卒業生を医局に勧誘できぬハンデ克服しリウマチ専門医を育成

自治医科大学内科学講座アレルギー膠原病学部門は、1974年の同大学附属病院開院以来の歴史を持つ。2019年には第3代教授として佐藤浩二郎氏が着任した。自治医科大学は卒業生をそれぞれの出身地に送り出すことが使命であるため、他大学のように医学生に対して入局を勧誘することはできない。佐藤氏は、このハンディキャップを克服しつつ、栃木県で不足しているリウマチ・膠原病の専門医育成に邁進している。また佐藤氏は、基礎研究に多くの時間を費やしてきた自身の経験を生かし、医局スタッフに研究マインドを持たせるよう努めている。

自治医科大学内科学講座アレルギー膠原病学部門

自治医科大学内科学講座アレルギー膠原病学部門
医局データ
教授:佐藤 浩二郎 氏
医局員:12人
病床数:18床
外来患者数:約1400人/月
関連病院:12病院

 自治医科大学内科学講座アレルギー膠原病学部門は、同大開学の2年後、1974年に附属病院が開設された時から続く歴史ある部門だ。学部にはアレルギー膠原病教室が、附属病院にはアレルギー膠原病科が設置され、当初は第一内科の髙久史麿氏が教授を兼任した。そして、1982年に助教授だった狩野庄吾氏が、同部門の初代教授に昇任した。1997年に第2代教授に就いた簑田清次氏の代である2000年には、診療科の名称がアレルギー・リウマチ科に変更された。

リウマチ膠原病だけの医局

 第3代教授の佐藤浩二郎氏が着任したのは2019年のこと。他大学においては、腎臓領域や内分泌領域も包括した講座や診療科も少なくない中、自治医科大学ではリウマチ・膠原病を専門とする医局を有していることが特徴といえる。

 佐藤氏は小学生の頃から実験に興味を持ち、それができるような職業に就きたいと考えていた。しかし、その考えは漠然としたものだった。東京大学に入学した時も医師になろうと決めていたわけではないという。だが、「大学1、2年生の時、法学の講義など様々な種類の講義を聴講するうちに、やはり自分の適性は文系よりも理系だろうと思うようになり、結果、医療の道に進むことを決めました。医師という職業はやりがいのある仕事なのではないかと考えたからです」と言う。

 医学部に進学し、各領域の知見を学んでいく中で、佐藤氏は免疫学に最も大きな「面白さ」を感じたという。基礎研究に携わるにせよ臨床に就くにせよ、この領域に進むことにした。卒業後は東京大学医学部附属病院で研修を開始。最初の半年は一般内科で研修し、次の半年は内科を回らずに、実践的な手技や知識の修得が必要な救急部で研修を行った。その後、当時としては珍しく、内科全科でローテーションを行う研修プログラムがあった虎の門病院(東京都港区)に移り、さらに2年間の研修医生活を送った。

 3年間の研修医期間を終えると佐藤氏は、免疫を研究するために東京大学の大学院に進学。ナチュラルキラー(NK)細胞に関する研究をまとめて博士号を取得した。大学院修了後は、東京大学医学部附属病院アレルギー・リウマチ内科で診療に当たっていたが、程なくして研究生活に復帰した。「4年間の研究経験だけでは飽き足らなくなっていました。その時、大学院の先輩である高柳広先生が東京医科歯科大学でラボを立ち上げるという話を聞き、自ら手を挙げて参加させてもらいました。高柳先生は破骨細胞を中心に研究を進めていましたので、私はT細胞と破骨細胞の関係について研究することにしました」と佐藤氏は振り返る。

 そして研究に専念して3年が経過した頃、佐藤氏は「臨床に戻るとしたら今が最後のタイミングだろう」という現実に直面した。「研究の面白さと診療のやりがいのどちらを取るかでかなり迷いましたが、医療現場で患者さんに接するのを完全に諦めることはできないと思い、埼玉医科大学のリウマチ膠原病科に移ることにしました」と佐藤氏。臨床が中心の生活となったが、医局の若手の研究指導にも当たっていたため、臨床一辺倒になることはなかったという。

