東京大学大学院医学系研究科内科学専攻アレルギー・リウマチ学教室は、疾患コホートとゲノム、免疫細胞の遺伝子発現を組み合わせたデータベース「ImmuNexUT(イミュネクスト)」を2021年に構築。このデータベースを使い、免疫疾患の病態と免疫経路の関係などの解明に取り組み、既に多くの成果を上げている。同医局が取り組むすべての研究は、臨床応用を見据えたものだ。研究成果を実臨床に落とし込むために検査薬の開発にも力を入れている。
東京大学大学院 医学系研究科
内科学専攻 アレルギー・リウマチ学
東京大学大学院 医学系研究科 内科学専攻 アレルギー・リウマチ学
◎医局データ
教授:藤尾 圭志 氏
医局員:約40人
専用病床:22床
外来患者数:年間2万2千人
関連病院:15施設
東京大学大学院医学系研究科内科学専攻アレルギー・リウマチ学教室のルーツは、1926年に開設された内科物理療法学教室(物療内科)にある。同診療科は鍼灸や温泉療法なども取り入れた特徴的な内科で、当時からアレルギー、リウマチ、膠原病などの診療を柱としていた。
物療内科初代教授の眞鍋嘉一郎氏は特に臨床に優れた医師で、大正天皇の主治医を務めていたほか、小説家の夏目漱石の主治医でもあった。漱石が晩年苦しんだ胃潰瘍の診療に尽力したとも伝えられている。
1998年の診療科再編により物療内科は4診療科に分かれ、アレルギー・リウマチ内科、呼吸器内科、消化器内科、循環器内科がそれぞれ独立した。アレルギー・リウマチ内科の初代教授には、遺伝免疫学の研究者として著名な山本一彦氏(現・理化学研究所生命医科学研究センター長)が就任。その後を継いで、現在に至るまで同医局を率い発展させてきたのが、2017年に教授に就任した2代目の藤尾圭志氏だ。
「診療科再編で独立して以降、当医局は免疫学分野の研究に力を入れてきました。コホートとゲノミクスやプロテオミクスなどの最先端の研究手法を組み合わせた内容で、どの研究も臨床応用を見据えています。ですから当医局で手掛ける研究は全て、『臨床研究』だと位置づけています」と藤尾氏は話す。
東京大学大学院医学系研究科内科学専攻アレルギー・リウマチ学教授の藤尾圭志氏
コホートと免疫細胞の遺伝子発現を組み合わせたデータベース
アレルギー・リウマチ学教室が手掛ける臨床研究で中心をなすのは、同医局が東京大学医学部附属病院アレルギー・リウマチ内科の患者データを基に構築したデータベース「ImmuNexUT(Immune cell gene expression atlas from the University of Tokyo:イミュネクスト)」だ。理化学研究所などとの共同研究で2021年に完成させた。
ImmuNexUTには、関節リウマチ、全身性エリテマトーデス(SLE)、シェーグレン症候群などといった代表的な10種類の免疫疾患の患者と健常人416人分のコホートデータと、それぞれのゲノムデータ、免疫担当細胞28種類の遺伝子発現量のデータが入っている。このデータベースを使って解析することで、どの免疫疾患の患者がどんな病態のときに、28種類のうちのどの免疫細胞の遺伝子発現が亢進しているのか、その現象にどの遺伝子多型が関与しているのかといったことが分かる。このデータベースの構築については医学雑誌「Cell」に掲載され、世界的に大きな注目を集めた(※)。
※参考文献
Ota M, et. al., Distinct transcriptome architectures underlying lupus establishment and exacerbation.Cell. 2022 Sep 1;185(18):3375-3389. e21.
