広島大学病院リウマチ・膠原病科は、開設から十数年の若い医局だ。同大を卒業後、東京や九州で診療・研究に当たってきた平田信太郎氏が、2021年に第2代教授に就任した。膠原病・リウマチ性疾患の全般で治験・臨床研究を広く展開するとともに、基礎研究の成果を患者に役立つようトランスレーションすることにも注力している。働きやすい環境を整備しながら医局スタッフ数を増やすことにより、専門医を育成して中国・四国地方のリウマチ・膠原病医療を充実させるのが目標だ。
広島大学病院 リウマチ・膠原病科
広島大学病院 リウマチ・膠原病科
医局データ
教授:平田 信太郎 氏
医局員:19人
病床数:5床
外来患者数:1万2000人/年
関連病院:6病院
平田信太郎氏が第2代教授に就任した広島大学病院リウマチ・膠原病科は、開設から十数年の新しい医局だ。平田氏が同大学医学部を卒業した1998年には、まだ開設されていなかった。そのため、リウマチ領域の専門医を志した同氏は、主に呼吸器領域を担当する第二内科に入局した。そして研修医として国立呉病院で2年間過ごした後、国内留学の形で東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センターに移り、リウマチ診療の経験を積んだ。
平田氏は大学卒業時に、先輩の「リウマチをやりたいなら第二内科」というアドバイスを受けて入局した。「確かにリウマチ外来は第二内科が担当していましたが、当時は関節症状を整形外科が診て、皮膚に症状が出たら皮膚科、腎臓が悪くなったら腎臓内科、間質性肺炎なら呼吸器の第二内科が担当するといった具合でした。第二内科でも症例経験を積むことはできましたが、より深くリウマチ・膠原病を学ぶために、当時の教授に認めていただき、異例の3年目から東京女子医科大学に留学させていただくことになりました」と平田氏は振り返る。
その後、平田氏は広島大学第二内科に戻り学位を取得すると、次は産業医科大学病院膠原病リウマチ内科に助手として出向した。広島大学病院が初代教授に杉山英二氏を招きアレルギー・膠原病科を開設したのはその翌年、2009年のことだった。
エビデンスに基づく最新のリウマチ診療の修得を望んだ平田氏にとって、産業医科大学の膠原病リウマチ内科は渡りに船の環境だった。リウマチ領域で世界をリードする田中良哉氏の下で、ステロイドの使用から免疫抑制薬の導入、さらには患者が求める休薬期間「バイオホリデー」の創出など、患者にとってメリットが大きい治療法を学んでいった。同大で8年、診療・研究に取り組み、2011年には講師に昇格するなど周囲からの評価も高まっていった。
一方で、平田氏には「広島のリウマチ医療に貢献したい」という思いを抑えきれない部分もあった。2016年、杉山氏は平田氏を講師として広島大学病院に迎え入れた。そして平田氏は広島、中国四国地方のリウマチ・膠原病診療に尽力して、2021年に教授に就任した。
国際標準のエビデンスに基づく診療を進める
中国・四国地方の大学病院で、リウマチ・膠原病を標榜している施設は、わずかである。それ故、平田氏は大きな責任を自覚している。「広島大学病院のリウマチ・膠原病科は、広島市や広島県にとどまらず、中国・四国地方全体のリウマチ・膠原病診療をリードしていく存在にならなければなりません」。平田氏の言葉通り、同科では島根県西部や山口県東部など、本州だけでも幅広く患者を受け入れている。他科では岡山の病院に罹るようなケースも、リウマチなら広島大学病院に来るという。
では、広島大学病院のリウマチ・膠原病科は、どのような診療スタイルを目指しているのか。この点について、平田氏は「エビデンスに基づいた診療です」と断言する。「例えば、がん治療はすでに多くが標準化されています。Aという治療プロトコルとBというプロトコルを比較してどちらが優れているか、安全性はどちらが高いかなどが明らかにされ、世界中で共有されています。一方、リウマチや膠原病でも質の高いエビデンスが蓄積されつつありますが、実地では個々の医師の経験に基づく治療が行われている傾向がまだ多く見られます。治療の標準化を進めるために、抗体医薬や分子標的薬などを用いた最新の治療法を検証しながら実践していきたいと考えています」と言う。
リウマチはかつて、内科医が中心となって治療に当たる東日本に対して、整形外科医が主に担当する西日本という風潮があった。そうした歴史的背景を理解しつつも平田氏は、最新の薬物療法の導入や間質性肺炎などを発症した場合の全身管理の必要性などから、内科医が関わることを重視している。
また平田氏は、疾患の評価法について強い関心を抱いている。「この10年20年で、関節リウマチはどのような症状にどの治療を施すべきか、どのような治療目標を設定すべきかなど、治療戦略の基本的な概念が確立されてきました。さらに、全身性エリテマトーデスなどの膠原病に対しても、同様に治療の標準化が進み、国際的なガイドラインやレコメンデーションが示されるようになりました。若手も含め、これらを踏まえた効果的で安全な国際標準の治療を行えるようにしていきたいと考えています」と平田氏は語る。
