先進医療提供と地域医療充実の両立に努める

1942年以来、80年の歴史を積み重ねてきた東北大学整形外科学教室。2021年に第7代教授に就任した相澤俊峰氏は、同大学卒業の生え抜きの整形外科医だ。第4代から第6代までの3人の教授の薫陶を受け、その伝統を継承しながら「まとまり」を重視した教室運営に取り組む。大学病院として研究を重視しつつ先端医療に取り組むとともに、地域医療の維持・向上につながる関連病院の整形外科診療の充実に努めている。

東北大学整形外科学教室

東北大学整形外科学教室
医局データ
教授:相澤 俊峰 氏
医局員:39人
病床数:46床
関連病院:約50病院


 東北大学整形外科学教室は、同大学第三外科学講座を母体にして1942年に設立された。初代教授として就任した三木威勇治氏以来、第2代の飯野三郎氏、第3代の若松英吉氏、第4代の櫻井實氏、第5代の国分正一氏、第6代の井樋栄二氏と連綿と歴史を積み上げてきた。2021年4月、第7代教授としてこの歴史を継承する立場に就いたのが相澤俊峰氏だ。

 「三木先生や飯野先生は整形外科のあらゆる領域に通じていました。若松先生は骨代謝と骨粗鬆症、櫻井先生は末梢神経、国分先生は脊椎、井樋先生は肩と骨代謝と、それぞれ専門とする領域をお持ちでしたが、教室として特定の領域に注力することはありませんでした。当教室には以前から脊椎、肩関節、股関節、膝関節、リウマチ・骨代謝、腫瘍、手・末梢神経、外傷の各グループがあり、整形外科領域をまんべんなくカバーしています」と相澤氏は語る。

歴代の伝統を受け継ぎ「まとまり」ある教室に

 相澤氏は東北大学医学部を卒業後、すぐ整形外科に入局して研修医生活をスタートさせた。「当時から東北大学は研修制度が充実していて、現在と同じように、卒業後すぐ市中病院に出て研修するケースがたくさんありました。特に内科や外科を志望する場合、外で様々な経験を積んで大学に戻ってくるルートが確立していました。私は高校時代からスポーツ医学に関心があったので、ストレートで整形外科に入局しましたが、途中で関連病院の整形外科に出て様々な領域の経験を積んだほか、麻酔科で全身管理も学びました」と言う。

 相澤氏が入局した当時の教授は櫻井氏。「櫻井先生の時代は、学問の自由や大学の自治が大切にされていた『良き昭和』の緩やかな雰囲気がありました」と相澤氏。これに対して国分氏は、東北大学病理学実習室に掲げてある『教えて厳しからざるは師の怠りなり』の言葉を絵に描いたような厳しい指導が特徴だったという。「カンファレンスの場では、その週に予定されていた手術を中止して再検討するよう指示されることもありました。また、アジアの発展途上国から留学生や見学者を受け入れたり、逆に現地を訪れて診療や教育に注力されたりしていました」(相澤氏)。

 次の代の井樋氏も海外交流に積極的で、米国やヨーロッパのほか、南米との交流も深めたという。「井樋先生はリベラルな方で、自分の得意領域の肩は別として、それぞれの領域を専門にするスタッフ同士が協議して手術の適応などを検討するように指示していました」と相澤氏は振り返る。

 では、相澤氏はどのような医局運営を目指すのか。この問いに、同氏は「教室や同窓会のまとまりを大事にしたいですね」と語る。「東北大のドクターには、マイペースで仕事をしている人が多いのが特徴です。そのためこれまでは、学会活動などに関して教室としてコントロールすることはしてきませんでした。ですが今後は、大学のプレゼンスを上げるためにも、重要な学会発表や論文執筆などに教室として積極的に取り組むことで、質と量の向上を果たしていきたいと考えています」とも言う。

 論文執筆について、相澤氏にはこんな経験がある。「最初に研修に出た病院が厳しいところで、学会で発表したものを論文にしないと次の学会に出席させてもらえないというルールがありました。そのため私は初期研修の2年間で4回の学会発表を行い、4本の論文を書きました。大学に戻った後は、年に1本は英語論文を書くことを自分に課して、それを守り続けています」。

 そんな相澤氏の目に、今の医局員たちは、やや物足りなく映っているようだ。「研修医や専攻医を見ていると、6年間で書いた論文が1本というようなケースが少なくありません。医局員には、自らノルマを課して、それを達成していく姿勢を身につけてほしいと思います」と言う。


東北大学整形外科教室のスタッフたち。(相澤氏提供)

 