 埼玉医科大学で10年以上診療に当たっていた佐藤氏が「そろそろ将来の展望を考えなければ」と考えていた時、自治医科大学でアレルギー膠原病学部門の教授を公募しているという話が舞い込んだ。「簑田先生が退官されることは知っていましたが、公募が既に始まっていることには気づいていませんでした。実は海外の学会に出かけた際に偶然、教えてもらったのです。私自身は自分で主体的に臨床や研究に取り組める場を探していたので、上司の三村俊英先生に推薦状を書いていただき、応募することにしました」と佐藤氏は経緯を語る。

 この結果、佐藤氏が教授に就任し、自治医科大学のアレルギー膠原病学部門の教授は3代、髙久氏から数えれば4代にわたり、東京大学医学部のOBが務めることになった。

教授自ら全国を勧誘に回り入局者を募る

 自治医科大学の教授に就いた佐藤氏は当初、その特殊性に戸惑ったという。「埼玉医科大学では卒業生の入局を促すために、講義やベッドサイドの実習などでアレルギー膠原病領域の面白さを伝えていました。しかし自治医科大学の卒業生は、それぞれの地元に戻って臨床に従事しなければなりませんので、学生時代に勧誘してもあまり響かないのです。だから医局員には、自治医科大学の卒業生がほとんどいません。また、教授交代のタイミングで開業するなど、医局を離れる先生もいました。どうやって医局員数を回復していくかは大きな問題でした」と佐藤氏は打ち明ける。

 医局員から「9年間の義務年限を終えようとしている卒業生の先生、特に当科で研修した経験を持つ先生を医局に勧誘してはどうか」とアドバイスを受けて、佐藤氏は着任1年目に大分県と広島県を訪ねて回り、2人の卒業生を勧誘した。令和3年度には、その2人が戻ってきてくれた。コロナ禍のために今は、なかなか地方にまで勧誘には出られなくなっている。現状を考えると、1年目に勧誘の旅に出たのは唯一無二のチャンスを活かせたことになる。

 医局の大きな役割の1つは、自治医科大学でも他の多くの大学の医局と同様に、地域で不足している専門医を育成し、日々の診療を充実させることだ。専門医の育成だけでなく、医学生の教育のためにも医局スタッフの充実は避けて通れない。
 
 栃木県でもリウマチの専門医は不足している。「リウマチ領域は専門性が高いので、地域の専門外の先生はあまり患者を診たがらないのかもしれません。そこで先代教授の簑田先生は、病診連携を目的とした『栃木リウマチネットワーク』を立ち上げました。大学病院で年に何回か診察を受け、地元の診療所に経口薬の処方や注射をお願いするという仕組みです。薬の変更や増・減量については診療情報提供書で提案します」と佐藤氏は語る。このネットワークによって、広範な医療圏にリウマチ専門医レベルの医療を提供することが可能になっている。

 栃木リウマチネットワークでは設立以来、ネットワークに参画する医師を対象にした研究会を開催し、診療に関する知見の共有を図ってきた。現在はコロナ禍のためオンライン形式で開催しているが、「関係の構築や強化には、対面してコミュニケーションを取ることが必要だと感じています。この重要なネットワークを拡張、充実させていくためにも、早く対面形式での開催に戻したいと願っています」と佐藤氏は言う。

 一方、医局における研究の在り方について、佐藤氏は次のように語る。「臨床データや臨床検体を用いた基礎研究に取り組んでいきたいと考えています。ただし、臨床に加えて医学生への教育もあり、私自身がかつてのように研究に多くの時間を割けなくなっているので、医局の外部から博士研究者に来てもらい、また技術補佐員には私が準備した検体の測定などをお願いしています。リウマチ・膠原病領域は、他の領域に比べて研究成果を治療に生かしやすい分野なので、今後も研究は継続していきます」。

 とはいえ、自治医科大学の役割からして他大学と必ずしも同様にはできないところがある。「自治医科大学には地域医療に貢献する医師を輩出していくという使命がありますので、卒業生がすぐに研究の道に進むというのではちょっと困りますね(笑)。しかし、臨床でも常に『なぜ』と疑問を抱かなければいけないことに変わりはないので、研究マインドを忘れずに診療できる医師を育てていきたいと考えています」と佐藤氏は話す。

