないと宮本氏は言う。医師の働き方改革を盛り込んだ労働基準法の改正によって、2024年から医師の残業規制が強化されるからだ。「残業規制を考えると、今の人数でも医局を運営するにはギリギリです。しかしそれでは、新しい治療法を開発したり、国内外へ医局員を留学させる余裕がなくなってしまいます」と危惧する。

 こうした事情を踏まえた上で、宮本氏は若手医師に次のように呼びかける。「私たちとしては、国内にとどまらず世界で通用する新しい治療法を、熊本大学から発信していきたいと考えています。整形外科領域における最先端の治療や研究に触れることができ、国内外と交流できる私たちの医局に、ぜひ多くの人に参加してもらいたいと思います」。

整形外科学講座のメンバーたち。総勢約40人の陣容だ。(宮本氏提供)

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 宮本 健史 氏

1994年熊本大学医学部卒業。同附属病院整形外科、慶應義塾大学医学部整形外科特任准教授、東京大学医学部整形外科特任准教授などを経て、2019年より熊本大学大学院生命科学研究部整形外科学講座教授。慶應義塾大学医学部整形外科学先進運動器疾患治療学Ⅱ特任教授を兼務。


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