ImmuNexUT構築の意義について藤尾氏は、「ImmuNexUTの構築以前にも、特定の疾患の患者と健常者の間でゲノム情報を比較して、その疾患に関連する遺伝子多型を見つけ出す『GWAS(ゲノムワイド関連解析)』という手法がありました。たとえば関節リウマチについて、GWASを使えば発症に関わる遺伝子多型は分かります。しかし関節リウマチ患者さんの中には、より重い病態になる人とそうでない人、再燃する人とそうでない人がいますが、その違いがどこにあるのかはGWASでは捉え切れませんでした。その原因は免疫細胞にあるからです。患者さんのゲノム、病態、免疫細胞の遺伝子発現を紐づけたデータベース『ImmuNexUT』を使えば、そういったことも解析できるのです」と説明する。
ヒトのデータに基づいた研究に方針転換
藤尾氏がImmuNexUTの構築に乗り出したきっかけは、大学院から助教時代の研究経験だったという。藤尾氏は主にマウスを使った免疫分野の基礎研究に取り組んでいたが、興味深いデータが出ても、必ずしもヒトに当てはまらないことが少なくなかった。
「臨床応用を見据えるならば、ヒトのデータに基づいた研究を進めた方がいいのではないか」。そう藤尾氏が考えるようになったのが2012年頃のことだ。当時、高速に遺伝子配列を解読できる次世代シーケンスの活用が広がりつつあった。新しい研究環境を活かして、まずはヒトの遺伝子多型と免疫細胞の遺伝子発現を紐づけたカタログを作ってみようと、同医局の教授だった山本一彦氏とともにデータベースの構築に乗り出した。
最初に手掛けたデータベースは、100人ほどの健常人のコホートで、対象の免疫細胞は5つのみという比較的小規模なものだったが、研究を進めていく過程で、この研究アプローチが大きな可能性を持っていることに気づいたという。「健常人と免疫疾患の患者さんのデータを比較すれば、免疫経路にどういった差があるのかが分かります。さらに、同じ疾患の患者さん同士を比較することで、高疾患活動性と低疾患活動性の違い、再発のしやすさ、臓器障害の蓄積のしやすさ、生命予後の違いに、どの免疫経路が関わっているのかも分かるかもしれないと考えたのです」(藤尾氏)。
藤尾氏らは2017年に最初のデータベースを完成させた後、コホートを健常者と免疫疾患患者に広げて規模を拡大し、遺伝子発現を調べる免疫細胞の種類も大幅に増やした、新しいデータベースの構築プロジェクトに着手した。5年の月日を経て完成したのがImmuNexUTだ。
アレルギー・リウマチ学教室のメンバーたち。(藤尾氏提供)
SLEの発症や増悪に関係する免疫経路などを解明
ImmuNexUTが完成して以降、アレルギー・リウマチ学教室ではこのデータベースを使って、様々な解析研究を実施してきた。
最も先行しているのはSLEをテーマとした研究で、既に多くの重要な発見を成し遂げている。例えばSLEの発症には、様々ある免疫経路のうち、ミトコンドリア経路や補体の経路の活性化が関係していることが分かった。特に、ミトコンドリア経路は臓器障害の蓄積と関連していた。一方で、低疾患活動性から高疾患活動性になるときには、ミトコンドリア経路や補体の経路がさらに活発になるのではなく、それとは別にリポソーム経路の活性化が新たに加わることが明らかになった。
また、同じSLEであっても、炎症が起こっている臓器によって、主に関与する免疫細胞に違いがあることも分かってきた。例えば皮膚・粘膜障害であればTh1細胞、関節・骨格系であれば単球、ループス腎炎であれば好中球の関与が大きいといった具合だ。
ImmuNexUTのコホートには、様々な薬を服用中の患者が含まれる。そのため、それぞれの薬剤が標的としている免疫細胞も明確に分かってきたとのことだ。「これまで多くの免疫細胞に網羅的に効果を発揮していると考えられていた薬剤が、実は特定の数種類の免疫細胞のみに作用していた、といった意外な発見もありました」と藤尾氏は言う。
東京大学アレルギー・リウマチ内科における日々の研究の一コマ。(写真は藤尾氏提供)
研究成果の臨床応用を目指した検査薬の開発も進行中
ImmuNexUTを使った研究で分かってきたことを、免疫疾患の患者一人ひとりに応じた最適な治療につなげることが、アレルギー・リウマチ学教室の最終的な目標だ。基本的なコンセプトは、それぞれの免疫疾患の患者で亢進している免疫経路を同定し、それを抑えるために最も適した薬剤や治療法を選ぶことだという。