週2回開催するカンファレンスの様子。内容の充実を担保しつつ、医師の働き方改革のため、事前準備にかかる時間を減らす工夫もしている。

勤務時間を短縮しながら増加する患者を診療

 佐藤氏は教授に就任以来、医師の働き方改革にも取り組んでいる。「私が着任した当時、医局員がみな遅くまで残業していました。50歳代の私たちが若かった頃なら当たり前だったとしても、今はそうも言っていられません。研修医やスタッフの残業時間を減らさなければいけないのです。手始めに、労働時間を短縮するため、カンファレンス前に準備する手書きの温度板作成を廃止しました。私自身、研修医時代にやっていましたので、温度板を作ること自体が勉強になることはよく分かっています。でも、時代が時代なのでやめることに決めました」。

 この他にも佐藤氏は、関連病院に対して外来診療のためにスタッフを派遣している。「去年までは本当に大変でした。現在は、地方勧誘によって入局してもらった2人のおかげで、兼任を除くスタッフが最少時の7人から12人となり、なんとか医局を回していける状態になりました(1人出向中)。アレルギー・リウマチ科の患者さんは、症状をコントロールすることはできても、現状では完治させているわけではないので、外来患者数が減ることはありません。今も月に延べ1400人くらいの外来患者さんを診察していますし、入院患者さんが18床の定床数を大幅に越えることもよくあります。当科は2、3カ月間と長期に入院する患者さんが多いのが特徴です」(佐藤氏)。

 それでも、この領域の患者の日常生活動作(ADL)や生活の質(QOL)は確実に向上している。「かつては関節リウマチによる関節変形を止めることさえできない時代がありました。だが、今では治療法の進歩により、発症前とほぼ同様の日常生活を送れるまでに患者さんの症状を改善させることも可能になりました。この分野に携わる医師は、そこにやりがいを感じられるはずです。ただし、患者さんを完治させられるまでには至っていません。自治医科大学内科学講座アレルギー膠原病学部門では、この課題に興味を持って取り組んでいきたいと考える医師を増やしていきます」。佐藤氏はこう話している。


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佐藤 浩二郎 氏

1995年東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院、国家公務員共済組合連合会 虎の門病院で初期研修。東京大学大学院(免疫学教室)修了(医学博士)、東京大学医学部附属病院アレルギー・リウマチ内科、東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科助手、埼玉医科大学リウマチ膠原病科講師、准教授を経て、2019年より自治医科大学内科学講座アレルギー膠原病学部門教授。

 

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【別掲】

「研修医が全国から集まる」「リウマチ膠原病専門」が選択の決め手

自治医科大学内科学講座アレルギー膠原病学講座 シニアレジデント

近藤 春香 氏


 私は、初期臨床研修先の医療機関として自治医科大学附属病院を選びました。大分大学を卒業する前からリウマチ・膠原病領域に進むこと決めていて、実家に近い首都圏で研修したいと考えていました。

 自治医科大学を選んだ理由は、いくつかあります。1つ目は初期研修医に同大のOBが占める割合が低いこと。色々な大学医学部を卒業した先生が集まるので、他大学卒業の自分も馴染みやすいのではないかと考えました。来てみると、実際にその通りだったので安心しました。

 2つ目の理由は、他の領域を含まないリウマチ・膠原病の医局があるからです。他の場合、主任教授が内分泌領域などを専門としていることもありますが、自治医科大学なら医局員の全員とリウマチ・膠原病の話ができます。初期研修で「アレルギー・膠原病学分野」の医局を回ったとき雰囲気が良かったので、研修終了後に専門医資格を取得するために入局しようと決めました。

 初期研修中は先代の簔田教授だったのですが、入局の年に佐藤教授が就任されました。佐藤教授をはじめ、医局の先生はみな話しやすくて、何か困ったことがあればすぐに相談に乗っていただけます。やはり膠原病の医局なので、この領域の知識や経験が豊富です。

 今は入局して3年目、医師5年生ですが、専門医の資格を取得した後は、専門医を必要としている栃木県内の医療機関で診療を担当したいと考えています。(談)

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