救急専門医の主導で沖縄の救急医療体制を再構築へ

 2021年4月、琉球大学大学院医学研究科救急医学講座の教授に梅村武寛氏が就任した。梅村氏は福岡大学で救急医としてのキャリアを積んだ後、沖縄県立南部医療センター・こども医療センターに移籍。様々な診療科の医師が交代で救急対応する従来の沖縄型とは異なる、救急専門医が中心となって対応するスタイルの救命救急センターを立ち上げ、センターを支えるスタッフの育成に尽力してきた。大学教授として今後は、2025年に予定されている大学病院の移転を機に、院内に救命救急センターを新設して救急医主導体制の確立を図るとともに、県立病院等の地域内救急病院との人事交流を通して、県内の救急医療のレベルアップや均てん化を推進していくことを目指している。

琉球大学大学院医学研究科 救急医学講座

琉球大学大学院 医学研究科救急医学講座
医局データ
教授:梅村 武寛 氏
医局員:8人
病床数:HCU6床
救命救急患者数:約8000人(2020年)
関連病院数:浦添総合病院、沖縄県立南部医療センター・こどもセンター 、北部地区医師会病院、沖縄赤十字病院など18病院 

 梅村武寛氏は、琉球大学大学院医学研究科救急医学講座、琉球大学病院救急部の初代教授・救急部長(兼任)だった久木田一朗氏の後を引き継ぐ2代目教授として、2021年4月1日に着任した。救急医学講座は2002年開設だが、病院救急部はさらに古く、米国施政下から本土復帰した2年後の1974年、琉球大学保健学部附属病院時代に総合病院として承認されて以来の歴史を有する。

 沖縄県では、救急医学を重視する米国式の医学教育を受けた医師が多く、診療科にかかわらず、どの科の医師も救急患者の初期対応ができる土台が存在する。しかし、それぞれの診療科の医師は自身の患者も抱えており、救急患者への対応には制約も大きい。そのため、救急専門医が初期診療から対応し、重症例や複数診療科に関わる症例などは救急医が主科となって診療を初療から継続し、必要に応じて各診療科の専門医と併診するスタイルへの移行が課題とされてきた。梅村氏は教授就任以前から、人材育成を通してこの課題に取り組んできた。

 救命率を上げるため整形外科から救急科へ

  梅村氏は熊本大学医学部を卒業後、同大学附属病院の整形外科で医師としてのキャリアをスタートした。その後、熊本市内にある熊本中央病院や、僻地医療の拠点である天草中央総合病院に勤務し、整形外科医として経験を積んだ。

 何人ものラグビー日本代表選手を輩出した名門、福岡県立福岡高等学校に入学し、ラグビー部で活動していた梅村氏は、自身のけがや骨折の経験から「スポーツ医学に関わりたい」との思いを抱き、進路を決めた。「完治を前提とした決定的な治療ができる診療科ということで整形外科を選びました」。

 勤務先の病院では、重篤な交通外傷の救急患者などを精力的に治療していた梅村氏だが、緊急手術が成功しても命を救いきれない症例を経験することも少なくなかった。その過程で「救急搬送された患者さんを救うには、整形外科の領域にとどまることなく、重症患者の全身管理を習得する必要がある」という思いを強め、救急医として研修が受けられる新たな勤務先を探すことにした。

 当時はまだ国立大学の救急医学講座や、附属病院の救急部・救命センターが少なかった頃。そこで梅村氏は、福岡大学病院救命救急センターの門を叩くことにした。恩師である熊本大学整形外科教室の第3代教授・髙木克公(かつまさ)氏は推薦状を書いて、他大学への転出を応援してくれた。「髙木先生に琉球大学の教授になったことを報告したら、泣いて喜んでいただきました。私の一番の恩師です」と梅村氏は言う。

 福岡大学病院で救急医学を学びつつ、梅村氏はスタッフの教育など人材育成にも取り組み始めた。約3年半、救急救命士を養成する一般財団法人救急振興財団救急救命九州研修所に教授として出向したのも、その活動の一環だ。梅村氏は「天草中央総合病院に勤務していた時代から考えていたのですが、救急患者が病院に到着する前や、事故現場で何かしらの対応ができれば、救命率が高まることは間違いありません。そこを担う救急救命士の卵の育成に介入しようと考えました」と出向の理由を語る。

 医学の基礎から国家試験合格に必要な事柄までを半年間で習得させるという救急救命士の養成カリキュラムを担当する中で、梅村氏も学んだことがある。「限られた救急救命士の養成期間では、定められたカリキュラム以外のプラスアルファに当たる、医師が望む現場対応までを詰め込む余裕はなかなかありません。でも、医師が使う言葉を知ってもらい、救急医療の現場で『共通言語』を使えるようになれば、患者さんの受け渡しや申し送りがスムーズになります。救急救命士を育てる中で、その重要性に気づき、しっかり伝えることにしました」と梅村氏は話す。

 また、この「共通言語」の重要性は、医師の間にも共通すると梅村氏は言う。現代の医療は専門化・細分化が進んでおり、それに伴い診療科間のコミュニケーションも難化している。だからこそ「救急医が院内で各科のインターフェースの役割を果たさなければならない」というのが梅村氏の考えだ。