日本発のエビデンスの世界への発信を
診療面では、関節リウマチや様々な膠原病疾患で治験を展開し、また日々の診療から新たな発見を目指すよう臨床研究へとつなげることを重視している。研究面では、臨床研究だけでなく基礎研究にも注力し、その成果を患者に役立つようトランスレーションしていく。それと同時に、日本発のエビデンスを海外に発信していくことも目指している。
「実際のリウマチ・膠原病診療では、海外では使用できても日本では使用できない薬剤があります。また使用できても、副作用の発現率が人種ごとに異なりますし、適応用量が異なることもあります。日本人に多く見られる症状や副作用などをテーマにした研究成果を国外にも発信していけば、時には海外の患者の治療に役立てることも期待できます」と平田氏は話す。
信頼性の高い研究成果を世界へ発信していくためには、多施設共同研究の実施により、対象とする症例数を増やしていくことが有効だ。この点については、国内留学を経験し、各所の医師と交流を重ねてきた平田氏にアドバンテージがある。「将来はオールジャパン体制による研究で、世界をリードできるようになればいいですね。我々の世代には、既に世界的に高い評価を得ているリウマチ・膠原病領域の先生方が数多くいますから、そのネットワークを生かせば可能だと考えています」と平田氏は意気込む。
全身を統合して考え診療できる専門医を育成
教育面で平田氏が掲げる目標は、「全身を統合して考えて診療できるリウマチ・膠原病専門医の育成」である。例えば関節リウマチは関節が主に侵される疾患であるが、患者の関節の状態ばかりに気を取られていると、肺や腎などの関節外合併症を見落とすことにもなりかねない。そうではなく、他の臓器の状態も把握することで免疫機能が全身でどのように働いているかを推測し、原因そのものに迫っていく力を養っていくことを、平田氏は目指している。
「リウマチ・膠原病は多臓器にわたる全身性の疾患ですから、その診療に当たることで自ずと総合診療的な姿勢が求められ、そこで必要とされる知識も身に付きます。これが当診療科の魅力だと思います。全身管理が求められる診療経験は、将来開業を目指す医師にも地域で幅広い疾患を診る医師にも生かされていくと思います」と平田氏は言う。
とはいえ一方で、リウマチ・膠原病診療には高い専門性が求められる。そのため、高い専門性と全身に目配りをする総合診療的な視点を両立できる医師の育成に心を砕いている。
また、リウマチ・膠原病科の患者には、小児期や若年期に発症して、治療を続けながら年を重ねていく例も多い。「患者さんの生涯を通じて治療していくことは大変ですが、そこが内科医としての魅力でもあります」と平田氏は付け加える。
広島大学病院のリウマチ・膠原病科は歴史が浅く、「ようやく専門医や指導医の資格を取得したスタッフが出始めた段階」(平田氏)にある。「今は大学に勤務する医局スタッフが外勤先の診察に出て、そのエリアの患者さんを診ている状況です。今後は研鑽を積んだスタッフを常勤医として、地域の病院に派遣していきたいと考えています」と平田氏は話している。
医師一人ひとりの負担を減らす工夫をこらす
平田氏は、自ら構想する診療、研究、教育を実現するために、医局の環境整備にも努めている。例えば診療体制については、主治医制を採らず、病棟患者にはリウマチ・膠原病科の複数の医師がチームで診療に当たっている。そのため事前に申告していれば、学会出張や休暇の取得も容易である。
研究体制についても、医師の負担を減らすために、基礎研究の実験を任せる実験補助員(テクニシャン)や、臨床研究に必要な書類作成などの事務を担当する研究補助員を配置した。
平田氏は、自身が率いる若い医局の魅力を次のように表現する。「まだ医師が少ないので、やりたいと思ったことは何でもできる、ある意味『やり放題』の医局です(笑)。現状では派遣先に回せるスタッフがまだ少ないので、割と早い段階から責任ある立場で力を発揮したいという希望もかないやすいでしょう。地域に根差した診療をするために、県内各地の基幹病院で経験を積むことも可能です」。
その上で平田氏は、若手医師に向けてこう呼びかける。「広島市は政令指定都市ですが、宮島のような観光地もあり、海や山の幸にも恵まれた魅力的なところです。ここで我々と一緒に、リウマチ・膠原病医療を発展させていきましょう!」。
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平田 信太郎 氏
1998年広島大学医学部医学科卒業。国立呉病院、東京女子医科大学附属膠原病リウマチ痛風センター、広島大学医学部附属病院第二内科、産業医科大学病院膠原病リウマチ内科などを経て、2021年より現職。