例えば同医局と理化学研究所の共同研究では、SLEは治療薬のうちプリン代謝拮抗薬は主にTh1細胞を抑えていることが分かった。別の代表的な治療薬であるカルシニューリン阻害薬についても、ImmuNexUTを使って詳細に解析を進めたところ、今まで報告されていなかった、加齢とともに増えてくる免疫細胞「ThA(age associated helper T)」を主な標的としていることが明らかになったという。
「これまで経験的に、SLE患者さんにはプリン代謝拮抗薬とカルシニューリン阻害薬を同時に投与すると治療効率が良いと言われていましたが、その理由は、それぞれの薬が違うT細胞を抑えていたからだということが分かりました。しかし、ある免疫疾患の患者さんの体の中で活性化しているのがTh1なのかThAなのかが分かれば、その結果に応じて一方の薬を投与すればよいことになります。これは一例ですが、患者さんの免疫細胞の状態を確認することで、より精密な治療が可能になるということです」と藤尾氏は説明する。
研究成果を臨床応用するための準備も進行中だ。実臨床で、患者一人ひとりの免疫細胞の遺伝子発現を調べるのは、時間的にもコスト的にも難しい。そのため同医局では、患者の末梢血を使って、どの免疫経路が亢進しているかを高精度に推測する簡易な検査薬の開発を同時に進めている。完成すれば、薬剤の選択に役立つだけでなく、再燃の予兆をいち早くつかみ、先手を打って治療を開始することにもつながる可能性があるという。
承認を目指すカテゴリーは「体外診断薬」なので、新薬開発ほどの時間はかからない見込みだ。「プロテオームをベースとした検査の開発を第一に考えていますが、フローサイトメトリーを使って細胞の数や特徴を直接観察する方法も候補としています。5~10年のうちに、成果を臨床に戻せると考えています」と藤尾氏は話す。
診療科を超えた臨床応用も視野に
今後の抱負について、藤尾氏は、ImmuNexUTを使った研究を続け、さらに免疫疾患、免疫細胞について理解を深めていきたいと意気込む。SLEに関しては、妊娠合併症と免疫細胞の関係についても研究を始めている。「SLEは若い女性がかかりやすい病気で、妊娠される患者さんも多いです。この研究の成果を臨床に返すことができれば、妊娠時のマネジメントが容易になるといった臨床上のメリットが期待できます」。こう語る藤尾氏は「SLE患者さんは疲労感、不眠、不安感など様々な主観的な症状でつらさを感じています。そのような症状にも免疫細胞が影響していると考えられ、その原因を調べてつらさをコントロールすることも目指しています」と話し、患者さんの症状全般を軽くすることも視野に入れている。
SLEの他にも、関節リウマチや乾癬、特発性炎症性筋疾患といった様々な免疫疾患について、ImmuNexUTを使った解析研究を進めている。今後、研究成果を発表できる見込みで、順次、臨床応用へつなげていきたいと藤尾氏は考えている。
さらにその先には、診療科を超えた研究と臨床応用も視野に入れている。「免疫細胞が関連する疾患は、アレルギー、リウマチ・膠原病に限りません。他診療科にも、例えばメタボリックディジーズなど、免疫細胞が関与する疾患の患者さんがたくさんいます。CAR-T細胞(キメラ抗原受容体T細胞)療法などの治療で一旦良くなっても再燃する患者さんがいますが、その原因解明や再燃の予測にも免疫の理解と評価が必須です。ですから私たちは免疫の研究をさらに進めて、その成果を発信し、医療・医学に広く貢献したいと考えています。それこそがアレルギー・リウマチ学教室の目標で、そのような得難い充実した活動を、人生の財産として一人ひとりのメンバーに経験してもらいたいと思っています」と藤尾氏は話す。
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藤尾 圭志(ふじお・けいし)氏
1995年東京大学医学部医学科卒業、東京大学医学部附属病院内科研修医。1996年JR東京総合病院内科研修医。1997年国立相模原病院リウマチ科レジデント。1998年東京大学大学院医学系研究科内科学専攻入学、東京大学医科学研究所造血因子探索研究部。2000年東京大学医学部附属病院アレルギー・リウマチ内科。2001年日本学術振興会特別研究員。2002年東京大学大学院医学系研究科内科学専攻卒業、日本予防医学協会リサーチレジデント。2006年東京大学病院アレルギー・リウマチ内科助教。2012年東京大学病院アレルギー・リウマチ内科医局長・特任講師。2013年東京大学病院アレルギー・リウマチ内科講師・入院診療担当副科長。2017年東京大学病院アレルギー・リウマチ内科科長、東京大学大学院医学系研究科内科学専攻アレルギー・リウマチ学教授。