医局人事で渡った沖縄で救急専門医を育成

  福岡大学病院救命救急センターに戻り、救急医としてのキャリアが12年を経過した時に梅村氏は、福岡大学医学部救急医学講座教授の石倉宏恭氏から転勤を命じられ、単身、沖縄の地を踏んだ。用意されたポストは、沖縄県立南部医療センター・こども医療センターの救命救急センター長だった。

 梅村氏が沖縄で力を入れて取り組んだのは、救急専門医の育成だ。約6年半の間に10人以上の救急専門医を育て上げた梅村氏は、「しっかりと救急医学を学んだ内科や外科の医師が当番制で救急患者を診る仕組みが標準だった沖縄に、救急専門医が中心となる『大和型』の救急スタイルを普及・浸透させることを目指しました」と語る。

 新型コロナウイルス感染症の重症患者のように24時間対応が必要な場合や、自然災害などで一度に多数の救急患者に対応しなければならない場合には、救急専門医が患者管理を主導する体制が不可欠だと梅村氏は考えていた。10人規模の救急専門医のチームが系統立った動きをすれば、不測の事態にも対応できる。そうした救急体制の構築を自らのライフワークとした。

 救急専門医の育成と並行して、勤務する病院の救急体制の整備や、他の医療機関や自治体・消防などとのネットワーク形成に奔走していると、再び石倉氏から連絡があった。「琉球大学救急医学講座の教授選に出ないか」という話だった。

 だが当初、梅村氏は固辞していたという。「大学教授はその地域のその領域のトップですから、それを目指して努力している人たちがいます。一方の私は臨床家であり、現場での教育に重きを置いていたので、教授選の話はお断りしていました」。しかし、恩師の依頼に応えたいという思いと、沖縄県全体の救急医療体制の再構築を実現するには大学教授が最も適したポジションであるのではないかとの思いもあり、最終的に梅村氏は教授選への出馬を決めた。

 この決断には、島嶼医療体制の再構築を急がなければならないと梅村氏が感じていたことも影響したようだ。沖縄に数多くある離島には若い住民が多く、過疎化が進む他の都道府県の離島とは事情が異なる。高齢者向けの医療ではなく、都市部と同様の医療が必要とされ、緊急対応を求められる場面も多い。そこには、救急専門医のように広範な領域に対応でき、しかも最新の医療を提供できる医師を送り込む必要がある。その采配は、県立病院の救命救急センター長よりも大学教授にふさわしい仕事と言える。

 「沖縄の救急医療現場には、私を含めて県外出身者が数多くいて、それぞれがこの体制を支えています。しかし沖縄の将来を考えると、沖縄で生まれ育った人材がこの地に定着して、専門性を高めて、次の世代の人材を育成するサイクルを回していくことが一番だと思います」と梅村氏は話す。同氏が教授に選出された背景には、こうしたビジョンが理解されたことがあるのかもしれない。

琉球大学病院救急部の面々。現在の医師数は8人だが、4年後の救命救急センター開設と増床に備えて、人材拡充に努めている。(梅村氏提供)

  沖縄のための救急医療再構築に取り組む

  琉球大学病院では、4年後に新築移転する計画が進行中だ。「移転を機に、高度救急医療の範を示す救命救急センターを開設したいと考えています」と梅村氏。「例えば交通事故で、脳挫傷、肝臓破裂、大腿骨骨折の患者が運ばれて来たとき、各診療科に手術を依頼しつつも、全身管理などのマネージメントは救急部が担当する──。そんな体制作りに、前任地の県立病院での経験を生かして取り組みます」と抱負を語る。

 災害医療への対応も課題だ。ヘリポートを整備し短時間で救急患者を搬送できるようになれば、離島の三次救急患者への対応にもつながる。また、災害現場に駆けつけるDMAT(災害派遣医療チーム)は現在3チームほど編成できる陣容だが、その質と量の充実も図っていく必要がある。同時に病院側の受け入れ体制も整えておかなければならない。「災害への対応は、医療機関単独でできるものではありません。複数の医療機関と行政、消防、警察、場合によっては自衛隊や海上保安庁など国内外の組織とも協働しなければなりません。ここでも、前述した『共通言語』の問題がそれぞれの組織間で発生し得るので、救急医がコミュニケーションのハブとなることが求められます」と梅村氏は話す。

 こうした課題の解決に全力で当たっている梅村氏だが、そのためにはさらなる人材の育成が不可欠だ。救急部では現在、梅村氏を含め総勢11人の医師が、6床の「救急集中治療室」をコントロールしている。病院の移転後は、これが20床に増える予定だ。梅村氏は「琉球大学病院の救命救急センターの立ち上げに参加したい医師からの連絡を待っています。米国式の医療文化の影響が色濃く残り、東アジアや東南アジアとのつながりも深い沖縄で一緒に頑張りましょう」と呼びかける。

 琉球大学病院の陣容が整った後は、救急医療の重要な担い手である沖縄本島・離島の地域内救急病院と人事交流を図ることで、県全体の救急医療のレベルアップや均てん化も図っていく計画だ。新任教授の壮大なチャレンジの行方が注目される。

処置室の様子。いつ搬送されるか分からない救急患者のための準備に余念がない。(梅村氏提供)
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梅村 武寛 氏
1995年熊本大学医学部卒業。熊本大学医学部附属病院整形外科、熊本中央病院整形外科、天草中央総合病院整形外科、福岡大学病院救命救急センター、沖縄県立南部医療センター・こども医療センターを経て、2021年琉球大学大学院医学研究科救急医学講座教授。

 

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