京都大学医学部附属病院などで救急医としてのキャリアを積んだ西山慶氏は、2021年に新潟大学大学院医歯学総合研究科救命救急医学講座教授に着任し、新潟大学医歯学総合病院で救急患者の初期診療と集中治療の指揮を執っている。医師が不足している新潟県で、救急対応が可能な施設としての役割を担い、人材育成とICT(情報通信技術)による遠隔医療の実現を目指す。これら西山氏の取り組みに共通するキーワードは「多様性」。様々な診療科の専門医を医局に集め、外部の情報処理専門家と協働してスタッフそれぞれの知見を広げていくのが「西山流」の教育理念である。
新潟大学大学院医歯学総合研究科救命救急医学講座
新潟大学大学院医歯学総合研究科救命救急医学講座
医局データ
教授:西山 慶 氏
医局員:27人
病床数:32床
救命救急患者数:約5000人(2019年)
関連病院:5病院
新潟大学大学院医歯学総合研究科救命救急医学講座教授の西山慶氏は2021年1月1日に着任し、新潟大学医歯学総合病院救急科、中央診療施設の高次救命災害治療センターと集中治療部を指揮している。
これらの診療科・部門の沿革は次の通り。1991年に集中治療部が4床でスタートし、1996年に6床に増床した。その後、2009年に高度救命救急センターとしてオープンした高次救命災害治療センター(20床)に集中治療部が移動し、2012年にドクターヘリの運営を開始。2016年には集中治療部を8床に、さらに2021年には12床に増床し高次救命災害治療センターと合わせて32 床の規模とするに至った。
「この講座では、世界最先端の救急集中治療の実現に取り組んでいます」と西山氏。具体的には、「初期診療(ER)と集中治療(ICU)との双方が実行できる医師の育成」「幅広いサイエンスに基づくイノベーションを発信し、世界をリードする救急集中治療モデルを新潟医療圏に導入」「教えあい、学びあう、多様性を大切にしたチーム医療を展開」「『世帯を支える』視点で、柔軟かつ持続可能な労務設計を行う」──といった項目を掲げている。
市中病院で後進を育成した後に大学へ転出
西山氏は、良寛和尚が修行した円通寺がある港町・旧玉島市(現岡山県倉敷市玉島地区)の出身。瀬戸内海の対岸にある愛媛県の名門、愛光学園で中学・高校時代を過ごした。1995年に京都大学医学部を卒業し、京都大学医学部附属病院(以下、京大病院)で医師としてのキャリアをスタートさせた。
「当時の京大の研修医は、研修先の病院を、教授が提示したリストの中から自分で選ぶ仕組みでした。研修医が集まってジャンケンで決めるのですが、私は担当する患者さんの容態変化で離席してしまい、戻ったら空いている病院が少なくなっていました。そこからフグ食べたさに小倉記念病院循環器科に決めましたが、今にして思えば幸運でした」と西山氏は振り返る。
西山氏が赴任した1997年の一般財団法人平成紫川会小倉記念病院では、循環器内科医の延吉正清氏が、黎明期の経皮的冠動脈インターベーション(PCI)を数多く施術していた。西山氏は、この救急治療に魅入られ積極的に学んだ。
同病院での指導医だった木村剛氏が2002年に京大病院第三内科に戻った後、「循環器内科を立ち上げるので京大に戻ってこないか」と誘いを受けたことから、西山氏は2004年に京大に戻った。2年後の2006年に京大病院が救急の講座を開設することになり、小倉記念病院で救急対応の経験を積んだ西山氏は初期診療・救急科に異動することとなった。ここから西山氏は、本格的に救急医としてのキャリアを積んでいく。
2015年、同門の志馬伸朗氏が国立病院機構京都医療センター救命救急センター長から広島大学医学部教授に転出する際、西山氏は後任の救命救急センター長に着任した。「このとき、改めて後進育成の大切さを感じました。早く部署内からセンター長を任せられる人材を育てておかないと、何かと不自由ですからね」と語る。
指導医の資格を持つ医師が増え、リーダーシップをとれる医師も現れたと思えるようになり、次の道をどうするかを考え始めていた2020年、新潟大学の教授募集の記事が西山氏の目に留まった。急いで応募書類を作成し、当時の院長の承認を得て書類を送付したのは締め切りギリギリだった。
「新潟大学は救命救急センターを有していて、救急医が全身管理も対応しています。そういうところで教育に携わりたいと考えたのが応募理由です。また、救急医が不足している地域の方が、より地元の役に立てるとも思いました。新潟は祖父の出身地ということもあり、縁を感じてもいました」と西山氏は話す。
多様性を生かした医局運営に努める
西山氏は、学生や研修医、若手医師に対して、救命救急医療と集中治療の双方を担える人材の育成を目指している。「どちらか一方だけを担当していると、もう一方の力が衰えてしまうので、並行して業務に当たれることが重要です。これはベテラン医師も例外ではありません。以前なら、特定の領域で技量や知識を身に付ければ一生食べていけたかもしれませんが、今はインターネットの利用などで知識を習得する機会が増えた結果、すぐ後輩に追いつかれてしまいます。だから他の領域も含めて勉強し続けることが大切なのです」。