外科医は「徒弟制」で養成されるもの

 相澤氏が目指す教室の「まとまり」は、医局員が学ぶ環境にも及ぶ。「研修医から専攻医の期間は、様々な領域を経験しながら整形外科学を学び、その経験を通じてサブスペシャリティを選択していくわけですが、その際に指導医からたくさんのことを吸収してほしい。ビデオやネットで様々な情報が得られる時代ですが、外科医は指導医を真似ながら学ぶもので、究極的には師(指導医)が弟子(専攻医など)を1対1で教える「徒弟制」で養成されるものだと考えています。シミュレーションで手技を学ぶことができても、手術は生身の患者さんに対して行うもので、自ずとシミュレーションとは異なります」と相澤氏。その徒弟制を有効に機能させるものが、教室内の人と人のつながり、まとまりであるという。

 相澤氏がこうした考え方を持つに至ったのは、やはり過去の自身の経験からだ。「私は最初の研修先の病院で、整形外科の全ての入院患者の所見を取ると決めて、実行しました。そして指導医が診察するときには必ず陪席し、指導医の所見と自分の所見と比べることによって、自分の診断基準を確立していきました」。こう語る相澤氏は「研修医や専攻医に教わる姿勢ができていると、指導医の対応も変わり、より多くのものを得られるようになります。だからこそ教室内のまとまりが大事になってくるのです」とも付け加える。


胸椎後縦靱帯骨化症の手術に臨む相澤氏(右)。(相澤氏提供)

 

 一方、学生への教育で心がけているのは、整形外科の面白さを伝えることだ。「医師国家試験で整形外科領域の問題は、たった3問程度。だから学生が他の科の勉強をしたくなる気持ちは分かります。具体的なこと、詳細な実臨床については、卒後に学んでもらえればいいと割り切っています。とはいえ健康寿命の延伸が求められる状況下で、運動器を司る整形外科医の役割が今後も増していくことは確実です。しかも治療効果が表れやすく、達成感も得やすい。そういった整形外科の魅力を伝えていければと考えています」と相澤氏は話す。

スタッフの充実を図り大学病院としての責任を果たす

 相澤氏は、スタッフの留学や関連病院の充実にも積極的に取り組む意向だ。「大学病院は最新の医療提供体制を整えていなければなりません。自前で研究開発を行うと同時に、国内外を問わず先進的な治療を実践している医療機関で学び、その成果を学内に持ち帰ってもらうことも大切です。我々に必要なものは何か、足りないものは何かを考えながら、整形外科の全ての領域の充実を図っていきたいと考えています」と相澤氏。

 東北大学の建学の理念の一つに「研究第一」がある。だが、医学部では研究に加え、地域医療の維持・向上も同様に重視している。相澤氏自身も、研修期間中はもちろん、欠員が出た関連病院の応援に出るなどした経験が多い。「関連病院が宮城、岩手、山形、福島の東北4県にあります。これらの診療圏の整形外科医療を守り続けるために、研究と実臨床を両立できるように全力を尽くしていきます」と意気込む。

 医師の派遣をスムーズに行うためには、医局のスタッフを充実させることが必須である。そのために相澤氏は、東北大学のもう一つの建学理念である「門戸開放」にも取り組んでいる。「整形外科教室では他大学の卒業生も積極的に受け入れており、同窓会に占める東北大学卒業生の割合は現在半分程度です。最近は、医局長を中心に初期臨床研修医を受け入れている医療機関を訪ね、出張医局説明会も開いています。これまで毎年10人前後が専攻医として入局していましたが、2022年はもう少し増える見通しです。2021年から隔週でスポーツ外来を開始しましたが、これも影響しているかもしれません。若い先生はスポーツに興味がある人が多いですからね」(相澤氏)。

 相澤氏が医師を志したのは、宮城県仙台第一高等学校の2年生の時だ。バドミントン選手としてインターハイでベスト16入りの好成績を納めた後、練習中にアキレス腱を切ってしまった。受診した病院で看護師からかけられた「バドミントンはもうムリね」という言葉に対して、「怪我した患者をさらに落ち込ませるなんて信じられない」と憤り、「スポーツ選手の気持ちが分かる医師」を目指すことに決めた。そして、相手の気持ちを常に慮る教授として、整形外科学教室の運営に取り組んでいる。

 なお、けがをした翌年のインターハイの宮城県予選個人戦で、相澤氏は優勝を成し遂げている。

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 相澤 俊峰(あいざわ としみ)氏

1989年東北大学医学部卒業。東北大学医学部整形外科学教室入局、いわき市立総合磐城共立病院(現いわき市医療センター)、仙塩総合病院などを経て、2021年より現職。

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