西山氏の医局には、小児集中治療医など様々な領域の医師が在籍し、専門にとらわれない幅広い診療を手がけている。小児集中治療医であっても高齢者を担当し、内科医も外科的な処置を行い、麻酔科医は外来患者も担当する。
「カンファレンスや日勤・夜勤の引き継ぎでは、それぞれが軸足を置く診療科の視点から意見が出るので、参加者はとても勉強になります。ある領域で10年、20年やっていると、プライドが高くなって誰かに教えてもらうことができなくなってしまう傾向がありますが、それはとてももったいないことです。私たちは様々な領域の知識を共有するようにしています」。こう語る西山氏は、集中治療領域の専門医教育のプログラムで、若手医師ではなく既に内科や外科などの専門医を取得した医師を対象に募集している。2021年度は呼吸器内科と腎臓内科の専門医がこのプログラムで集中治療部に入った。
医局のコミュニケーションを良好にするために西山氏が決めたルールは、批判的な言葉遣いをしないこと。「なぜ、こんなことをしたのか?」「どうして、こうしなかったのか?」といったフレーズは厳禁だ。「こうした方がいい」など提案型の言葉遣いを奨励して、若手もベテランもが心理的な圧迫感を感じないコミュニケーションを実現している。
勤務体系は完全シフト制を採り、日勤1ポイント、夜勤2ポイントとして月に21ポイントを超えないように運用している。「准教授にも休日出勤をお願いするようなギリギリの運用ですが、定時に交代することを徹底しています。誰かが残業を始めると、他の人も引きずられて全体の勤務時間が延びてしまうので、それを避けるためです」と西山氏は言う。
目標は県全域における救急医療の均てん化
新潟県では、県内の三次救急患者の対応にはドクターヘリを活用している。ドクターヘリの基地は新潟市内の新潟大学医歯学総合病院と長岡市の長岡赤十字病院にあり、両病院で新潟県全域をカバーし、年間2000件の出動要請を受けている。西山氏は「京都時代には思いも寄らないほど、数多くの重篤な患者さんを受け入れています。ここで救急を学べば、短期間で重篤な症例を数多く経験することができます」と語る。
新潟県の救急医療体制の今後について、西山氏は次のようなアイデアを温めている。「30万人を目安に各地域に一つずつ二次救急に対応する救命救急センターを開設し、それぞれに8人ほどの救急対応チームを置きたいと考えています。新潟県の人口は210万人なので、大学病院以外に6施設、50人程度の医師が必要になります。今後は、その育成に取り組んでいきます」。南北に長く、三方を山地に囲まれている新潟県では、患者の搬送時間を短縮するため、拠点をある程度分散しなければならない。
新潟県の人口当たりのICU(集中治療室)病床数は、全国平均の25パーセントしかない。救命救急センターより細かく配置したいICUの運用に向けて、西山氏はICT(情報通信技術)の活用を検討している。「行政、企業や日本集中治療学会の協力の下、新幹線の停車駅であるJR燕三条駅の近くに救命救急センターを開設し、そこと私たちの医局をオンラインで遠隔支援する計画があります。これをモデルケースとして、大学病院の医療リソースを地域で活用する体制を構築していきます。最終的には救急搬送中のプレホスピタル、救急外来、集中治療という三つのフェーズで活用できるようになるでしょう」と西山氏は意気込む。
西山氏は、この遠隔支援で得られるデータを、より多面的に利用したいと考えている。例えば、大学医局に送信するために撮影された患者の画像を、匿名化した上で画像解析して、表情と容態変化の相関を見極めることなどを計画している。匿名化技術に関しても、臨床研究に必要な情報を保持したまま顔を特定できないようにするなど、臨床試験の盲検性を高度化できる方策を模索している。
西山氏の救急医や集中治療医の育成方針は、単に臨床技術を習得させることにとどまらない。他診療科の知識や、西山氏のもう一つの専門であるデータサイエンスの知見を身に付けさせることにより、新時代の救急・集中治療の担い手を育てていくことを目指す。西山氏の医局で育った新しいタイプの救急・集中治療医が活躍する日は近い。
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西山 慶 氏
1995年京都大学医学部卒業。小倉記念病院循環器科、京都大学医学部附属病院循環器内科、同初期診療・救急科、国立病院機構京都医療センター救命救急センター長を経て、2021年に新潟大学大学院医歯学総合研究科救命救急医学講座教授に就任した。(西山氏提供)